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#191 雨の降る朝は


誰かが花壇に何かしらして通行している。
すぐ思い浮かぶのは怒りなのだけど、
立ち止まると、もしかしたら大切に思ってくれていて、その人なりの優しさなのかもしれないと思うこともできなくはない。無理やりなのだけど。

タム、おはよう。
ありがと。\(^o^)/

ほんとうに地域の中でできるだけ元気に暮らせることが適切なことなのか。介護保険を利用するしないはケアマネや専門的な人たちの判断からどう提案していくかだけど、ワシが今できることは、今住んでる地域の住民さんのニーズと国や自治体の方向性のすり合わせかもしれない。これはちがうと思ったら、声に出さなきゃいけないな、と思ったよ。ありがとう。

前回#190

私には『地域』がない。
『地元』もない。
今居たい場所が『地域』でよいのか。
もし、入院をして、戻るところがあるとしたら、そこが地域なのか。フォローをしてくれる人、つながりのある人がいるのが地域なのか。

その地域が、砂でできた場所で、新築も壊れてしまう場所だったら、そこに戻るのか?
100年以上前から先祖が住んでいたら、そこが地域であり、地元なのか。
私は『心理的に追い出されて』から、『地元』を失った。
地域もない。『無期限の地元の消失』だ。
でも、たぶん公営の住宅の応募条件とか見れば、住民票をおいているとか、◯年以上住んでいるとかがあるんだと思う。
それに従うよ。

『自治体の方向性』
これは市長や町長、議会、その他意見を言う人、声の大きい人、ニーズによって大きく異なっていくみたいだね。
やっと最近わかってきたよ。

場合によっては、自分や自分の意見を通してくれる人が市長にならなければならない。というか、それしかないような気がするよ。そうすればよかったと思ってる。
中1の自分に言いたい。

前は、『誰がやっても、そんなひどいことにはならない』って漠然と思っていたけど、そんなことはないと気づいたよ。なるよ。ひどいことになってる。
国がそう。
そのつながりの強い地方自治体もその傾向が強いと思われる。

テレビやマスコミを利用し、都合のいいように操作する。
巧みな宣伝をした商品が売れる。
巧みな宣伝に成功すれば、意のままに操れる。
意にそぐわない意見は捨てられる。

でも、もうすぐテレビで巨額が稼げる時代は終わる。
というか、もう終わりかけてる。それでもまだかじりついている人がいるから続いてる。

違法なステマは禁止された。
情報操作が巧みだからだろう。
管理したい側が、
他の者たちに上をいかれるのは嫌なのもわかる。
もちろん、消費者の保護もあってしかるべき。

2024/02/04、今日は『京都市長選挙』、『前橋市長選挙』の両方があるらしい。

もしかしたら、他にもあるのかも知れない。

とても明るい気持ちにはなれない。

話は変わるんだけど、超はバス乗る?

#190

乗るよ!
引用が段落毎しかできなくなってて、何回も貼り付けてる。

ワシは車ないから、家族が無理な時はバスが多いよ。汽車もあるけど、駅まで自転車で20分くらいかかるから高いけどバスを使っちゃう。そう、ワシのとこでは電車じゃなくて汽車って言うよ。1時間に2本が基本だから、高校生のとき朝と夜の時刻表はみんな覚えてたよ。

#190

そっかあ。
貴重なバスだね。
バスは割引や回数券とかないのかな。
汽車!懐かしい呼び方だね。
昔は石炭で走ってたのか、今もディーゼルなのかな。独特のバスのような音がして好き。
上に、電線?架線?なんていうのかな、電気を供給する線ある?

あ、あ話はそれるけど、『アルミホイル』って『ギンガミ』って呼ぶ?

今日もバスなんだけど、運転手さんによって乗り心地が全然ちがう。今日はあたり。運転手さんによっては運転が荒くて酔うこともある、無愛想すぎるとなんだかなあ、と思う。今日の運転手さんは乗ったらすぐに、「おはようございます。◯◯行きです。」降りるお客さんには、「ご利用ありがとうございます。足元お気をつけください。」ブレーキもゆっくりで酔わない。普段からいろんなサービスを受けてるけど、いいなあって思う提供者にはチップをあげたくなる!よね。

#190

ほんとだね!あげたい!でも、日本はその文化は、なかなか表に出しにくいから、お手紙を書くとかいいと思うよ!
メールでもいいし。この運転手さんのサービスがとても良かったです。感謝しています。って。
SNSでもいいし。

ギュンギュンブレーキ踏んで、カーブも勢いよく曲がったり、人がいるのに避けるの前提で突っ込んでくる運転手さんも存在する。
時間に追われてる、追わせてるっていう環境要因も大きく影響していると思うよ。

だが、時間通りに来るバスって始発くらいじゃない??
たまに、早く来ていっちゃうバスもあるくらい。最近はないか。昔はよくあって、くそおー!!!と泣き寝入りした。今ならすぐ電話しちゃう。ごめんだけど。声を上げないと
不満がない、満足している、って思われかねないからね。
そこは、多少頑張っても、やるようにしてる。

変な遠慮や、同調圧力や、しなくていい我慢の積み重ねで変な社会になったと私はおもってるよ。
だから怒ってる。許しがたい。後悔してもしきれない。
過去の自分含め、我慢の先にいいことがあると夢見ていたことは間違っていると叫びたい。
だから、死ぬまで黙らないことに決めたんだ。
伝え方は考えるよ。だけど、黙らない。沈黙しない。
それを美徳とすることを許さない。
年齢も国籍も関係ない。
今、日本に暮らす人が今の日本を作ってる。
日本人とか日本国民とかそういう線引きは法律以外必要ない。日常生活では皆同じ。共に暮らす人々。地域をつくる人。

あと、会社にもよるよね。運転手さん。
安全第一なのか、時間第一なのか。売上第一なのか。
乗ってみればわかる。

でも、それも贅沢はいっていられない。
人が足りない。
やってくれる人が常に足りない。

自動運転が。。。とかいってるけど、一般社会的にはまだまだだよね。
多少小型化してもバスこそ自動運転して本数を増やしたほうがいいと思う。
そして本数が増えたら超高齢者や車がない人のためにも、役立つかもしれないし、移動が可能な生活をイメージできるかもしれない。
各自治体で乗合タクシーや、地域を巡る小型バスなどでかなり頑張っているけれど、いざ利用しようとしたら、とてもじゃないけど追いつかない。

病院は?買い物は?孫の世話は?介護は?
足りないよ。広すぎる。時間がかかりすぎる。


運転手さんは、個人差があるのはもちろん、会社による差もあることがわかってきたよ。あとは地域差もある。
大型の免許を持っている人の人柄、勢い、ってのを感じることもあるよ。グイングイン進む人もいる。

車内アナウンスをはっきりわかりやすくしている人もいれば、モニョモニョ昔の電車のアナウンスみたいに言ってる人もいる。聴覚の敏感な私にも聞き取れない。

だからお年寄りや難聴の方々には全くわからないと思う。

そんなアナウンスなら、字幕ではっきり示して欲しい。
と思うんだけど、聴覚からの情報に頼っている人もいるし、資格からの情報が苦手な人もいる。
どちらも、それだけでは不十分。

というのも、ここ数日て白杖を使っている人を3人はっきりと見かけてね。
二人に声掛けをした。

やむを得ず。
1人は赤信号に突入した。
1人はホームで階段を通り過ぎた。
1人はラーメン屋の入口の段差がわからなくて自動販売機に向かって行ってた。
3人目の人は、大通りの向こう側にいたので声がかけられなかった。しばらく見ていたらラーメン屋ののれんをくぐった。その人はたぶん、ここが地元で地域なんだろうと思った。

他の2人は近くにたまたまいたから、すぐ声をかけた。
シンプルを心がけた。

『赤ですよ。』→彼は止まった。
『青になりました。』
→彼はありがとうと言って歩き出した。

『こんにちは、何かお探しですか。』
→はい。乗り過ごしたので戻りたいのです。
『ご案内します。』
→ありがとうございます。
『左に階段の降り口があります。』
 →階段には慣れている様子だった。
→最後の一段が終わる時、若干ズコっとなった。
(声掛けのタイミングが難しかった。申し訳ない。)
『約10m先、正面にエレベーター、左がエスカレーター、右が階段です。』
→階段が良いです。
(私は並走?並んで歩きながらいっしょに階段を上った。)
(ホームに着くと、両側に上り電車が来ると表示があった。)
『向かって左が1番線、右が2番線です。』
『どこまで行きますか?』
→〇〇線の△△駅改札で待ち合わせしているので 
(私の知っている駅の知っている行き方だったので、案内できた。複雑な作りで同じ駅でも違うところに出てしまうのだ。しかし、私はこの駅でいかねばならないところがあった。)
『2番線に各駅が来ます。これにのればいけます。』
『黄色い点字ブロックの向こう側50センチメートル線路側にホームの塀があります。』
→ああ、できたんですね。
『まだ、作っている途中で、ドアはついていません。』
→わかりました。
『電車が来ました。2時の方向にドアが開いています。』
『人が降りてきます。』
『降り終わりました。』
→彼は礼を言って乗った。

この間、駅アナウンスは聞き取れなかった。
当然表示されているから、目が見えて、十分な視力と知識があれば乗れる。しかし。難しい。どんなにAIや機械が発達しても、人間のほうが速いし対応力がある面も多いと感じシーンだった。

帰り道、目をつむって、(若干薄目)
私はわざと足のボコボコを頼りに歩いてみた。
交差点や、進入禁止(エスカレーター逆、出口)などは点々になっていた。エスカレーターは、一つ上の段に足を乗せて平らになったら、降りるぞと決めて、降りた。(薄目開けてたけど。)
その後も点字ブロックはあって、改札も通れた。左右に分かれ、北口、右へ進む。ところが、それをたどっても、わからない。
ついた先のボコボコ点々が階段の降り口で、下から見たら、上り矢印のところだった。つまり、下からは人がどんどん上ってくる。手すりには点字と文字で表記がついているのがみえたが、白杖を右手に持っている場合、手すりに手をやるのは合理的ではない。時間もかかるし、白杖を落とすリスクもある。しかも、そこは、階段の上なのだ。落下しかねない。『階段です!』とかアナウンスないのか。ない。
気付ける人、階段を譲れる人は良い。手すりを頼りに上ってくる人と出会ったらはどうすのか。入念な下見をしているか、介助者と共に行動するのか?慣れないうちはそうかも知れない。
などと思いながら、左側通行し、点字ブロックのない道を渡りスーパーマーケットでいちごを手に取った。視力が極端に弱かったら、場所もわからない。私なら、お店の人に頼むかな。年輩の方の買い物のヘルプをしているお店の人も見かけたことがある。

駅は特に『ホームに落ちない』、『目的地に正確に到着できる』ように、私にできることがあって、本人が望むなら、喜んでヘルプしようと思う。みーーんな、お互い様なのだ。私も知らない間に誰かに助けられている。多分気づいてないだけで、助けられてると思う。

赤ちゃんもおしゃべりが止まらない人大人も、声を出したらいい。みんなお互い様なのだ。みんな赤ちゃんだったし、みんな年を取るし、いつか病気にもなるし、おしゃべりが止まらなくなるかもしれない。

我慢して黙っていて状況がよくなることは、ほとんどない。
あったら教えて欲しい。
傷が治る過程で、(掻かない、むしらないなど)多少の我慢が必要、というのはあると思う。どうしても搔いてしまうなら、その原因や対処も専門家に相談すれば良い。なにかが起こっているときは、必ずなにか原因がある。
今は、わからないかもしれないけど、わかっていない原因という原因がある。

なかったことにする、我慢して黙る。
それとは、わけがちがう。

すこしでも快適に生きていきたい。

またね!


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