私を飽きさせないことと、成熟スイッチ。
1ヶ月ほど前に、髪の毛の色をかなり落とした。そしてしばらく同じ形だったカットの形も変えた。マッシュウルフのようにして随分印象が変わったと自分でも思う。ここ数年自分の対しての「飽き」が繰り返しやってくる。もともと飽きっぽい性格ではあるけれど、人生も40年を半ばを過ぎ、残りの人生どうやってこの飽きと向き合っていくのか。そしてどう年齢を重ねていくのか、これが私の最近の最大の関心ごとだ。
いつも違う自分になりたい
先日、林真理子さんのYouTube「マリコ書房」の中で「日大理事長の話をなぜ受けたのか、話があっても動ける人と動けない人がいる。林さんはなぜ動けるのか」という問いを投げかけれられた時、彼女からこんな言葉が出てきた。
林さんは自分に飽きるとは言っていなかったけど、私はもしかして「今の自分に飽きてくる ≒ 違う自分になりたい」のかもしれないと、この動画を見た時に思った。髪の毛を変えるのも一種の変身願望だろうし、自分をなんとか飽きさせないように常に違う場所がないかを探している。子育てでもしていれば少しは飽きから解消されるのだろうけど、私はそんな環境にも身を置いていない。そして飽きもせずいつも新しい何かを探している。もちろん私には日大理事長のような話はあり得ないので、自分で次の自分の置き場を探すしかない。
日常の中に違う自分を探す
例えば髪の毛の色を変えること、新しい洋服を買うこと、ネイルやメイクをを変えることは日常の中で最も簡単に新しい自分に出会える方法だ。だけど、そんな小手先のテクニックでは満足できないので、時々引越しや転職などといった大掛かりな変化をやってみたくなる。若い頃よりはフットワークは軽いとは言えないけど、その変化に向けて動き出す(準備を始める)ことはまだできる。
「説教くさくならない」ためにはどうしたらいいのか?
このYouTubeを見たことがきっかけで彼女の「成熟スイッチ」も読んでみた。実はわたし、小説も含めて彼女の本を読むのは生まれて初めてなのだ。ananのエッセイや週刊誌の連載を読むことはあっても、特にファンというわけでもなかったので本を読んだことがなかった。実際に読んでみるととても読みやすく、いろいろと心に残る言葉があり、本当に気をつけて歳をとって(成熟して)いかなければ、こりゃヤバい老人になりかねない、と危機感を感じたことが大きな収穫だった。また、私は仕事で若い人たちと接することも多いので、説教くさくならないためにどうしたらいいのかを考えるきっかけにもなった。正直、この本の中には若干「説教くさい」と思う部分もなきにしもあらず……。一時代を築き、日大理事長もやっている人が書いても説教くさくなてしまうのだから、私なんかがそんなことしてしまったらおそらく目もあてられない(もうやらかしてしまってたらどうしようw)。
私は自分から後輩や部下を食事や飲みには誘わない。上下関係があり、断りずらい状況であることは確かなので、断ることができず無理についてきてしまったら申し訳ないし、それこそパワハラになりかねないからだ。ただ、誘われた場合は絶対に断らないようにしている。そして一次会の支払いはするけど、二次会には参加しない(お金も渡してはいないけど)。二次会に参加しないのは上記のような理由もあるけれれど、12時を過ぎて帰宅すると体力回復するのに数日かかるし、次の日も予定が入っていることが多いので、翌日の予定や仕事に響くからという理由も大きい。
マナーの注意はどこまで?
仕事で言いにくいことを指摘するのはまだしも、マナー的なことはどこまでいえばいいのか本当に悩む。これこそ余計なお世話やおせっかいになる可能性が高いし、世代によって感覚も違うからだ。以前、自分のチームから他部署にした部下が「お世話になりました」といって地元の有名なお菓子を持ってきてくれたのだけど、賞味期限が渡された当日だったことがあった。私は人に食べ物を送る時は次に会うタイミングを計算して、そこから最低でも1ヶ月以上あるものを選ぶようにしているので、これは結構な衝撃だった。贈り物の作法は間違えてしまうとかなりのダメージになるし、諸刃の剣なので気をつけたほうがいいと思うのだが、それを指摘するのは私ではない(指摘するとしたら彼の奥さん)ような気がしたので、そのまま特に何も言わずに受け取った。この手のことは日々たくさん出くわす。この本の中では、手書きのお礼状が良いものとして書かれていたけれど、私は頂いてもどうしたらいいかわからない、捨てにくいし、保管場所に困るという理由で紙のお礼状や手紙を好まない。もちろん気持ちは嬉しいのだけれど。
そっと見守るスタンスで(難しいけど)
難しいけれど、やはり「そっと見守る」というスタンスが一番であるということ、そして自分自身が楽しそうに人生を生きていることがきっと若い人たちに一番影響するんだろうな、と思う。細かいことは言わずに仕向けたり、見守ったりしながら。「僕たちが何を言っても一度は受け入れてください」と言われたことは衝撃だったけど(自分だったら若い時上の人にそんなこと絶対に言えなかった)、これもまた時代なんだと思う。私は私で思考をアップデートさせながらアジャストして生きていくしかないんだな、と思う。
さいごに
自分を飽きさせないでちょっとずつ変化や進化(?)をしながら楽しそうに生きていくこと。これが成熟した大人になる近道なんだろう、と思う。若い頃は私も穴に入りたくなるようなおかしなことをたくさんして、目上の人たちにいろんなことを思われながらここまできたにだろうし。きっと時代が変わってもお互い様なのだ。私が接しているZ世代もまた20年後私と同じようなことを感じるようになるはず(笑)だからね。
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