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月に一度のセンシティブ

この土日は月に一度のセンシティブ期間で、ベッドにほとんど伏していた。

腹痛やら頭痛やらだるさやらが過ぎ去るのをただじっと待っているのでそれはもう修行のような気持ちになる。
女性はこんなイベントが月に一度という頻回なペースで訪れるのだから不憫な生き物だと個人的には思う。

この期間は体だけでなく心もセンシティブになる。笑えるほど剥き出しになった心は取り扱いが難しいが、感受性が敏感になる分、創作が捗るし芸術鑑賞もより効果的に味わえる気がしている。

そんな期間に私が読んだ本はこちら。

小池昌代さん編著の「恋愛詩集」。先月、善光寺にある朝陽館という本屋で出会い、衝動買いをした。
小池昌代さんは大学時代にお会いしたことがある。中原中也に関する講演会で、私のゼミの先生と対談をされていた。この方の人柄も文章も好きだった私は、本屋で久し振りに再会したことの嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになり迷わず手に取ったのである。

社会人になってから、なぜか詩集が読めなくなった。小説はまだ読めるけど、詩はむず痒く感じて読めない。

学生時代は逆だった。詩集の言葉は心地よい速度で体に馴染み心の養分となっていったが、小説は読み易すぎて文字を視線で撫でても、頭に入らず滑っていくことが多かった。

今は小説の方が読みやすい。社会人の私でも、小説を読んでいる自分は許容できる。
ただ、社会人の私が詩集を読むと、蓋をしていた一部の感情の渦が突然現れ、一気に飲み込まれそうになるから近寄らないようにしている。

おそらく、自分が社会不適合となる可能性のある要素を、詩には触発してしまう力があるのだろう。上手く言えないけれど。

だから普段は詩集を読めないのだけど、月に一度のセンシティブ期間は特別で読める時がある。中原中也で卒論を書き切った私には生き甲斐を取り戻すような感覚だ。

「恋愛詩集」はあっという間に読んでしまったが、選ばれた詩も、小池昌代さんの書評も、どちらも読み応えがあった。特に小池さんの始まりに添えられた文章があまりにも心地よく、あとで模写をしようと思うくらい、すっかり心をときめかせてしまった。

吉原幸子と茨木のり子がやっぱり良いなあと思った。学生時代から好きな詩人も作風も変わらないでいる自分のことが嬉しく思った。
読書は自己解放にも繋がると感じた。

次は川上未映子さんの夏物語を読み始めた。
長編なのでいつ読み終わるか分からないけれど、読書の時間はこれからも大切にしたいと思う。




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