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【み】神輿と三峯神社とミア・ファロー
五十音一文字ずつから三つの言葉を選び、自分語りをしています(五十音ブログ)
ワクワク製造日
子どものころからお祭りが大好きだ。屋台での買い食いはもちろん、町の人が一緒に楽しんでいる姿を見るのも好き。地元のお祭り以外はなかなか行くことが出来ないが、友人がアップする神輿の写真を見ているだけでもワクワクする。
十代のころに初めて神輿をかつがせてもらったが、いやはや重労働でビックリした。あの時のふくれあがった肩の痛みも強烈だった。粋でいなせな祭り衣装の女性たちの心意気も体力も尊敬する。
でもでも、とても楽しかった。またかつぎたいと思ったが、それから一度しか機会は訪れなかった。
小学校PTAの校外委員として、子どもたちが神輿の綱を引く付き添いをしていたら、女神輿をかついでいたオバサマ方に「もう疲れたからちょっちょちゃん代わりなさい」と、口調はやわらかだが命令を受けた。
地元というのは恐ろしいもので、誰も彼もにお世話になっている。喜んで交替したのは言うまでもない。
とてもワクワクした。
これから先はかつぐことは無いけれど、ずっとお祭りを楽しめるように健康でいたいと思う。
祈りと感謝を捧げる場所
ご縁というのは有り難いもので、以前から憧れていた秩父夜祭に2017、18年と伺うことができた。もっとも肝心な場面はまだ見ていないので、「次こそは!」と思っている。想いが完了していないのはステキなことだ。
行くたびに秩父が好きになる。
昨年、横浜の易者のオジサマから唐突に「三峯神社にお参りしなさい」と言われた。曖昧な話が進んでいたなか、急に具体的な場所を示されて驚いたが、強いご縁を感じた。
初めて訪れたときのブログがこれ。
そしてビジュアルブックのご紹介はこちら。
丁寧に生きるとはどういうことなのかを、自然に考えさせてくれる場所である。
遠くから祈りと感謝を捧げる。
傷つきやすく尖ったひと
街というもの、街の名前を意識したのは、1960年代に放映されたテレビドラマ『ペイトン・プレイス物語』のペイトン・プレイスが最初だった。
母がたいそう夢中になっていたので、幼かった私の記憶にも鮮明にインプットされたのだ。白黒という理由だけでなく、ペイトン・プレイスの空気はなんとなくくぐもっていた。
主役の一人である痩せっぽちのミア・ファローは、とても傷つきやすい人に見えた。幼いながらも、この人が好きだと思った。
代表作である『ローズマリーの赤ちゃん』は怖くて観たことがないけれど、ミア・ファローは今でも私が最も好きな女優である。『華麗なるギャツビー』も良いけれど、何回も何回も繰り返し観たのは『フォロー・ミー』。少し尖ったところのある彼女が、尖ったところを失わないまま、心を通わせていく。絶妙な距離感もたまらない。
先日、友人がブログで、茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』を取り上げていた。私から見たミア・ファローは、とことん感受性を守っている女優なのだ。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子
詩集「自分の感受性くらい」より
いくつになっても尖った部分を捨てない。
そういうひとに私もなりたい。
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