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元日の決意

いろいろあった2021年を総括しなくっちゃと思っているうちに、大晦日。
もう今年の締めくくりとか振り返りとか、やめちゃってもいいかな〜と思ったのですが、書きます。

・・・と、ここまでが年末のラストのnoteのさわり。

綴りはじめたものの、どうしても続けることができませんでした。

葛藤を抱えているときに、文章が書けなくなる病にかかっているか、呪いがかけられているんでしょう。

でも、満足のいく文章が書けなくても、こころのうちのもやもやを、脳細胞にくぐらせて、ことばに置きかえて、アウトサイドへぽろん〜と、はきだしたい。

というわけで、数年来の知人にメッセージを送ることにした。

以前は、日常的にやり取りがあったけれど、今は年に一度か二度、近況報告をする関係。よき友よき先輩よき理解者で、いつも勇気づけてもらっている。
今年はまだだったわ、と彼女に狙いをさだめ、駆け込み気味でキーボードをたたく。

心を占めてぐるぐるしていたお悩み事項は、大人の階段を上ろうとしている子どもの扱いについてだった。
もう子どもではない、でもまだ大人じゃない。
放っておけない、いや、もう放っておきたい。

あちらもあちらで、構わないでほしい、でも構ってほしいこともある。

大いなる矛盾と戦ってました、双方ともに。

いろいろ進めていかねばならないことがたくさんあるんですが、任せておいたら進まないし、口をはさむとウザがられる。
では、自己責任でおねがいします~と知らんぷりしてやろうかと思うんですが、引いたところで解決するわけでもないし、実際困るだろうし、後始末をするのは結局わたしで、引いていた時間の分だけもっともっと処理がたいへんになるわけで…

どうしたらいいんだろう。
こういう段階の子どもの、親の出る幕はどの辺までなんだろう。

疎まれてもお世話を続けるべきか、否か。
疎まれるなら捨ておくべきか、否か。
追い詰められるまで待つか、否か。

そんなことをずっとためこんでいた。

この一年を、子どもとの関係に一点集中、フォーカスしまくりでつづる。まとめようとするけど、まーまとまらない。思いつくまま、ぶつっ、ぶつっとこま切れの文章。頭が回ってないんだな、という文章だった。

なんとか大晦日のうちに書き上げて送った。今年のホニャララ今年のうちに、だ。

翌日、お返事が来ていた。元日だよ、元日。お正月早々ロングメッセージありがとう。

うちもそんな時期あったよ、どうなることかと心配でたまらなかったけど、4年くらいでぐっと成長したよ、などなど。

え、うそ、そうだったんだ、とびっくりした。

以前から、知人のお子さんとうちの子、よく似ているなぁと、シンパシーを感じてた。

でも、今のうちの子の状況はひどすぎて、かけ離れてしまったと思っていたんだけど、やっぱりまだそっくりだった。笑っちゃうくらいに似ていた。

別人だし、同じように成長するとは限らないのはわかっているけれど、救われる思いだった。そんなタイプの子もいるのか、ってモデルケースを見せてもらったような。

そんな生活続けてたら、だめになっちゃうんじゃないかって、めちゃくちゃ心配したけれど、本人にとって必要な時だったんだろうと思う、と彼女はふり返っていた。

わたしにも「信じてあげよう、きっと成長するから」と。

胸のつかえがすぅーっと、とけるように消えていくのがわかった。ありがたくて泣きそうになった。

心配でもダメになりそうでも、子を送り出そう。好きなように思うままに、歩ませてみよう。

今度こそ腹をくくった、という2022年元日の話。

と、バタバタしている間に、一月も半分が過ぎ。

遅ればせながら、ご挨拶を。

note友のみなさま、大好きです、今年もよろしくお願いいたします。






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