◇未来
長年
ゲーム業界に居るわたしですが、
今まで
「#こんなデザイナーになりたい」と
具体的に感じたことが
なかったことに気づいた。
わたしのnoteでは
わたしのそれまでの経験を
振り返り
客観視することで
改めて今の自身を
見つめ直すことが目的なので
早速振り返ってみようと思います。
いつもより長めですが
紅茶でも飲みながら
お付き合いいただけると嬉しいです。
◆イラレさえ触れれば
大学ではデザイン学科で
精密描写イラストレーションの
制作をしつつ、
広告に興味を持って
勉強していた。
大学の授業が全て終わると
pcルームに篭って
イラレ独学の時間。
参考書など微塵も見なかった。
イラレは大学1年の
前期の授業でしか取り扱われず
イラレの魅力に
取り憑かれたわたしは
親に帰りが遅いのを怒られても
イラレに触れていたかった。
大学を卒業後、
インターンでお世話になっていた
広告代理店で修行。
精密描写も好きだけど
デザインの仕事をするなら
デジタルしかないことはわかってた。
そこでイラレで仕事できる
環境を探していたのだ。
ある日(その①)
モバイルコンテンツの会社が
デザイナーの募集をしていた。
イラレがメインの仕事だ。
広告代理店でも
イラレを触ることができたことに
感謝はしているのだが、
使えるバージョンが
もはや
CS、ではないのだ。
CS、以下のものだった。
新しいバージョンのイラレを
触ることができる、
しかも担当するのはじぶんがよく遊ぶ
アバターゲームのアイテム制作だ。
「ここに入りたい!」
「ここに入れば毎日イラレで
仕事ができる!
しかも最新のバージョンだ!
あぁそしたら
なんて幸せなんだろう!」
当時就職エージェントなんて
存在すら知らないものですから
応募なんて全てがダイレクト。
しかしそれで面接が決まり
1発で内定をもらった。
新卒未経験でモバイルコンテンツの
デザイナーになってしまったのだ。
毎日が刺激。
毎日が幸せ。
だってあんなに長い授業を受けた後で
1日の楽しみだった
pcルーム引きこもりイラレが
朝から1日中堪能できるのだ。
しかも大好きな
アバターゲームのアイテムを
ひたすら作り続けられる。
「イラレさえ触れればもうそれでいい」
とさえ感じていたのだ。
ある日(その②)
有名なキャラクターブランドの
モバイルサービスに関する
仕事の担当になった。
これはかなり光栄なことだった。
しかし、
アバターアイテムの制作の仕事は
ひとまずお休みして
イラレではなく
フォトショを触れというのだ。
しかもただひとつの商品を
作り続けるのみならず
UIまでも担当しなくてはならなかった。
UIって何?
しかもイラレじゃないしよくわからない。
最初は困惑した。
しかし当時の担当の上司は
とても優しくて
なんでも教えてくれたし
イラレでできる内容のものは
積極的に教えてくれて
わたしに仕事をくださった。
次第に
フォトショも使えるようになり
UIデザインに興味を持ち始めた。
「UI、たのしい」
「もっと知りたい」
「そしたらデザイナーとしての
お仕事の幅が広がるかもしれない」
それまで
「イラレさえ」と思っていたのが
「UIもたのしい」と気づけて
仕事の幅を増やすことができました。
◆ソシャゲ時代の幕開け
「うちの会社も
ゲームを始めます!」
社長が突然そう言った。
当時mixi、モバゲー、GREEは
もはや日本人の生活の一部
と言っても過言ではなかった。
今のTwitter、Facebook、
instagramのように
誰もが何かしら利用している。
そんな時代だった。
ありがたいことに
じぶんがリリースに携わった
アバターゲームが
社会現象を起こすような
大きな存在になり
笑えるほど流行った。
会社も異常なまでに盛り上がって
毎週パーティーをしてたと思う。
毎日イラレで楽しんで
デザイナーとしての仕事も増えて
ゲームを運用する上で
発生するであろうデザイナーの仕事は
全てこなせるようになっていた。
ありがたいことに
チームメンバーのマネジメントや
アートディレクションも
経験させてもらった。
ある日(その③)
制作物の依頼内容に違和感があった。
イベントのテーマと
最終報酬の内容がどうにも噛み合わず
モヤモヤとしていたのだ。
レッドvsブラックが
イベントのテーマなのに
最終報酬がオレンジ、という感じだ。
そのオレンジどこからきた。
そこで企画そのものを
一緒に考えようと
プランナーさんと話し合った。
これがまたとても楽しかったのだ。
「ゲームを考えるのたのしい」
「今までデザインさえできれば
いいと思ってたけど
せっかくゲーム会社にいるんだし
ゲームのイベントを考えて
提案できるようになりたい」
デザイナーとしての所属だったが
企画周りの会議にも
参加させてもらえるようになった。
この頃はKPIなんて
微塵も理解できなかったけど
でも、たのしいイベントや
ガチャのテーマを提案して
それがユーザーに喜んでもらえて
ガンガン売上に貢献できたのが
もはや快感になっていた。
社内表彰は確実に
モチベーションに繋がったし
たくさんの仲間に頼りにされていたのは
本当に嬉しかった。
◆変化
時代は流れ、
わたしもゲーム会社を転々として
多くの経験をさせていただいた。
ガラケーは廃れてゆき、
スマートフォンの普及により
ゲームの販売方法やフローの多様化。
わたしも大きく変化した。
「イラレさえ触れれば」と
デザイナーになり、
UIに興味を持って
デザイン業務の幅を広げた。
ゲームの時代が到来して
自身の制作物のみならず
部下や外部制作物の
アートディレクションや
マネジメントも任された。
企画の相談から始まって
プランナーになり、
エンジニアさんとも会話できるように
仕様や画面遷移についての勉強もした。
さらにゲームを運用するための
知識を得たいと感じて
プロジェクトリーダーに任命された。
最終的に
ゲームそのものを作りたいと思えて
ゲームディレクターになれた。
今となってはフリーランス。
作りたいゲームについて
日々愛情を注ぐ、
ただそれだけを貫いている。
こんな未来を
誰が想像できただろうか。
確かに
半年後、3年後、5年後、
どんなデザイナーになっていたいか
こういった
向上心のある理想というのは
目標を立てやすいし
その目標に向かって努力を始められる。
しかしわたしには
そのような理想を
考えられる余裕も時間もなく、
目まぐるしく加速し続ける
その日々に注がれる
・依頼された仕事内容
・時代の流れや変化
・関わった仕事仲間
・ゲームに対する好奇心
これらによって
【わたし】は作られ
【わたし】は育てられ
【わたし】として
今も存在しているのだと思う。
◆本題
お待たせしました本題です。
半年後、3年後、5年後、
どんなデザイナーになっていたいか。
近しい未来にフォーカスいただき、
これから身につけたいスキルや、
関わりたい分野、目指したい職域などを、
#こんなデザイナーになりたいの
ハッシュタグをつけ、自由に投稿ください。
とのことでした。
こんな理想の話をするのが
初めてなので
あるわけない正解を
探しそうになるような、
そんな気持ちになりますが…
わたしは
ゲームを作れるデザイナーであり
デザイナーだからこその
表現や知識、思いを持った
柔軟性の優れた
ゲームディレクターでありたい
これまでの経験で
ゲームを作る上で
必要なもの、
それは
【品質の高い柔軟さ】
制作物のクオリティチェック、
仕事仲間との関わり、
企画立案の内容や調査、
KPIから考えられる戦略策定…
ただ柔軟なだけではダメで
その品質の高さが
物をいうのだと思い知りました。
ゆえに現在
ゲームを開発する上で
UnityやLogic pro、
Live2Dやゲームシナリオなど
積極的に勉強しています。
じぶんの存在の
ハイブリット化を
試みています。
中にはそんな存在を利用して
私益にしようとしてくる人も
当然いますし、いました。
でも、
それは無知だったじぶんに
気づくことができる
一つの機会でもありました。
それによって
上質な柔軟性を持って
何事にも取り組むことの
重要性を知ることができました。
おかげさまで
多くの経験を
させていただきました。
その経験を生かすのは
まさに今なのだと感じています。
◆そういうわけで
こんなわたしですが
一緒に仕事しようぜ!って方
ぜひ仲良くなりましょう!!
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