【ドラマ感想】私の中にある笙野的思考
『セクシー田中さん』を楽しく見ている。
どんな人であれ、何かしらの悩みを抱えているんだな、と思う。若くて可愛いあかりにも、“だからこそ”の悩みがある。「あの人はいいな」と日頃私が思う相手もまた、きっと何かに悩んでいるのだろう。
田中さんは美しい。ベリーダンスをしている時の外見もさることながら、中身の真っすぐさとか、純粋さとか。つらいことがあったり、生きにくかったりしても、軸を持って前に進んでいればそれを見ている人がいる。そういう存在が自分の勇気に繋がって、ポジティブなことが起こる。
フィクションで、物語の中のことではあるけど。現実もそうだと信じれば、特別なことがない日々もより大切にできる気がする。
それで、笙野だけど。今でこそ田中さんに感化されて少しは良くなったけど、序盤はまあ失礼で失礼で、本当にイラついた。
性別や年齢に応じて、かくあるべきという固定観念。こういう人はこう、という偏見。“あるある”でもある、と思った。こういう考え方も世間では根強いよな、と。同時に、いやいや私自身どこかにこの考えがこびりついているよね、と。
人間にはいわゆる一般的とされるルートがあるとして。学校に行って卒業したら働いて、結婚出産子育て、ライフステージが変化して。人の、人の数だけある選択を、「何でだろう?」「何かあるのかな?」と思ってしまうことのある自分に、改めて気づく。
それに、周囲の人も(頭では分かっているのかもしれないけど)まだまだ自分の歩んでいる人生が“普通”で、それ以外を異端とする節がある。
このせいにしたくないけど、地域性は少なからず影響しているかもしれない。田舎特有の、表現しきれない何かが確かにある。
私の中にも、固定観念はある。笙野のように口に出すことはないけど。何でこう思ってしまうんだろう、と感じる瞬間が日常にある。
人それぞれ、と言うのは簡単だ。そのそれぞれを、理解しきるのは難しい。でもせめて、自分が「このドラマで煙たがられる超絶失礼な人と通ずる考えを持つことがある」人間だということを気に留めておきたいと思う。
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ドラマは佳境に入っている。いろいろな人間関係模様の行く先が気になる。
前田公輝演じる小西のチャラさがリアルで、近寄りたくないように見えて実は・・・の設定も相まって気になる存在。脇役のキャラを好きになりがちである。