ココロの疲労に気づく触覚を鍛え、その質感を探ること
「疲れてる…」それを感じるのって、簡単そうで実は難しいと思う。
本当は疲れが溜まってきているかも?って感覚のときに気付きたいもの。
「今、自分は疲れてきている」を感じる触覚のようなもの、質感のようなもの。
なんとなぁ〜く、分かりますか?
これ、日本人は特に苦手な人が多いと思う。
頑張りすぎている人、すごく多いと思うもん。
漠然と不安になったり、涙がこぼれたり…そこまでになってやっと気づく人の多いこと。
そんな中でも、まだ他人を気遣う人の多いこと。
私は、少しずつ感じる努力?みたいなものをしている。触覚を鍛えて質感を探るような…
日々、誰かの何かの心配をしながら生きてきたように思う。自分を最優先していたこともあっただろうけど、そういうのって都合よく(!?)忘れがち。
みんなもそんなもんだよね??
私はキャパも大きくないから、自分の疲労感覚に意識を向けることを、ここ数年は特に意識している。
キャパが大きくないと気付いたのも恥ずかしながらここ数年の話。
「気づけない疲労」うまくいくときはうまく拾える。
ダメな時はやっぱり拾えない。
疲れすぎてしまう前に見つけて拾うのが、いつも元気に過ごすコツなんだと思う。
✤✤✤
そういえば、私の大切な人が言っていた。
「〜したい!」はしないやつ。
本当にする人は「〜する!」と言う…と。
その人は突拍子もないことを思いつき、そして始めるところがある。そしてちゃんと達成してしまう。
私と似ているところもあるけど、私のほうが先の心配を考えるところが決定的に違う。
確か、「心配事の80%は起こらない。16%は対処して回避できる。実際に起こるのは4%」なんて話があったよね?
その4%に囚われて、可能性を潰してしまって来たのかな?なんて考えると、ちょっともったいない。
先日その人と話した。ちょっとしたやりたいこと、夢の話。
その1週間後くらいかな?
「で、あれはどうしたの?」と言われた。
そう!またやろうとしてるね、私。「〜したい!」で終わらせること。
でも、その人の前では「今はちょっと…」それは言い訳にしかならない。その人は実際に行動に移して、ずっと続けている。根拠のない自信をいつも持っている。
疲労を感じたりしないのだろうか…
強靭な心身はどうやって創られたのだろう?心配になるほど働いて、いつ寝てるの?ってほど遊んで。
いつでもポジティブでアクティブで、キラキラと眩しくもある。
漠然とした不安を抱えて悲しかったり、頑張れなかったり、これがココロの疲労なんだと思ったり…みんなあるよね?
本当は彼の中にもそういうこと、あるのかな?
✤✤✤
ココロの疲労。コントロールは可能なのだろうか?
休み休みでもいい。その人のペースで進むこと。
もっと言えば生きること。
一歩が大きくても、小幅でペースが遅くても…ときには後戻りしても、自分のペースを自分でコントロールしていくことがみんなができるといい。
疲労の触覚を鍛えて質感を探る。
一度、ココロが壊れてしまうと、元に戻るのは容易ではない。
だから、壊れてしまう前にちゃんと休息を取ることが必要で最重要。
鋼鉄、鋼メンタル、ハイパーポジティブだからって安心しないでほしい。
自分は強いと思い込み、気づくことができていないだけかもしれないから。
今日も明日もゆっくりと焦らないで、慌てないでいこうよ。