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形からくる体感って改めて面白い。ポーズの意味は体が知っているのかも



今日は「形からくる体感」について。

この前はブログで「言葉からくる体感」の話をしたけど(したっけな?←おい)

今日は「形からくる体感」を改めて感じてみたら面白かったよという話。

 

「形」って何のこと?ってなるよね。

ここで言う「形」とは、ポーズのことです。

 

「いただきます」をする時に手を合わせるとか、まんまんちゃんの前で手を合わせるとか(まんまんちゃんて分かります?仏壇のことですw)

なんか自然にやってしまうポーズのこと。(無意識に日常的にーって感じの)

 

これをもう一度、考えてみると面白いなーーーって。

 

今までも、似たようなことでは考えたことがあった。

ポーズがどのように自分の精神に影響しているか、とか。

 

例えば、体育座りって小学校とか、体育の授業や全校集会の時とかに、当たり前にしていたポーズだと思う。(まぁそうさせられてたというか…)

都市伝説的に言われていることで、実はこのポーズ、精神的に影響を与えるからこそあえてさせていたという説があるらしい。(ほんまかどうか知らんけどね)

 

いつから体育座りをするようになったのかと言うと、それは戦後くらいかららしい。

それまでの日本人は、あぐらをかくのが普通だったんだって。(あとは立膝をつくとか。千利休とかもあぐらをかいてお茶を立ててたらしいよ)

あぐらは、座り方にもよるけど、ちゃんと骨盤を立てて座ると、しっかりと背筋が伸びる。

もちろん背中を丸めてあぐらをかいていたらそんなことはないんだろうけど、背筋を伸ばしてあぐらをかいていると、何て言うか、シャキッとする。

ほんまかいなと思う人。その状態でマイナスなことを考えてようとしてみて。一瞬、マイナスなことが浮かんでも、なんとなくすぐに消えちゃうというか、心がマイナスの状態になりにくい。

 

背筋をピンと伸ばして堂々とあぐらをかいていると、自信が湧いてくる気がする。

 

一方、体育座りはと言うと。

構造上どうしても背中が丸くなってしまう。最初はピンと背筋を伸ばしていても、どうしてもそのうち背中が丸くなってしまう。だって足を腕で包み込むようにするから、なんか丸くなっちゃう。

そうして長時間、座っていると、気持ちが下を向いていくというか、そうなってしまいやすい。

「堂々とあぐらをかいて落ち込んでいる人」というのはイメージがしにくいけど、「体育座りで落ち込んでいる人」って言われたら、結構簡単にイメージできたりする。

 

このような心への影響を分かっていて、戦後、日本人に、このポーズをさせるようにしたというのが都市伝説で言われていること。(もう1回言うけど、ほんまかどうか知らんけど)

戦争で勝った国がすることは、もう二度とその国の人たちが立ち上がろうとしないようにすること。日本人としての誇り、自信をなくさせること。

そういったマインドにさせるために、いろんな決まりを作って、コントロールしてきた。

他にもいろんな決まり事を作って、それらが当たり前になってしまったら、疑いもせず、素直にそれを続けてしまう。そういったことが繰り返されてきて、私たちは今、なんの疑いもなしに体育座りを日常的にしているけども、少なからずそういった精神面への影響ってあるんだろうなって思う。

  

もちろん、こういったことは、絶対に個人差がある。

そんなに影響がない人もいるかもしれないし、めっちゃ影響がある人もいるかもしれない。

 

まぁでも、あぐらと体育座りの「座り比べ」なんかする人っていないよね(笑)(私くらいか?)

でも、1回やってみると、わかると思う。

「あー、なるほど。あぐらの方が自信が湧いてくる気がするの、わかるかも」って。(そうじゃない人もいると思うけどね)

 

体育座りで瞑想するより、あぐらで瞑想したほうがいい。多分。というか、瞑想やっている人の基本形があぐらだもんね。(ただしくは座禅だけど。座禅は片方の足を腿の上に乗せ、両方の足の裏が上を向く) 

昔からしてることって、本当に理にかなっているから、胡坐、座禅というのはとても意味のある座り方なんだなーと思う。

 

 

あと、昔、ガッツポーズしながらだと鬱になりにくいみたいな事を聞いたことがあって、それも、たぶん、そういうポーズからくる体感がそうさせているのかなと思う。(多分だけど)

 

そう思うと、猫背ってやっぱり良くない。猫背で首が前に出て。そう、まさに、携帯やゲームやパソコン触っている時ってそうなりやすいのだ。

気持ちが後ろ向きになりやすい状態で、SNSとかのキラキラしてる人を見てると、自分と比べて落ち込んだり、なんか、気持ちが疲れてくるのって、そりゃそうだよねって思えてくる。(そういうので悩む若者って増えているそうですね) 

 

もちろん、それが全ての原因ではないけど、メンタルが弱っている状態って、基本、起こることすべて、よくない方向に考えてしまうから、姿勢が全く関係ないともいえない。

 

これは実体験だから、「~らしい」じゃなくて、ほんまにそうやった!話だけど、

昔務めていた店でめちゃくちゃ忙しかった時、体力的にもしんどくて、お昼も食べてないからおなかも空いてて、っていう状況下で、本当は元気もなくなってそうなところやけど、

「無理やりにでも笑顔つくったろ!」と心に決めて、口角をめっちゃ上げて仕事していたら、ほんまに気づいたら、めっちゃ気持ちが楽しくなってて、しんどさが吹っ飛んでて、最後まで笑顔で楽しく乗り切れたというのが何回もあった。

 

これも、ポーズ(口角をあげること)が精神に影響を与えたんだなってすごく思う。

あんなに最初しんどかったのに、最後は楽しくなってるって本当にすごい。

 

だから私は、その経験以降は、なんだかなーーーという気持ちの時、特に、口角を上げる事を意識している。

そうすると、本当に、心も穏やかになってくるし、うまく言えないけど、いい感じな状態でいれるようになるのだ。

 

 

つい先日も、子供に対して、プンプンしていたけど、このことを思い出して、気持ちはまだプンプンが残ってたけど(笑)、先に口角を上げる事をしたら、プンプンの気持ちが薄れていって、どうでもよくなった。

「口角を上げる」ってすごいポーズだ。

 

ほんまに。

あぐらよりすごいって自分的には思ってる。(あぐらよ、すまぬ)

 

口角を上げてたら、マジでマイナスな事、浮かばへん。

なんか、気分がよくなってくる。本当に。

 

 

そして、そんな事を改めて思いながら、もう一個、気づいた。

それは、

「手を合わせる」ポーズ。

合掌。

 

これですよ。

 

 

合掌。

 

今、何も言わないので、やってみてください。

とりあえず、何も考えずに。 

 

そして、合掌した瞬間の体感を捉えてみてください。

ほんで、合掌も、両肘を下げてやるんじゃなくて、ちょっと、両腕、両肘を床と並行にしたままで、合掌ってするのが私的にはオススメ。(なんのオススメやねん)

 

ポイントは、一瞬ね。一瞬。

 

なんだろーって考えちゃうと、体感より、思考が優位になって、あーだこーだとそれっぽいことを脳みそが考えちゃうから、大事なのは、体感です。

 

では。

一旦、ここで、読むのをやめて、やってみてね。

 

深呼吸して、背筋を伸ばして、目を閉じて。

合掌。

 

 

どうだった?

どう?どう?(←うるさい) 

 

 

ふわっと、くる安心感。温かい感じ。落ち着く感じ。体の中が、喜んでる感じ。

体感はそれぞれだと思うから、表現はいろいろあると思う。

 

そして、非常に、言葉で表現するのが難しい。(だから、~の感じっていうのが一番合っている気がする)

 

でも、確実に、体感としてあると思う。

すごく、安らぐとか、落ち着くとか、頭が空っぽになれるとか、そんな感じ。

私は合掌をした瞬間、体がとても気持ちいい感じがするのだ。

 

この体感。

体が感じている感じ。

この感覚は頭じゃなくて、体の声だ。

 

 

こういうのが自分の中で確信に変わると、できるだけ、体育座りはしんとこーってなるし、しないといけない時はできるだけ姿勢をピーンってしようって気をつけるようになる。

そして、体が気持ちいいな~、安らぐな~っていうポーズ、

楽しいな~、嬉しいな~っていうポーズはどんどんしようって思う。

 

気分が乗らない時なんか特にそう。

やってみると、やっぱり違う。

 

もちろん本気で落ち込んでる時に、無理やり口角を上げるのがいい時もあれば、ダメな時もある。

先に心の膿を出さないとダメな時は、無理やり口角を上げるのはオススメしない。

試してみてもいいけど、その時も、体感でしっくりこないと思うから、体が感じる感覚を大事にしてほしい。

 

最近、自分の「形」みたいなのをもっておくと、すごくいいんだろうなと思った事があった。

 

それは、安江邦夫先生がYouTubeで話されていたことで、空手でどんなに戦いが強い人がいたとしても、相手と戦わずに「空手の型」をずっとやり続けていたおじいちゃん?の方が、試合をした時に勝つらしい。

 

うまく言葉では説明できないけど、自分でその「型」がはまった時、そこに何かが宿るというか、人と戦っていなくても、強さを極めることができたんだろうなと思う。(知らんけど。←出た!)

 

あと、何かの本でよんだけど、やはり、そういった「型」によって、「場」の空気が変わり、昔から受け継がれてきた型、そのパワーを自分も授かることができる、みたいなことが起きるらしい。

ちょっとわかりにくいね。(ゴメンナサイ)

例えば、「型」とは違うけど、「お経」とかもそう。

お経を読むだけで、やはり、その「場」はそういったエネルギーが発生するらしいのだ。

その「お経」自体に、パワーが宿っているから(今までのお経の「場」としての記憶が再現されるみたいな)、波動みたいなもので、そういった空気の「場」ができる。

なぜパワーが宿るのかというと、お経を読む事によって、助かった人々や、色んなお経のパワーの情報がその音の振動というか、何かしらの作用が働いて、そういった「場」ができる。

うまく説明できないのが悔しい。(ゴメンナサイ~)

 

とにかく、自分でも、そういった「自分の型」を作れば、そういった自分の「エネルギーの場」を作ることができるんだろうなと、私の中での仮説の話です。

(「合掌すれば、幸せなエネルギーに包まれる」とかね。自分の中で、そう思えば、続けていくとそうなるんだろうなって思う)  

  

 

とにかく!(無理やり締めますよ)

ポーズからくる体感をしっかり感じ取ってみると、結構、面白いですよ!

なんか、こんなのもありまっせ!というのがあれば、ぜひ教えてください。

 

 

体感って体が感じていること。

頭で考えてるんじゃなくて、体が思っていること。

頭で考えるのは、色んなジャッジ(俗世界の価値観とか、余計な物差し、価値基準)が入っちゃうけど、体で感じていることはそんなものは一切なし。

 

ジャッジもなく、ただ感じているって感じ。

 

体の感覚は、潜在意識とつながっている。潜在意識は、集合意識とつながっている。

集合意識=宇宙だから、体の感覚を大切にすることは、宇宙も地球も大切にするってことだ!(話がとぶなー!wでも、私はそう思うよ)

 

自分の感覚を大切にするってことは、自分を愛し、宇宙をも愛するということ。

 

やっぱり、愛ですね!!!!

 

 

今日も、無事に目覚める事ができてよかった。

今日も、笑う事ができる。食べる事ができる。手足が動く。息ができる。目が見える。においをかげる。音が聞ける。自分を愛することができる。人を愛することができる。

本当に感謝です。

 

今日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

今日もあなたに感謝感謝です!!!!

この後も良い時間をお過ごしください!ではまた!さいなら!

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