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あの頃、田舎で、母と二人で。

とある田舎の人口より牛が多い町
なんと、エホバの証人は母と私だけ

元々いた高齢の姉妹が娘さんのいる他の市に引っ越してしまい、そんな時期が生じました

週二回の集会はワンマン列車に揺られ隣の隣の町の王国会館まで通う生活
今は廃線になった国鉄時代のローカル線
家に着くのはもちろん夜10時過ぎになります

廃線後は真っ黄色のローカルバスで、遠くに連なる山脈と一面広がるジャガイモ畑を眺めながらの往復
冬は真っ白な平野に防風林
田園風景や季節毎の匂いって忘れられないものですね

日曜日の帰りはバス内に設置のブラウン管テレビで『のど自慢』が流れるタイミング
心置きなく見られるのが唯一の楽しみでした
素人が歌う流行りの「この世の歌」を聴ける貴重な時間でしたから…
必ずあみんの『待つわ』を歌う二人組がいる時代です

そして書籍研究の司会者は被り物をしたうちの母
あとは私と高校生の研究生二人

数千円で賃貸していた、群れで利用の木造二階建家屋を思い出します
冬は早めに行って雪かきをして薪ストーブに火をつけ室内を暖める準備から

ストーブの扉を開けると外の煙突から入り込んだ雀ちゃん達が中で力尽きていたり、まだ命あって外に逃がしてあげたこともありました
(何度土を掘って弔ったことか…泣かずにこらえるのにヒッシでしたよ)

研究生の家の飼い犬が建物の外に迎えに来ていて、クシャミをする度に司会者以外全員ついクスクス笑ってしまい怒られたのも懐かしいです
書籍研究終わるまでクシャミしながらお座りして辛抱強く待つ風邪引きわんこ、あまりに健気すぎる…冬なのに

頻繁に注解も朗読もしなくちゃいけないから、予習の欠かせない小学生時代でしたね
たぶん一番聖書を読んでいたのがその3~4年生の頃

特開のパートナー姉妹達が派遣されるまでの期間、母は独りどんな気持ちであの町で奉仕していたのだろうと考えてしまいます
旦那に反対され社宅暮らしで白い目を向けられながらも、揺るがぬ信仰と信念のもと熱心に述べ伝えようと真面目に奉仕していました

車も持っていないから、町全域の奉仕のために自転車に乗る練習を始めた40歳頃の母
日が暮れた後の広い駐車場で子供ながらに一生懸命教えましたよ
いっぱい転んでいっぱい擦りむいて、とても虚弱だった母が手に入れた夢のチャリンコ生活🚲

広い田舎でのお買い物にはもちろん役立ったと思うけれど、集会や奉仕のためだったのがしょっぱい後味ですね

子供過ぎて私が気付かなかった苦労はたくさんあったのでしょう
でも愚痴を聞いたこともなかったし、あまり従順でなくて悪い子で煩わせてごめんねって今では思えるようになりました

現在は群れから昇格してその町にも王国会館が出来て成員も増え、あの頃の純朴な研究生達が熱心に開拓してしまったこと、母も貢献したことを思うとなんだか胸が苦しくなります
献堂式に招待されて母もなんか経験話してたっけ
当時の写真、どこにあるだろう

とにかく素朴で良い方がたくさんいた大好きな町でした
健康だったら、老後の住処にしたかったくらいに

その後の引っ越し先が残念な会衆だったせいか、余計に第二の故郷的な想いが強く残るのです
特別開拓者ってクリスチャンとして立派な人格な方ばかりなのだと思い込んでいた、良いほうの田舎の思い出話でした

真夏のポテチ工場を通り過ぎる度に感じた懐かしい匂いがふっとよぎって、とりとめもなく書いちゃった

noteの下書きはたまったまま
JWとしての過去を綴るの、なかなか難しいな、進まないな
牛歩だけど少しずつ心を整理していきます

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