「このごろは、仏蘭西のタイヤ屋さんが、お節介にも日本の料理屋の評定をして、星をいくつ付けたとか付けなかったとか、まことにかまびすしいことである。」
だいえっときかんちゅうに、こんなおいしいほんをとりあげては、いけないなとおもいました。
いやほんとに。
林望著『いつも食べたい!』(筑摩書房、2013)
リンボウ先生の著書については、以前も取り上げた(『イギリス観察辞典』)。
イギリス好きのあいだでは、リンボウ先生の英国エッセイを読まずして行くことは、イギリスの楽しみを半減させるかのように語られることもあるし、わたしも大いに同意するところではあるが、リンボウ先生の本業は国文学者だ。
リンボウ先生といい、瀬田貞二氏といい、日本文学の研究者がイギリスに関する良書を大量にの記していることは、おもしろい共通点としかいいようがない。
それにしても「仏蘭西のタイヤ屋さん」とはよく言ったものである。
西欧の格付けは仏蘭西がやってくれても大いに構わないが,日本にまでちょっかいを出さないでほしい、というのは、結構多くの日本人が心に思うことではないだろうか。
なにせ彼らは、昆布だしのおいしさをようやく最近「発見」し、「UMAMI」という新たな味覚として声を大にして喧伝しているのである。
こちとら何百年も前から昆布だしで生きてきているんんじゃい、といいたくもなるものである。
それはさておき、この本はリンボウ先生の食への熱い思いの詰まった本で、飯テロもいいロコろだ。
ダイエット中にこんな本を取り上げてはいけない。
甘食は食べたくなるし、旅行に出て駅弁を買いたくなる。
寿司をくらい、味噌汁をのみ、鶏飯をかっこんで、熱い緑茶を啜って一息つきたくなる。
イカもハムもいちごも食べたい。
お茶漬けをたべ、たくあんを齧りたい。
季節の味覚を大いに楽しみたい。
なにも高カロリーのものが食べたいわけでも、贅沢がしたいわけでもない。
ないけれど、いま「季節の味覚」を存分に味わうことは、金銭的にも時間の上でもだいぶ難しくなった。
なんでもかんでも早め早めに栽培されて、ハウス栽培になったりするから、たいして甘くもない大ぶりのいちごが、一パック500円で売り出されている。
リンボウ先生も書いているが、いちごというのは初夏の果物である。
イギリスにいた頃、一番といっていいほど好きだったお菓子は、「イートンメス」という季節のいちごをふんだんに使った、初夏のデザートだった。
イギリスのいちごは小ぶりで甘い。真っ赤で、もう少しで潰れそうなほど熟したいちごが、日本のいちごパックの倍くらいのサイズのパックに入って、2つで1ポンド2ポンドで投げ売りのように売り出されている。
そこにダブルクリーム(日本でいう高脂肪の生クリーム)と、メレンゲネストを買ってくる。
メレンゲは、卵白に砂糖を加えて硬く泡だて、低音のオーブンでじっくり焼いたカリカリの食べ物で、イギリスのスーパーには大袋入りで売っているが、日本では売っていない。
おそらく、湿気の多い日本の気候には合わないのだろう。
さて、買ってきたいちごを洗ってヘタをとる。
多少潰れても問題ない。
次にダブルクリームを泡立てる。
このとき、砂糖は加えない。少々小洒落たければ、バニラエッセンスを加える。
そして、クリームを泡立てたボールに、大量のいちごと、手で適当にくだいたメレンゲを放り込み、ざっくりと混ぜ込む。
器にいれて、これまた格好をつけたければ上にいちごを乗せればよいが、そんなことをしなくても十分美しい。
真っ白いクリームとメレンゲ、真っ赤ないちごといちごから滴る真っ赤な果汁が混ざって、これほど美しい紅白はない。
イートンメスが出来上がる頃合いで紅茶を淹れ(もちろん濃厚なミルクティーだ)、食す。
器に盛り、とは言ったが、それはお上品に食べる場合やカフェで食べる場合であって、「イケナイコト」をしたい気分のときは、ボールごと抱えてスプーンをつっこむ。
腕に抱えるほどのボールにみたされた、クリームといちごとメレンゲ。
ザクザクととろりとじゅわ、が入り混じった、見事な食感である。
甘味はメレンゲと(これがそこそこ甘い)いちごの自然な酸っぱみの強い甘さなので、クリームは無味に限る。
ああ、いちごとクリームとメレンゲ。
なんという至福の時間。
これは高カロリーな贅沢の一つではあるが、イギリスにおいていちごは初夏の一番安い果物だし、乳製品は日本の半額以下であるし、メレンゲは作る必要もなく手頃な値段で買ってこれるので、イギリスにおいては金銭的には全く贅沢ではない、それでも初夏の空気を存分に味わうことのできる最上級の贅沢なのだ。
こういう贅沢を、わたしはしたい。
先日、寒干し大根の沢庵を買った。
白い沢庵で、引き締まった大根の食感がコリコリガリガリと強く、わたしはその辺の黄色い沢庵よりこっちの方がずっと好きだ。
店頭では、「季節限定」と書かれていた。
またあるいは、芹をたくさんいただいて、鍋にして食べた。
みずみずしい芹の青さと、シャキシャキとした食感が最高だった。
わたしの大好きなノビルはその辺の八百屋やスーパーでは売っていない。
季節の野草なのに、「野草」であるために流通に乗らない。
東京では買うことができず、少々郊外に住んでいる人が「ノビル?その辺に生えてんじゃん?」というのを聞いて、「それがどこだかわからないんだよ……!」と悔しい思いをする。
蕗味噌を食べたい。
蕗自体はそれほど好きではないけれど、ルバーブはパイにして食べたい。
どんどんと入れ替わる八百屋の店頭の、一番安い野菜や果物を、存分に味わいたいのに、それだけの時間がない。
ああ、なんという不幸。
日本人の味覚はかなり西洋化されたと思うし、わたしも実際のところそうではあるし、最近は東南アジアはもちろん、南米や中東、アフリカの食まで日本で食べられるようになってきた。
いつでもおいしいものが食べたい。
日本のものでも外国のものでも、日本人むけの魔改造でも、それでも美味しいものが食べたい。
リンボウ先生の本を読んでいると、そうだった、あれも美味しい、これも美味しい、と美味しい記憶が刺激されていけない。
今日はなにか美味しいものが食べられるだろうか。
今日のお弁当も、いつものオートミールリゾットのわたしは、本を読んでため息をつくばかりである。