めっちゃメスシリンダー(創作)
俺はメスシリンダー。
名前とかニックネームとか、そうゆうことじゃなくて、本物のメスシリンダー。
そう。あの円筒形の容器。極めて明瞭。
人間に生まれたのに、メスシリンダーなんて命名されたら嫌だよね。俺なら嫌だな。
俺たちメスシリンダーには、どうゆうわけだかまれに感情や感覚が芽生える個体が生まれる。俺もその、めったにない内の一つってわけだ。
人間に伝えるには“魂が宿る”って言葉がしっくりくるだろうか。
魂が宿ったメスシリンダーは、お互いにメッセージを送り合うことができる。
特定の個体へメールする感じではなく、井戸端会議のようにみんながガヤガヤつぶやける場所があるのだ。そこはランダムなグループで構成されている。
作成するメーカーや職人さんによってメスシリンダーの見た目が違うように、俺たちの性格もそれぞれ違う。同じロットで作られたメスシリンダーは性格も似てるらしいけれど、同じロットから複数の魂持ちが生まれるケースはあまりない。
少なくとも俺の周りにはいない。
俺は俺のことを俺と呼ぶけれど、性別があるわけではない。製作した人の言語が影響するらしい。「メスシリンダーがあるってことは、オスもいるのか」というありがちな疑問は日本製のメスシリンダーにしか通じない。
そう、俺たちは作られた国によって理解できる言語も違うのだ。
海外で作られて日本に輸入されたメスシリンダーは、メスシリンダー同士の意思疎通は出来ても、利用者がなに言ってるかわからない。わからなくても不自由はないが、楽しみは半減する。
俺たちは人間の会話を楽しみながら収集し、それを仲間に教えることが好きなのだ。
ちなみにメスシリンダーのメスは、測るという意味のドイツ語からきているらしい。メジャーといえば分かりやすいかな。
そんな説明を先生がしているのを聞いた。
先生というのは、俺が納品された中学校の理科の先生。俺はこの学校の理科室の棚にいる。
俺が中学校にいると言うと、かわいそうにと言ってくる仲間がいる。ご想像の通り、壊れる可能性が高いからである。
たしかに、先生が大きな声で「ガラスで出来ているんだから丁寧に扱えよ」と繰り返し言っても、がちゃがちゃと手荒につかむ奴らもいる。いや、半分以上がそうだ。
中学生が元気すぎるのは当たり前で目くじらを立てることではないので、俺は心の中でニヤニヤしながら授業の手助けをしている。ニヤニヤしたからといって目盛を乱すような能力はないから安心してくれ。
まあ、端的に言えば、いつも目新しいことが起こるこの環境を俺は気に入っているのだ。
研究所の実験室などと違って、出番がそれほど多くないためか、俺はあんがい長生きしている。俺たちの寿命の目安である製品の耐用年数を超えてはいるが、胴体も口もまだまだしっかりしている現役だ。
今日は久しぶりに先生が俺たちを棚から出して授業の準備を始めた。
先生の口元に飯粒がついているのを発見したが、伝える術がないので自分で気づくことを祈った。俺はこの先生を案外気に入っているのだ。ポッチャリとした少し多めの面積、いや体積には生徒への愛がつまっている気がする。
早くすてきな嫁さんをめとれますようにと、そんなことまでついでに祈る。
理科室に生徒が揃ったことを確認した先生が、教科書をめくりながら今日の授業の目当てについて話し始めると、一人のめざとい生徒が「先生、左の唇の上にごはんつぶがついてますよ」と明確な指摘をした。目上の人に対する礼儀として小声で。
先生は、「あっ、、、」と口元をぬぐうと、小さく「ありがとう」と言って授業を続けた。
メスシリンダーの使い方は小学校時代に習っているはずなので、メリハリをつけながら復習という感じで説明される。
生徒たちが俺の胴体にヒヤリとした色付きの液体を注ぐ。まずは目分量で入れてから、目盛を水平方向からのぞきこんでくる。今日の俺は2班のテーブルに置かれたようだ。目力の強いミドリちゃんがぐいぐい近づいてくる。
化学部のミドリちゃんは、明朗快活で目立つこともあるが、何より俺たち器具をいつも注意深く扱ってくれるので、顔と名前を覚えてしまった。
ミドリちゃんは、ひとしきり目盛を眺めると「美しいよねぇ」と、うっとりした目をしてガラスを愛でている。
俺は恥ずかしくなって中に入っている液体を赤く染め、、、られるわけではないけれど、気分はそんな感じだった。
隣にいた友だちに「メスシリンダーと話が出来たらいいのにな」と話しかけて、「ミドリってリケジョのくせに、メルヘンチックだよね」と笑われている。
「なに言ってるのよ。理科はメルヘンそのものじゃないの」と、ミドリちゃんが興奮すると、先生から「そこ静かに」と注意された。
「理科はメルヘン」、名言だな。
メスシリンダー仲間にも教えてやろう。
「メスシリンダーもメスフラスコも最初に作ったひとはすごいよね。素材も無駄のないフォルムもよく考えられていて」と、先生に注意されたにも関わらず、ミドリちゃんはまだ熱く語っている。
「自然の恵みっていうけど、人間の作ったものも恵みだよねぇ」と言う。
褒められた俺はうれし恥ずかしい気分だ。
小学校時代の実験で理科愛に目覚めたというミドリちゃんは、実はかなりモテていることに本人は気づいていない。まるで自覚がないのだ。
俺は、チラチラとミドリちゃんのことを見ていて気もそぞろになっている男子を見つけると、「器具を割るなよぉ」と祈る。前回の実験でビーカーを割った奴は、ミドリちゃんを気にして手元がおそろかになったんだと、俺は気づいている。
一方ミドリちゃんはといえば、同じ化学部のメガネくんが気になっているらしい。実験中は脇目もふらずに手元に集中しているミドリちゃんだが、理科室からの移動のときなどにメガネくんを意識しているのが伝わってくる。
俺は、メガネくんを気にしているミドリちゃんを心から応援している。
メガネくんは、俺たち器具の扱いが慎重だし、面倒くさがる生徒が多いなか、洗浄も念入りにやってくれる。人が見ている見ていないに関係なく、いつもそうだ。
メリットのあるなしで行動を変えたりしない。それは人間が一人もいないときを知っている俺たちだけに分かることかもしれない。
授業の様子を見ていると、メガネくんが最近めきめきと目覚ましい進歩をとげているのがわかる。よくメモも取るし、もともと明晰なので今後も楽しみだ。
なにが言いたいかというと、ミドリちゃんは見る目があるってこと。
俺たちへの賛美も含めて、だ。
さあ、今日のメスシリンダーの出番が終わった。俺たちはきっちりと洗ってもらい、いまは準備室で風乾燥中だ。滅菌まではされない。
俺はからだが乾くあいだを瞑想タイムにしている。特に悩みごとがあるわけではないが、メンタル面のメンテナンスに瞑想はもってこいなのだ。
窓から涼しい風が入ってきた。
人の手によって作られた俺だが、エアコンよりも自然の風が心地よいのは人間と同じのようだ。
しばらくボーッとした時間を楽しんでいると、授業を終えたメガネくんがやってきた。
俺たちが乾いているかを確認して、棚にしまうつもりらしい。
ミドリちゃんも準備室に入ってきて「迷惑じゃなかったら、手伝いたいんだけど……」と言った。
メガネくんは「ありがとう。ぜひ」と静かに微笑んだ。
二人がカチャカチャと手際よく俺たちを棚にしまっていく。
珍しくない光景だが、今日はなんだか少し違う雰囲気だ。
メガネくんが唐突に「ミドリちゃんはめんこいね」と言った。
ミドリちゃんはハッとした顔をして「あれ? メガネくん、東北の人?」と聞いた。
いや、ミドリちゃん、そこじゃないだろう。
俺はヤキモキした。
メガネくんはハハハと笑うと「親二人とも北海道の女満別出身だよ」と言った。
「そうなんだー。うちはパパが目白でママが目黒なの。面白いでしょ?」とミドリちゃんはニコニコしながら話して、またハッとした顔になった。
ようやく自分が可愛いと言われたってことに気づいたらしい。
「メガネくん、あのね。前に明治神宮の森に行ってみたいって言ってたでしょ? 今度の土曜に一緒にいかない?」とミドリちゃんが少し早口で声をかけた。
「か、観察のために」
ちょっと噛んでいる。
「うれしいな。駅前でメガパフェも食べようか?」とメガネくん。
「めっちゃうれしい! どんなメニューがあるかチェックしておくね」と赤くなりながら答えるミドリちゃん。
俺もめっちゃうれしい。
メスシリンダー仲間にも伝えて、みんなで二人がめでたしめでたしとなることを祈るよ。
メールアドレスを交換して気持ちがたかぶったせいか、ミドリちゃんが目頭を押さえている。それをやさしく見守るメガネくん。目いっぱい甘やかしそうな予感。
二人の馴れ初めに立ち会えるなんて名誉なことだよな。
ほんわかとした会話が棚から少しずつ遠ざかっていき、準備室の古い扉がメリッと音を立てたあとパタンとしまった。
目の前のことに気を取られ過ぎて、カーテンを閉め忘れたのだろう。
秋の夕日が窓から差し込み、準備室全体が深いオレンジ色に染まっている。
俺のガラスの胴体にも夕日がキラキラと反射して、女神の祝福のようだ。
今まで人間を羨んだことはなかったけれど、俺もドキドキしてみたいなと、今日は少しだけ思ってしまった。