看取りを考える①受容のスケール
花が自然に開くように、今という一瞬一瞬に心をこめて真剣に生きる
パピヨン 死と看取りへの旅 (角川文庫(学芸)) https://www.amazon.co.jp/dp/4044003076/ref=cm_sw_r_other_apa_i_ngk5EbBTKNHMS
介護をしていると1度は聞いたことのあるエリザベス キューブラー ロスの名前。
ホスピスケアの観念を作った方です
彼女がいたからホスピス、終末期医療が生まれたと言っても過言ではなく、マザー・テレサと同時期に活躍しました。
パピヨンはロスが気になって本を書こうと取材していた作家が突然に父親を看取ることになり、ロスの「死の受容のプロセス」を体験していくという内容です。
人生は廻る輪のように (角川文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4042920012/ref=cm_sw_r_other_apa_i_Xmk5EbCFDFMD2
も是非合わせて読んで下さい。ロスの一番血気盛んだった頃の活動の記録です。ロスが意外とぶっ飛んでいて、ハチャメチャな人生を歩んでいたことがわかり面白いと思います。
物凄く激しい本なのですが、パピヨンと合わせて読むと、彼女自身が書いた本から受ける激しさだけではなく、痛々しいくらい実直で人間的で愛情深くてというロスの本質が伝わってくるようになります。
彼女の書いた本は基本彼女の考えと言うより、実際に起きた事実のみ描かれており情緒的ではありません。学術的な記録と言ったほうがいいと思います。
ロスは、晩年体が不自由になりグループホームに入ります。神への怒りを吐き社会的な繋がりが途絶え、周りから人がいなくなった一方で、家族との絆を深めていきます。
晩年自分のことをこう言っていたそうです。
「長いあいだ他者に愛を与えてきたわたしは、人から愛をうけとる訓練ができてないの。でも、ようやく受容の段階に到達したいという気がする。」(パピヨン 死と看取りへの旅より)
自分が創造し、学んできた死の受容の段階を一歩一歩確信を持って歩んでいきます。
神への怒りを感じ、抑うつの段階ねと自分で答えている、晩年のインタビューもあります。
死の受容のプロセス
すべての死は段階を経て受容するといいます
言葉にすると下記の感じですがロスは死の床で受容についてこう言ってます。
「頭の先から足の先まで、全てで受容したとはっきりわかるものよ」
感覚的なものだということかもしれません。
否認・隔離
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ
なにもできなくなる段階である。
受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である
(wikipediaより)
「怒りは開放しなければ自由になれない」とロスは言っています。
私自身介護者として看取りをしてきて感じてることがあります。
死の瞬間人は自分らしさそのものになる。
死ぬことは通常は恐れと恐怖のイメージです。しかし老衰で亡くなる方のイメージは大抵かけ離れています。
もちろんがんなどの痛みや思うようにならない体への苛立ちを抱えることもあります。しかし死に近づけば近づくほど、どんどん殻を脱ぎ捨てて最後は驚くほどシンプルなその人そのものになっていき、穏やかになっていくように感じます。
その姿を見てると「あなたは、あなただから素晴らしい。ありのままに生きていい。あなたが生きて呼吸しているそれだけで価値がある。」と感じられます。
それは、ロスが死を新たな出発と蝶に例えたように。
私には、花が自然に開くように、今という一瞬一瞬に心をこめて真剣に生きるそんな姿に見えます。
ロスが伝えている受容とは、そういう勇気を貰える看取りの創造であり、それを目指していたんだなと感じます。