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国連と齟齬があるって大丈夫?文科省の考えるインクルーシブ教育ってなに?


先日9日の国連の勧告を受けての13日の永岡文科大臣の回答。


国連が要請した“分離教育”の中止「考えていない」と永岡文科相。通常学級で学ぶ時間を制限する通知「撤回しない」

金春喜 / ハフポスト日本版


この記事を見た瞬間、「日本は大丈夫か?」と思った。

この記事で気になる点。

その① 通知がインクルーシブを推進するって、どう理解すればいいの?

永岡氏は「通知はインクルーシブ教育を推進するもので、(国連に)撤回を求められたのは遺憾」として、撤回しない方針を強調した。

金春喜 / ハフポスト日本版

これについては、大臣が日本の現状、世界の現状をどう解釈し、何をもってインクルーシブを推進するというのか、具体的な説明がないと理解しがたい。

その② 本当に障害児が普通教育を選択できている?

国連の審査にあたって、「障害児は通常の学校(小中高校)に行くか、特別支援学校に行くか選ぶことができる」とも説明していた。

金春喜 / ハフポスト日本版

ほんとにそうなのかな?では、なぜいまだにこんな裁判があり、しかも裁判でも負けるの?
こんな判決が出る国が、「選ぶことができている」と国連で説明するのはおかしくない?


その③ 管理職も含む教員の中にクラス数をなんとか増やすのがよいとする感覚が根付いている。

特別支援学級に在籍する児童生徒の割合が高い10の都道府県・政令指定都市を対象とした調査を実施。その結果、特別支援学級に在籍する児童生徒のうち総授業時間の半分以上を通常の学級で過ごしている子どもが97%を占める自治体があることが判明した。
「本来、特別支援学級の在籍者としてカウントしなくていい子どもを算定することで、(国費で配置される)教員数を多く確保しているとみられる側面もあった」(同省幹部)。

金春喜 / ハフポスト日本版

これ、まさに私の勤務する自治体の話だと思いますが、「人を増やすのが管理職の仕事」「一番手っ取り早いのが、支援学級を増やすこと」というのが、もう定説となっています。たくさんクラスを増やして人を確保した人が管理職として評価されるという世界です。

実際に、そんなに極端に障害のある子が増えるということはないんですが、いろいろな理由をつけて支援学級の対象者ではない子を支援学級に入級させることはできます。
すべては書類上の数字で、実態調査もないので、どんな子でもそれっぽい書類を書けば通ります。
「困り感」とか、主観的なものを数人の主観のみで扱うので、なんとでもなります。
知的障害でなくても、「この子は知的障害です」と書類に書くだけで支援学級に入れます。
それは、文科省も把握していて、そこを何とかしようと今回の通知を出したのかなとは思いますが・・・。
私の勤務する自治体では、児童数450人の学校で支援学級が10クラス、支援学級の在籍児童が65人もいる学校があります。学校の14%を超える児童が支援学級で学んでいるってどういう状況なのかと思います。これは、本当に支援学級での支援が必要な子が入級しているのか怪しいなと思われても仕方ないと思います。
他には似たような学校もありますが、「支援学級の対象となる児童」の状態について詳しい専門家(ほぼいないと思いますが)が、実態調査をしないと、いくら文書で改善を求めても「みんな、支援が必要です!」で終わると思います。
そして、文科省の通知の焦点ともなっている「週の半分以上を支援学級で」ということに関しても、抜け道があり、「退級に向けての取り組みであれば、半分という規定によらなくてよい。」とあるので、「全員退級に向けて取り組んでいます。」と言えば、それでいいんです。

結局、教師不足で学校現場が疲弊する中、なんだかんだいって、この状況が変わる気配はありません。


その④ 通知の趣旨って何?何が正しい理解なの?

「引き続き通知の趣旨を正しく理解してもらえるように、周知徹底する」

金春喜 / ハフポスト日本版


正直、今回の永岡文科大臣の発言は、残念な気持ちです。
国際社会との考え方の齟齬を表に出してしまい、日本が取り残される気配を感じます。

日本の文科省の打ち出している独自の解釈の「インクルーシブ教育」が、本当に誰もが地域の学校で当たり前に学べる「共生社会」につながっていくのか、疑問しかありません。


「分離教育」の原則の中での「インクルーシブ」には無理がある。

以前のこの記事の中に載せた資料に、

3.分離したままの交流ではなく、統合したうえで、必要な配慮と支援を
 「交流」のはじまりは、分けられた側からの、社会性や人間関係の豊かさを求めるものであり、本来は、「統合」に向かうべきものであった。しかし、文科省は一貫して「原則分離」の教育制度を変えず、国内外の「統合」の動きに対しても、積極的に関わろうとしてこなかった。にもかかわらず、「交流及び共同学習」の進展によって「インクルーシブ教育」が実現するかのように論じている。その論理が詭弁であることは、以上の経緯からも明らかである。障害によって分けた上で編成したそれぞれの教育課程の目的に見合った「交流及び共同学習」の進展は、結局、さらなる分離を進めていくことになり、インクルーシブ教育とは反するものである。
 障害者権利条約のめざす共生社会の実現のためには、「共に学び共に育つ」という根本的な教育の目的をたて、原則分離の教育制度を改め、どの子も普通学級に籍を置き、その上で、必要な配慮と支援をおこなっていくべきである。

障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク
(2010.10.18)


ここにも、書かれているように、「原則分離」で「インクルーシブ」っていうのがそもそも無理があるし、世界の「インクルーシブ」と矛盾するところだと思います。

ここを変えないと確かに進みようがないと思います。


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