見出し画像

「わたしを離さないで」

人間には生きていると壁とぶつかり、それを乗り越えようとして強くなっていく。  

ある人にとっては恋人との別れが壁になるかもしれないし、ある人にとっては威厳ある父親の存在が壁になるかもしれない。また病のように自分の手でどうしようもできないものが壁として人生を塞いでくるかもしれない。 


僕が人生において初めて壁を感じたのは「夢」だった。 

小学生の時にこの「夢」という言葉は僕の前に立ち塞が入り、前に進もうとするのを止めた。 




僕には将来の夢がなかったのだ。 



小学生の時に「将来の夢」というタイトルで作文を書くことになった。

 

クラスのみんなは「サッカー選手」や「総理大臣」「お花屋さん」など自分の夢をスラスラ書くことができるのだが、僕だけは自分の夢について何一つ思いつかない。  

何も書けない僕を尻目にクラスメイトは皆、夢について鉛筆がこすられる「カッ、カッ」という響きをならせている。皆が簡単にできていることをが僕にはできない。

自分だけが夢が空っぽだということを知ったのだ。  



なぜ自分は夢が書けないのか。未来の自分を大きく書くという羞恥や、照れくささとは違う。どうせ夢を言っても叶わないだろうからと卑下しているわけでもない。 本当に自分は将来に対して無なのだ。

こうなりたいという理想の姿が全くないのだ。 授業内で書くことができなかった人は学校に残って書くことになった。今まで学校に残されるということを経験したことなかったのに「夢がない」と言う事だけで初めて学校に残されることになった。 


放課後、数人の生徒たちが学校に残って「将来の夢」を書いている。だが、僕は一時間経っても白紙の原稿用紙には何も書くことができなかった。  

いくら経っても夢が書けない僕に先生は、宿題としてやるように指示した。 


「古屋くんは将来の夢がないの?野球選手になりたいとか、お金持ちになりたいとか何でもいいんだよ」 

「…特にないです」 

 「夢がないと人生つまらないよ」 


夢がない自分に励ますような気持ちで言ってくれていた。その優しい声で言ってくれていても、夢に悩んでいる僕に対して、その言葉は奈落に突き落とす。


夢がないと人生は楽しくないんだ。  


僕の前に「夢」という大きな壁が立ちふさがる。

なんで僕は夢を持てないのだろう。友人たちはそんな僕を置いてけぼりにするように、夢を描き、それは空を飛んでいるような姿をしている。

夢という大きな壁を乗り越えて、しっかりと人生を歩んでいるように見える。  

夢を考えるたびに自分の皮を一枚一枚めくれ、心の深いところに鉛筆の芯がグサリと刺さり血が滲んでくる。 



 「『将来の夢』 古屋 祐輔 僕の将来の夢は普通の人です」 


先生はどう思っただろうか。きっとこの作文に点数がつくのなら0点の答えだ。 




 「夢がないと人生つまらないよ」と言われ、僕もそのままにしていたわけではない。夢を見つけるための努力もした。

いろんな偉人の本を読むと、偉人たちは本を読んでそれに感銘を受けて、将来への功績の糧になったと書いてあった。 

だから、僕も本をたくさん読んだ。この中に自分の夢となるものがあるのかもしれない。そう信じて本をめくっているのだが、夢に当たるものは何も出てこない。  



僕たち子供に夢を語らせようとするのは学校だけではない。  

スポーツ選手は小学生の時の、卒業文集に夢を書いて夢を叶えるために努力したというエピソードは、数えればキリがない。近所に回ってくる選挙カーでさえも「子供達に夢を!」といい僕たちに夢を持たせるような社会を作ろうとしてくれる。  

テレビをつければ、夢を叶えたのであろう人たちがテレビの中にたくさんいる。

その人たちが「夢は絶対に叶うから、夢を諦めないで」そのな話をする。 

その話を聞くたびに、夢を諦める諦めないの前に、その夢がないのが問題なんだよと、テレビに映っている人を殴りたくなってくる。 



大人というものは子供に夢を聞きたがる。

そんな生き物でしかないのだ。  

小学生の時に出会う大人たちは皆と言っていいほど「夢はなんだ?」ということを聞いてきた。  

「野球選手!」など元気よく答える友達がいると、大人は夢を語る子に対して「それはよかったな!頑張れよ!!」と褒め称える。 

その流れで僕にも夢を聞いて、僕が「え、、、うーん」と答えに渋っていると、大人たちは将来の夢が何もない僕をみて悲しそうな顔する。

夢がない自分はそんなに大人に嫌われなければならないのだろうか。 




僕が夢を答えらない原因には、大人にも問題があると思っている。 


小学生の時、正直なところをいうと、憧れた職業もあったのだ。  


僕はプロ野球の審判にはなれるといいなと思ったこともあったのだ。  


僕はプロ野球が大好きだった。毎朝、新聞のスポーツ欄を開いて、野球の試合結果や選手のデータを見るのが日課だった。夜はテレビのスポーツニュースをはしごして、その日の野球の結果を至福の時間だった。特に贔屓にベイスターズが勝った時は、興奮して寝るのが嫌になるくらいだった。  

それだけ毎日プロ野球のことを考えていたので、好きなプロ野球と関われるプロ野球の審判というのは、職業として憧れたのだ。  


だけど、僕は自分の夢をプロ野球の審判と答えることはできなかった。  

なぜなら、夢は何か?と尋ねられて夢はプロ野球の審判と答えた時に、

「なんでプロ野球選手じゃなくて、プロ野球の審判なのか?」と聞き返されるのだ。  



僕はプロ野球選手になれないことはわかっていた。  


プロ野球については誰よりも詳しいし好きな自信があるのだが、そもそも僕は野球というのをやったことがないのだ。友達と公園の狭い敷地でプラスチックのバットとゴムボールで遊ぶことしかやったことがなかった。 

野球が好きだからと言って「野球を習いたい!」なんて言えるような家でもなかった。  

イチローは小学生の時からバッティングセンターに毎日通って、努力をしてプロ野球選手になったのを知っている。

僕の家にはグローブもバットもボールもない。グローブを使ってキャッチボールをしたこともない人がプロ野球選手になりたい!なんて言えるはずもなかった。  


プロ野球選手として尊敬や憧れはあるけど、そもそも野球というものをやった事がないので、まず野球をしている感覚がよく分からない。そんな自分が将来、野球をしている想像ができない。  


なので、プロ野球の審判という夢は、そこまで野球の技術がいらなくても、自分の好きな野球に関わることができるかもしれないと、自分の未来に想像がつきやすかったのだ。  


「将来、プロ野球の審判とかやってみたいなぁ」  

僕が自分の心の中で絞りに絞った答えを言っても、大人たち怪訝な顔をするのだ。 

そして「審判もいいけど、プロ野球選手だってなれるはずだよ!」とそう僕の夢を書き換えようとしてくるのだ。  

いや、違うんだよ。プロ野球選手の夢は違くて、プロ野球の審判がいいんだよ、と思うのだが、自分の思いを声に出せない僕に対して「野球頑張れよ!」と大人は僕の夢を決めてくる。 


結局、夢というのは“大人が理想としたもの”を答えないと認めてもらえない。 

僕たちが何を目指すかというのは、子供の好きに選べるものではない。

僕はプロ野球の審判の他にも、ゴミ清掃車で働く人とか、電車の中吊り広告を変える人とか、憧れた職業はあった。

でも、どれも大人が理想とする子供の夢ではなかった。 


「夢がない」と言うと、かわいそうな人生だと言われ、夢が大人の好むものでないと、今度は納得してくれない。



夢は一体、何を答えれば正解なんだ??





夢をクラスのみんなの前で発表することになった。 



「僕は将来、勉強をたくさんして学者になりたいです」 夢を答えた。


学校の先生たちは僕のことを褒めてくれた。勉強頑張ってね、とか将来楽しみだ!とかそんな言葉を投げかけてくれる。 






先生、ごめんなさい。  


この夢は嘘です。僕には夢なんて何もない。 


だけど、この社会は、大人に合わせたような夢を答えない限り、人生を先に進めさせてくれない。

僕の目の前に立ちはだかった夢という大きな壁。

自分の心に嘘をついて、大人が決めてくる人生しかないのか、と悲嘆するしかない。 

 「わたしを離さないで」は施設で育つ子供達を描いた小説。実はここの施設で育った子供達は将来、臓器提供をするために生まれてきたクローンだった。人生は誰かに決められるものではない。大人が自分の世界を満足するために、子供がいるのではない。生きることとは何かを教えてくれます。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?