無邪気でいられた時代
最近、と言うよりは
もう何年かずっと食べたかったもの。
初めて鉄板ナポリタンを食べた時の衝撃。
その場所にいた理由。
少し複雑だった家庭環境で、
私が無邪気でいられた理由。
ナポリタンを食べながら泣きそうになる。
鉄板ナポリタンを初めて食べた日の事を
よく覚えている。
その日、幼稚園を休んで
バスや電車を乗り継ぎ、
母と名古屋の大きな病院にいた。
母は、よそ行きの一丁らを着ていた。
私は、何をしにどこへ行くか知らず、
ワクワクしていた。
病院にかかっていたのは母で、
幼稚園の帰り時間に間に合わないから
私を休ませて連れて行ったのだと思う。
多分、予約していたのだろうけど、
待って待って、ひたすら待った。
到着した時は、混み合っていた待合室には
診察が終わった頃には、誰も居なかった。
とっくに昼も過ぎていたと思われる。
私はおなかぺこぺこ。
母は、私を連れて、
病院の地下にある食堂に連れて行ってくれた。
「好きなものをたべていいよ。」
きっと母はそう言った。
母に付いてきた甲斐があった。
オムライスにしようか、
パフェにしようか、
プリンにしようか、
幼稚園の私はきっとそんな事を考えていたはず
母が頼んだのが
件の鉄板ナポリタン
その時自分が何を頼んだか覚えていないのは
その鉄板ナポリタンの衝撃がすごかったから
だと思う。
スパゲッティが鉄板に乗ってる!?
卵と一緒に!?
当時。
母は、父の酒癖の事で、
すごく苦労していた。
アルコール依存症
本人も辛いが、家族も辛い。
初めは円形脱毛だった。
けど、じわじわ範囲が広がった。
母、30代のころ。
ある時から、母はカツラを着用していたし、
私もそれを知っていた。
カツラである事を全く隠さなかったし
髪の毛が抜けたくらいで死なない。
くらい、あっけらかんとしていた。
でも、カツラをつけていない姿は、
子どもに絶対見せなかった。
ある時、私は幼稚園で
同じクラスの子たちに、
「うちのお母さん、ハゲてるんだよ!」
と言ったのだ。なんなら自慢げに。
その頃、ちょうど流行り始めた
"アデランス"のCM
アデラ〜ン〜ス〜を、
ハゲラ〜ン〜ス〜
なんて替え歌にして笑っていた。
全く悪気なくそんな事をしていた私。
幼稚園でのその一連の出来事を
面白おかしく母に伝えた。
母は、
「みんなに、そんなこと言ったの?
じゃあ、chocofumiのお母さんですー!
って、カツラ取ってみんなのところに
行っちゃおうかなー。」
と、面白そうに笑っていた。
私は慌てて、来ちゃダメ〜と泣いた。
今になって、このやりとりを
時々思い出してしまう。
私が無邪気でいられたのは、
私たち子どもに
落ち込んだり悲しんでいる様子を
全く見せなかったから。
父のことも悪く言ったり愚痴ったりも
しない人だった。
なんて強い人なんだろう。
私が無邪気でいられたのは、
母のおかげだけれど、
それが、母の救いになっていたならいいな。
と、今さら思う。
髪の毛が全て抜けた時、
「先生、全部抜けちゃいました」
と言った母に
「そうですね、
これで後は生えてくるだけですね。」
と主治医が言ってくれたことを
母は、よく懐古していた。
やっぱり、辛かったんだ。
支えが欲しかったんだ。
…と感傷に浸りながら
食べたナポリタン。
あの時のナポリタンを
二度と食べることはない。
幸せなことなんだろうけど
少し寂しいのは
なんでだろう。