気持ちが反射する
ドラマ「あのキス」を見ていて、松阪桃李と死者の魂とのつながりから、映画「ツナグ」を思い出して、原作を読もうと思ったら、未読の続編が出ていた。
もちろん続編から読んだ。ストーリー追いたい狂だから(笑)
主人公の成長や変化も垣間見え、本編での苦みのある心残りも、いい感じに解消され、最高の続編だった。続編いらなかったな、とか、お商売に走りすぎた?とか、たまにあるんだけど、これは書いてくれてよかったし、読んでよかった。
続編からの、本編も久しぶりに読んだ。続編で回収されたことを、忘れていた細部なんかを補いながら、あとからかみしめて読む。これも本好きにはたまらん贅沢だなぁと思った。
本当は去年読みたかったのだけれど、去年は手が出せなかった。死の匂いが強すぎたのか、生死の距離が近すぎたのか、どうなのかわからないけれど。
あれからたくさん考えたり、本や映像作品から受け取ったり、書くことでアウトプットしたり、そういう「寝かせ期」を経ての、「今」でよかった、今だから心穏やかに読めたのかな、と思う。
若くして亡くなられた料亭のお嬢さまと、当時そのお嬢さまを慕っていた料理人見習が対面したときのやり取りが、私の探し求めてきたことへの、一つの答えというか指針みたいなものに思えた。
お嬢さま亡き後、料理人は結婚し、子どもも生まれ、自分の店を持ち、繁盛させている。順風満帆に見える人生を歩んできたことを知ったお嬢さまは、「幸せやないの」と責める。
「はい。幸せな人生を送らせていただいたと思います」
「あっきれた!何や、うちのことを憧れやのなんやの言うといて、皆、うちがいいひんでもちゃあんと幸せやないの」
「幸せでしたけど、それでも、誰一人、あなたのいない人生でよかったと思った者はいませんよ」
(中略)
「絢子さまのご両親も、お友達も、昭二さんも、私も――。皆、それぞれの道を行きましたけど、本当はあなたとずっと時を過ごしたかった。運命が少し違って、今の自分の店も家族も持てなかったとしても、それでも、選べるならあなたの生きている世界で私は生きたかった。他の人だって同じです。皆、そう思ってずっと絢子さまと一緒に生きてきました」
思いを携えて、生きていく、ってことでいいんだな。後ろめたさとか罪悪感とか嫌気とかいろいろあるけど、楽しんで幸せでもいい。思い続けることと、生きていくことは並行してていいんだな〜と胸を張っていけそうだ、ありがとう。
もう一つ、私のモヤモヤ解放ポイントがあって、「母親って、自分の子どものことはなんでも自分に責任があるんじゃないかって、そんなふうに思うものなのかな」という主人公歩美の発言に対して、おばが答える。
「傍で見てても、歩美のお母さんは料理上手な、気遣いも細やかな人だったけど、それでも、子どもに何かあるとそんなふうに思っちゃうんだよ。そんなの、その子の単なる好みのせいなのかのしれないのに、どうしても自分の中に原因を探す。——あるいは、原因が自分にあると思いたいのかもね」
「原因があると思いたい?」
「そう思うことで、自分の子どもにいつまでも子どもでいてほしいんだよ。当の本人からしてみると、いつまでも子ども扱いされているようでありがた迷惑かもね。母親のエゴっていうか、図々しい話に思えなくもないんだけど」
近年何かあるたびに「私のせい」思考にとらわれていて、とらわれてもそこは不毛だから、何も解決しないこともわかってきて、だいぶ抜けつつあったんだけど、エゴかー図々しいのかーそこまでかーま、それもそうだな、と笑いがこみ上げるほどで、カラッと消化させてもらった、ありがとう。
だからもうやめようって思いました。
母が子を思うほどには、子は母のことを思ってないし、子の中の母が占める割合って成長に伴ってどんどん減っていく一方で、世界が広がっていくんだからそれは当たり前で、いつまでも母が全てじゃねーんだよ、そんな影響力あるわけねーだろ、あーもうそういうの重たいんだよ、ってことにもなるんでしょうね。
逆考えたらそうでした。重い母にはなりたくありませんぜ。
スッキリしたところで、一転して笑いがほしくなった。単純だ。このところシリアスなもの思いが続いたからかな。笑いたい、笑いをくれ、笑わせてくれーとなりました。
三浦しをんの楽しいやつを図書館で借りてきて、浴びるように読んで、ふふっ、くすっ、と笑って満足したと思ったら、これも続編あったわ~と、すぐさま図書館に取って返し、おかわり。
読んだことあるから展開知ってるのに、ちゃんと笑わせてくれる作品、すごいな、ありがとう。
今月は笑っていこう、かな。