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小説『ふわふわ』

「ふわふわ」が君の口癖だった。感触の表現はもちろん、気持ちが落ち着かないときも身体が熱っぽいときも、そして春になったときも、君はいつも「ふわふわ」と言った。

「春がふわふわするってどういうこと?」
 付き合い始めて最初の春だった。初耳の表現につい君に尋ねた。君の返事は質問だった。
「春だなあってどういうときに感じる?」
 難しいことを聞くなあと思いながら、直感で答える。
「んー、冬が終わって暖かくなったら?」
「そうだね、暖かくなると春だね」
 進度の遅い会話はいつものことだ。
「春がくると、ふわっとするの。空気が柔らかくなって包んでくれる。暖かい空気は上にいくんでしょ? きっと私を包む空気が私をふわっと持ち上げようとしてるの」
 君は真面目な表情でそう話した。僕がふうむと唸りながら君の言葉を咀嚼している間、君は黙って待っていてくれる。
「じゃあ、春はふわふわして気持ちよくて、一番好きな季節ってこと?」
 そう訊くと、今度は少し困った顔をして答える。
「一番、とかじゃないなあ」
「じゃあ二番? それとも三番?」
 続けた質問に、君の困り顔が深くなったから僕は言ってから「しまった」と思った。
「二番でも、三番でもないよ」
「全部好きなんだね」
 失敗を挽回したいと、一転したことを言う。馬鹿だ。
「うん、全部好きだよ」
 変わらないトーンで彼女が答える。続けて話す表情はふわふわして見える。
「それで春はね、安心する」
「春が安心する?」
「うん、ふわふわするものは安心するの。夏みたいにわーって盛り上がったり、秋とか冬みたいに切なくなったりしないの」
 ふわふわの話だとよく喋るのかもしれない。関係ないことを考えながら、僕は頷く。
「私を追い立てたり、後ろに引きずったりしないでそこに居てくれる。春だけふわふわして、私のまわりに居てくれるの。わかる、かな」
 うーん、と考えながら話してくれる君の話、君の感覚をわかりたい。けど、まだ僕には難しかった。あの頃の僕には。
「そのうちわかるよ」
 君の言葉。なんでそう思ったのかわからないけど、そうだといいなと思った。

 春がくる度に、このことを思い出す。あれから三回春がきた。今や僕の「春だなあ」と感じるタイミングは、君の「ふわふわ」を聞いたときだ。
「あれから三年過ぎたね」
 春がくる度に君が言う。同じことを思い出していることに嬉しくなる。
「春のふわふわ、わかった?」
 毎年の質問。今年も答えは変わらない。
「まだかな」
「なんだあ。明日から夫婦なのに、わからずじまいだったね」
 少しだけ残念そうで、そのくせ意地悪な顔をする。
「ふわふわがわかったから、結婚しようって言ってくれたのかと思ったのにな」
 わざとらしいため息をついた。もう、答えはわかったようなものだった。
「二人でいるときの安心感」
 どちらともなく。
「なんだ、わかってたんだね」
「今ね」
「今かー」
 君が笑う。
「二人でいるとふわふわする。春みたいに」
 ねえ、と君が最後に言う。
「これからもふわふわでいようね」

#小説 #春 #ちょび


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