化学系博士課程学生が考える:アメリカのやり方①
今年の夏、運良くアメリカ研修プログラムに参加させてもらいました。
それも、博士課程の学生は交通費、宿泊費無料だったので、実質ほぼタダ旅行みたいなものでとてもお得でした。
内容としては、期間が1週間くらいで、半分が講義、半分が企業や大学の訪問といった形で、主にアメリカの風土を知ることが目的だったと思います。
そこで、アメリカってこうなんだ。
と私的に気づいたことがありましたので、書いてみようと思います。
先ほど述べた講義というのは、アメリカで活躍する私の所属している大学の卒業生が講師としてやってきて、その方がアメリカにおいて大事なことであったりなんだりを語ってくれるというものでした。
講義では、やたらと質問することを求められました。
講師の先生曰く、質問しないと自分が存在したことにならないのだとか。
ここで、私は思いました。
アメリカでは、確固たる自分の存在が前提になっていると。
この前提がないと、さっきの言葉は出てきません。
まず、私が考える、自分とは、について書きます。
私は、私が思っているということだけがあると考えています。
つまり、確固たる私などないという考えです。
科学的、物質的に考えてみます。
自分を構成する物質はある周期で入れ替わるみたいです。
であれば、物質的に変わらない自分がいるというのは変です。
ちなみに、このアメリカ研修プログラム前にパスポートの更新をしたのですが、そこに写っていたのは中学3年生の私です。
本当に私か?と目を疑いましたよ。
ならば、精神的な面で変わらない自分がいるということでしょうか。
つまり、意識のことですね。
ですが、変わらない意識などあるのでしょうか。
養老孟司さんの本でよく書いてあるのですが、意識は寝てしまえば消えてしまいますよね。
だから、変わらない意識というのもない。
まとめれば、確固たる私などどこにもないってことです。
そのあやふやな私をアメリカでは大きな前提としている。
これを肌で体感できたのが一つ良い経験でした。
②に続きます。
それでは。