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ノスタルジック・SENDAI
先日ライブで、久しぶりに仙台を訪れた。来ることに慣れていると思う一方で、自分がかつてここに住んでいたことが、信じられない感覚に陥る。
改札を出て西口から外へ。いつもの景色だ。地元と比べれば格段に人も情報量も多い。それでも、どちらに進めば目的地に辿り着くかが分かる。どのビルの何階に何の店があるかが分かる。
もう戻ってくる(住む)ことのないであろう街で、懐かしさと切なさと少しの悔しさと、いろいろな感情がごちゃ混ぜになった。
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仙台が好きなのは、住んでいたからだ。それは、学生時代の4年間が大切だということ。別に特別なことをしたとか、何かを成し遂げたとか、そういうわけではない。何なら「こうしていれば」という後悔の方が多いのに。
大変だったことも強く覚えているけど、楽しかった記憶の方が鮮明だ。
どうして私はもう、ここに住んでいないんだろう。ふと頭をよぎることもあるけれど。そのぐらい思い出がある街の存在は、貴重かもしれない。切なさごと受け止めている。
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それにしても、もう大学を卒業して12年?13年?この間、駅ビルでずっと変わっていない店舗もあって。あそこはあの人と行ったな~とか、頭に思い浮かべてみたり。
過去に引っ張られた気持ちは、地元での日常に戻ったらすぐ切り替わったけど。もっと定期的に行ければ、いちいち反応することもないかもな~なんて。