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ゼンゼロをやっていると「真面目」にやることが「まじめ」で無くなっていることを感じる

皆さんこんにちは、暑さにめちゃヨワしょこらです…。

週明けに50人超ぐらいの方に向けて話す機会があり、ちょっと生産性について考えていた週末でした

そんな折、タイムリーに「10年見て修行しろ」がちょっとした議論になっているのを発見。理解できる部分もあったり、そうは言ってもなーと思う部分もあります。

つまり、「YouTubeで動きを学べ勢」の私としては、見ることでしか分からないことがあるのも理解しつつ、こういう「真面目」な姿勢が時代と本当に合わなくなっていることも感じています。大きいのが「機会費用」の存在です。

機会費用とは、もしその資源をそこに投じなければ、他に投じることができたことで得られたハズの利益のことを言い、つまりオルタ私の可能性です。そして最近の時代の変化からすると、「真面目」にやるには、この機会費用が大きすぎるんですよね

今回は、そんなことをゼンゼロをやりながら考えていたよ、というお話です。


変化が激しすぎる世の中…

最近ようやくFF16をクリアしまして、それはそれは面白かったのです。怪獣大決戦、良いですよね。映像美・音楽美・操作美。なんだかまさに最新のゲーム体験だなーと感じました。

オープニングからスゴいよね

一方で、結局毎日続けて遊んでいるのはゼンゼロや原神なわけです。FF16もゼンゼロも、製作にはとんでもない量の資源が動いているにもかかわらずです…。

Googleトレンド、FF16と原神の比較…

そして、最近の中国のソーシャルゲームの勢いはものすごく、大ヒットしたものが出ると、それを真似するゲームがとんでもない量で出てきます。もちろん生き残るのは一部のみだと思いますが、後続組のレベルもスゴい勢いで上がっています

こんな環境の中で、今までと同じように一球入魂で何年も掛けて「真面目に」コツコツと昔と同じ方法でゲームを作って売ること自体が無理ゲームになっているのだろうなと感じるのは、私だけではないはずです。

ゼンゼロのムービーは、どれもがどれもスゴすぎる

昔ならではの「真面目」さが、急速に時代に合わなくなっていっているのを感じます。変化の最中にいる時には、何が良い方法なのかは手探りなのです。

時代の変化は加速していくでしょうし、この「真面目の罠」に苦しむ人はもっと増えていくのだろうなと思うのです。

「真面目」にコツコツは縛りプレイ

このnoteもそうですが、私にとって記事を全てコツコツとタイピングで書き上げるのはもう「縛りプレイ」になっています。

音声で入力して、ChatGPTで形を整え、noteに貼り付けて読みながらタイプで直す。そんな書き方でないと、書きたいことを持ち時間で書くことが出来ないのです。もうそれはそれは外部のツールに頼りっきりな状況です。

ですが、これを真面目にタイピングでなんとかしようとすると、本当に大変なのです。日々タイピングの速度と精度を上げて、指が喋るようになるまで長い時間を掛けて訓練を積む必要があります。

一方で、その方法で速くなるのはせいぜい10-20%で、とてもではないですが半分の時間で書き上げることなんて出来ません。それなのに「真面目」にタイピングに勤しむのは果たして「まじめ」なのでしょうか

そんなことを考えて、私はタイピングでキレイに書く方法を諦めました。結果、どうしても口語体になってしまいますし、語彙も文学的でもセンス良くもありませんが、伝えたいことは短時間で伝えられるようになりました。

こんな経験からも「何にこだわり、何を割り切るのか」を決めることこそが「まじめ」さなのではないかと、ひしひしと感じるのです。

パリィの気持ちよさは中毒レベル

ゼンゼロも同じで「気持ちの良いゲーム体験」にとことん振り切っています。そのために凄くこだわっている部分と、潔く割り切っている部分を感じます。その「こだわりと割り切り」が今の時代に合っているからこそ、一気に多くの人に受け入れられているのでしょう。

「まじめ」になるのは大変

もう古い例になってしまいましたが、サメ映画の傑作『ジョーズ』の撮影現場はかなり悲惨な状況だったのだそうです。

イマイチな脚本、動かないサメの模型、遅れるスケジュールに膨らむ予算。『ジュラシック・ワールド』や『インディ・ジョーンズ』で知られるスピルバーグ監督でも日々頭を抱えるレベルの惨状だったと聞きます。

ここでスピルバーグ監督が「真面目」に与えられたものを使って撮影を進めようとしていたら、もう二度とスピルバーグ作品を見ることは出来なかったはずです。

そんな状況の中、スピルバーグ監督は脚本を無視し、サメの模型を諦め、サメに恐怖する人の表情に焦点を移して撮影を続けたのだそうです。結果は、ジョーズは今でも語り継がれ、スピルバーグ監督は数々の名作を残し、サメ映画は立派なジャンルとして確立しました。

「真面目」に取り組むことは、決して結果に対して「まじめ」であるとは限らないのです。

もしかするとエレンちゃんも無かったかもしれない

頑張っているのに結果が出ない、時間も労力も注いでいるのに評価されない。そう感じている時は「真面目」になってしまっているのではないかと、立ち止まる瞬間が必要です。

過程に「真面目」になるのではなくて、結果に対して「まじめ」になる。それこそが、変化が激しすぎる世の中で、本当に求められる「まじめさ」なのだと感じるのです。

落ち着いて抜け道を探すのじゃ

なんてことを週末に「真面目」に考えている時点で機会損失が大きそうですね。ゼンゼロして遊ぼうと思った今日この頃なのでした。

ではでは。



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しょこら
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