あみだくじを生きる
昨年の6月から7月にかけてのアメの話。『回遊魚』の続き。
世の中が動き始めたら、起き上がりこぼしが戻るように、自然と戻るものだと思っていた。だから、やっと元に戻るんだと安堵したし、心配事から解放されると喜んだし、元いた場所に戻すだけだから何も心配していなくて。
やっと始まる~万々歳~だと思っていた。
しかし。
堕ちるときは早く、あがるのは困難で、遅々として進まない、堕ちた時の何倍もの時間を費やして、やっとなんとか。
そんなことを痛感した一年でした。
*
学校が再開する。
人数も時間も徐々に増やしていく、何もかもが手探りでこわごわ行われている感じだった。軟着陸ならぬ「軟離陸」。なまってしまったアメにはちょうどよいと思ったのだが、甘かった。
休校の間は、「学校がないとだめ」「学校に行かないと勉強できない」だったのが、いざ始まるとなると「学校に行けない」「人と会うのが怖い」になった。
休校明けのはじめての登校日、学校を休んだ。行く意味がない、とか言ってたな。
家にいても何にもない日々。
動かない、しゃべらない、部屋にこもったままネットサーフィンをしているか寝ているだけ、友達ともつながっていなかった。もちろん勉強もしない、学校にも行けない。無気力無関心の塊をどうしたらいいのだろう。
本人は進学を希望していたが、もうムリだなと思ったし、それならそれでも仕方ないと一旦あきらめた。
「勉強ができるようになるのは、他のいろんなことができるようになったあと、最後だよ」とお医者様からも言われた。
後になってアメに聞いたところでは、何か月も鉛筆の類を手に持っていなかったらしい。
「最後」の順番が来るまで、スモールステップから始めるしかない。まずは部屋から引っ張りだすことから。こんなにスモールでは元の軌道に乗せられるのはいつになることやら、ゴールとの果てしない距離に、内心くらくらしていた。
何がゴールなんだか、元の軌道ってなんなのか、今となってみればちゃんちゃらおかしい気もするんだけれど。
部屋から引っ張り出したら、家から出す、日光を浴びる、たわいもない会話をする。
散歩に行ったら「行けたね」とねぎらって、ジュースを買って飲んだり、好きなお菓子を買ってあげたり。小さなころはそんなことしなかったのに、この年になって甘いもので釣ったりなんかして。
朝歩いたときに「朝の光っていいな」とアメがもらした時は、弱々しさに涙が出そうになった。
学校が本格的に再開した。
びっくりするほど体力がないから、計画的に間引きながら。
電車が怖くなり、登校途中で帰ってきたこともあった。
勉強のことは、どうなっているのか一切触れなかった。
比例のグラフのようにはスーッと上がっていくことはなかった。行きつ戻りつ、浮き沈みも激しく、ぐにゃぐにゃうろうろ迷走だった。
押していいのか引いた方がいいのか、微調整の連続でこちらも神経をすり減らした日々だった。
アメの情緒がめちゃくちゃ不安定で、攻撃やとばっちりをたっぷり食らった。
この時期の記憶は、もやぁ~っとしている。
振り返ってみると、あの頃が一番暗いところだったのかな、と思う。
前にも後ろにも光が見えない暗いところだった。
*
ここで終わると暗すぎるので、その後のことを少し。
その後も引き続き、様々な困難がありまして、アメのやりたかったことができるところに進学しました。
「アレがなかったら」「アレがあったから」思うことはいろいろあるけれど、今も変わらず、悩み苦しみ壁にぶつかり砕け散っているので、「アレがあろうがなかろうが」アメなんだな、と思っています。
降りかかってしまった出来事は、どれだけ元通りにしようとも爪あとを残していく、その是非を問うことに意味はないのかもしれない。
あみだくじの横棒が1本足されてしまったら、ルートが変わってしまうように、何もなかったことにはならない。
横棒が増えたり、消えたり・・・もしかしたら縦軸が書き加えられたりもする。
そんなイレギュラーな巨大あみだくじを縫うように進む生き物なのかもしれない、と想像してやり過ごす。