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これって神経質?それとも…寄稿した記事が炎上したので、その理由を探ってみた。

先日、某サイトに次のようなコラム記事を寄稿しました。

「ひとりの母として、お願いです。保護者に断りなく赤ちゃんに手を伸ばすのはやめてほしい。」
※リンクは貼らないので、記事の詳細が気になる方が恐れ入りますがググっていただければ幸いです。すぐに出てきます。

ここではおなじみの「ムスメ」が0歳児だったころ、わたしをモヤモヤさせていたもの。それは、親に断りもなくいきなり赤ちゃんに手を伸ばす人の存在でした。

記事のざっくりとした概要は次のとおりです。

①「わたしは、ムスメを産んで神経質になりました」
はじめての我が子に、神経質になっていたわたし。
なんでも舐めて確認したがる0歳児のムスメのために、オモチャをこまめに拭き取る、手洗いを徹底するなど気をつけていました。
過保護で、神経質すぎるかもしれませんが、まだ弱い赤ちゃんに対しては、神経質になるぐらいでちょうどいいと思っていましたし、いまもそう思っています。

②「我が子に触れようとする手、清潔ですか」
ムスメとお散歩にでかけると、いきなりベビーカーに手をつっこみムスメに触れようとする人によく遭遇しました。
「かわいい赤ちゃんね、触ってもいい?」なんて会話さえありません。
いきなり、手を伸ばし、太ももをつかんだり、ほっぺをつまんだりします。
そういう人って、ムスメが寝てようがおかまいなしです。
もうね、すごく不快でした。
家族が子どもを守るために手洗いを徹底しようとがんばっているなか、どこのだれかもわからない人に、いきなり顔や体に触れられる。これ、こわいんです。

③「赤ちゃんだってこわいんですよ」
当たり前のことですが、知らないひとにいきなり手を伸ばしてこられたら、赤ちゃんだってこわい思いをします。
人見知りのないムスメでしたが、あからさまに嫌な顔をして泣きだすことは少なくありませんでした。

④「悪意はないからやめてと言いにくい」
とはいえいきなり手を伸ばしてくる人には、だいたい悪意はありません。
こちらが警戒しているなんてみじんも思っていないんだろうなぁと思うと、「やめてください」なんて言いにくいものです。
でも、わたしはいきなり赤ちゃんに手を伸ばされたら警戒します。
だって、いきなりですよ。なにされるかわからないんですもの。

⑤「過去には悪意によって赤ちゃんの骨が折られた事件も」
見知らぬ他人に触れられ、その人が悪意を持っていたために赤ちゃんがケガを負ってしまった事件も過去には起こっています。
結果として、赤ちゃんは太ももの骨を折ってしまいました。
赤ちゃんに触ろうという人に悪人はいないと思いたいものの、過去にそういう事件があるんだから警戒してしまうものです。

⑥「赤ちゃんに手を伸ばす前に、保護者に必ず許可をとって」
まずは一緒にいる保護者とコミュニケーションをとってほしいものです。ひとこと「触ってもいいかしら」とワンクッションあると、警戒は少しほどけます。

……記事の内容としてはこんな感じです。

要するに、「親への断りもなくいきなりベビーカーに手をつっこむような真似はよしてくれ!」と訴えた記事でした。

Facebookには批判、twitterには共感が集まる不思議

これについたコメントが、Facebookとtwitterで大きく分かれるというとても興味深いことになっているので、ご紹介したいと思います。

Facebookで多く支持されているコメントは次のようなものです。

・潔癖すぎ。そんなに人に触られるのが嫌なら無菌室で育てろ
・好意で触ってあげてるのに。寂しい世の中ですね
・免疫をもらえずにアレルギーになり早死にすればいい

なかには、こんな過保護な親に育てられた子どもは友達ができないに違いない!なんかも散見されました。
ほぼ反感。それも、なかなかの過激派です。うへぇ!ってなりました。

いっぽうで、twitterに多く見られたコメントは次のようなものです。

・わかる、わたしも嫌だった
・子どもはいないけれど、知らない人にいきなり触られたら嫌でしょ
・犬だって飼い主の許可をとるのがマナーです。赤ちゃんも同じでは

ほぼ、共感です。

集まったコメント数としては、どっこいどっこいです。
しかし、「共感のtwitter」に対し「反感のFacebook」とはっきりとわかれたかたちになりました。これ、なぜでしょうか。
考察していきます。

記事に対する反応がSNSによって違うのは「世代差」?

育児にまつわるコラム記事を書くと、twitterでは多くの支持を得られ、Facebookでは多くの批判をくらうというのは往々にしてあることです。

その理由のひとつが、世代差かもしれません。twitterの平均利用年齢は比較的若く、10代~30代ぐらいの利用者が多めです。
一方でFacebookの利用者の年齢は比較的高く、中高年層に多いのが特徴的です。
実際にコメントをくださる方の年齢も、これに沿うかたちで偏りが見られました。
子育てに関する記事に対して、twitterに共感が多く、Facebookに反感が多い理由は、「現役」か「子育てを終えた世代」かの違いかもしれません。

「記事をどこまで熟読しているかの差」も

わたしはコラム記事を執筆するときに「共感と反感」を意識して書いています。
正直に申し上げますと、「こんなことを書けば、こんな反応があるだろう」なんていうのは想定済みです。今回も例に漏れず、思惑どおりの結果となりました。
なぜそんなことをするのかと言いますと、「ウンウン、わかるわぁ」だけの記事では、心に引っかかることがないため、スルーされてしまうことが多いんですね。
そういう記事って伸びません。多くの人の目にはとまらないんです。

わたしの場合、コラム記事のねらいは、わたしの主張をもとに、いろんな人に考えていただき、議論を引き出すというところにあります。
共感だけでは、議論は生まれません。「思わずコメントをしたくなるような要素」が必要です。

そこでわたしは「見る人が見ればムッとするような見出し」に、「なんだそれだけのことか」な本文を挿入するような構成をとるようにしています。
そういった構成にすることで、見出しを見てムッとした人が、その後本文まで読み進めてくれたかどうかも測りやすいのです。

よく読んでみると、この記事だって大したことは書いていません。
「なんの前触れもなくいきなり赤ちゃんに手を伸ばさないで」なんて、当たり前のことですよね。

しかし、この記事の見出しだけをパパッと読むと、いかにも神経質で潔癖な女が、親切心で赤ちゃんを愛でてくれた人をバイキン扱いしているようにも見えるかもしれません。

SNSによって共感と反感が分かれた理由のもうひとつは「記事をどこまで読んでいるか」どうかにあるのではないでしょうか。
記事への流入は、Facebookからのほうが多いのですが、もしかするとリンク先への滞在時間はtwitterのほうが長いのかもしれませんね。
いずれ調べたいと思います。

子育てを終えた先輩諸兄は、新米ママからの「意見」を嫌う

以前「ムスメが傘を横持ちする人に顔を突かれてケガをしました。傘の持ち方に気をつけましょう」なんて記事を寄稿したときにも、このような傾向はみられました。
twitterには「危ないから気をつけよう、これこわいよね」というコメントが多く集まり、Facebookには「子どもがケガをしたのは親の責任。人に配慮をお願いすることが図々しい」というコメントが多く集まったのです。

現役で子育てをしている方からの共感が多く、子育てを終えた先輩諸兄からは「図々しい」という批判をよくいただきます。
もしかすると、子育て駆け出しのペーペーが先輩諸兄に「お願い」や「配慮」を求めるなんてことが差し出がましいというお気持ちなのかもしれません。

子育ての世界って、中学高校の部活動みたいだなァと思うことがあります。
先輩・後輩の関係がはっきりとわかれた「縦社会」です。
しんどい思いをすることも少なくない子育てで、それを乗り越えてきた先輩諸兄には尊敬の気持ちがわくものです。
一方で、新米の意見がまかりとおりにくいと感じることは少なくありません。
経験者の言うことは、参考になります。ただし、時代とともに価値観は移ろうものです。

かつて、母親が噛み砕いたご飯を赤ちゃんに食べさせていた時代に生きた人は、「虫歯菌がうつるので同じ箸を使うのはNG」なんて考えを、なかなか受け入れようとはしませんからね。

価値観の多様性を認めないことの恐ろしさ

わたしは「こんなことをされたら嫌なので、こうしてください」と声をあげました。
それに対して、「悪気があってやっているのではないのだから、そう思うことはおかしい」という声が多く集まりましたが、これって実はとてもこわいことだと思いませんか。

これって、イジメにも同じことが言えると思います。
人によってはなんてことない話でも、それを不快に思う人がいる。
「やめてほしい」とあげた声に、「そう思うことがおかしいのよ」なんてコメントがかえってくること自体が、わたしは恐ろしいなぁと思うのです。

人には人の考えがあります。
わたしはわたしのことを「図々しい女だ」「こんなやつに育てられる子がかわいそう」という人の考えを否定しません。
わたしの記事を見てそう受け取ったなら、きっとそういう価値観なのでしょう。別に、いいと思います。
「悪気がないんだから触ったっていいでしょ」というコメントをくれた人のことだって否定しません。ただの価値観の違いです。

ただし、「そう思うことがおかしい」という声には疑問しか残りません。だって、わたしとあなたの価値観って違うでしょう。
誰かにとっては愉快でも、誰かにとっては不快なこと。
「嫌だからやめてください」が軽んじられ、「そう思うことがおかしい」がまかりとおってしまえば、その価値観は殺されたことになります。
価値観の多様性を認められないことこそ、寂しいことだなぁと思いました。

今回、Facebookでは燃えに燃えましたが、やっぱりわたしの考えは変わりません。
親に断りなく、赤ちゃんに触るのって良くないことだと思いますよ。

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