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化学系博士課程学生が考える:本物を探す物語〜やはり俺の青春ラブコメは間違っている。〜

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている、通称俺ガイルを私が知ったのは修士2年の時でした。
研究室の同期のオススメでライトノベルを読み始めたのですが、これがまた面白かった。
一時期、実験の合間は全て俺ガイルを読む時間に捧げる日々を過ごしていました。
反応回したら俺ガイル。
エバポの待ち時間で俺ガイル。
アニメは全話見ましたし、聖地巡礼もしました。
その結果、稲毛海岸が大好きになりました。
先日、国際学会でオーストラリアに行きましたが、オーストラリアのビーチよりも断然稲毛海岸の方がいいですね。
今でも月1くらいで行きます。

では、なぜ私がこの物語にどハマりしたのか。
結論から述べると、まさに真理探究の物語だからです。

一見は学園ものの青春ラブコメです。
しかし、物語の底流に流れる一大テーマは『本物とは何か?』だと思うんです。
このテーマを根幹として、あらゆるストーリーが展開されている。

こんなレプリカはいらない
本物と呼べるものだけでいい
探しにいくんだ そこへ

作詞やなぎなぎ,作曲北川勝利,編曲Katsutoshi Kitagawa,春擬き

これは、アニメ2期のopの『春擬き』という曲の歌詞の一部です。
本物への思いが表れている気がしませんか。

主要なキャラクターは比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比浜結衣の3人で全員総武高校2年生です。
この高校2年生という時期がまたリアルです。
まだ自分が何者でもない時期。
それでいて社会に出るまではかなり時間がある。(総武高校は進学校という設定です)
そして、自我が芽生え様々な欺瞞にはもう気づいている時期。
しかし、それらが偽物であることはわかるのに、何が本物かはわからない。

そう、それが違うことだけはすぐにわかるのです。
でも、何がそうかはわからない。
なぜなら、それが本当に本物かを確かめるならずっと考え続けるしかないからです。
私はこれが真理に対する向き合い方だと思っています。
真理という言葉には、普遍のというニュアンスが含まれます。
どの時代においても共通するという意味です。
そして、自分で思索を重ね、『これは本当なんじゃないか。』と思ったとする。
それをそこで止めてしまったら、普遍かはわからなくなってしまう。
だって、10年後はそうじゃないかもしれませんからね。
だから、ずっと付き合うしかない。
歩みを止めないことでしか辿り着けない。
いや、辿り着くことはできない。
近づき続けることができるのみではないかと考えています。
そして、本物への扉はいつでも開かれている。
日常のふとした疑問。
なんで、宿題はやらなければいけないんだろう?
なんで、学校に行くんだろう?
なんで、introductionを書かなければいけないんだろう?
このような疑問の全てが本物への入り口です。
しかし、入り口はたくさんあるのにその道を歩き続けるのが難しい。
気がつくとコースアウトしている。
しかも、出口は見えない。
それは苦しいかもしれない。
でも、本物を探すなら歩き続けるほかないんです。
ウィトゲンシュタインも結局大学に戻ってきましたしね。

主人公たちはその道を歩き続ける。
歩き続ける中で、諍いがあります。
それは、本物を求めるからこそです。

「……あなたのやり方、嫌いだわ」
……
「うまく説明ができなくて、もどかしいのだけど……。あなたのそのやり方、とても嫌い」

渡航,やはり俺の青春ラブコメは間違っている。⑦,2013,p254

京都研修旅行中の雪ノ下雪乃から比企谷八幡へのセリフです。
私が好きなシーンでの一言。
うまく説明できない。
言葉では言い表せない。
でも、違うことはわかっている。
さらに、比企谷八幡もそれが欺瞞であることはわかっているんです。
理由なんかなくても、説明できなくてもそれが違うことはわかるんです。

ここに私は善と、わかり方の一部を垣間見た気がします。
なぜかわからないけど、良いこと、悪いこと。
これって、道徳や善じゃないですか。

人のためを思って行動する。
嘘をつかない。
親切な言動を心がける。
これらは一般的に善いとされていますよね。
しかし、なぜと聞かれると難しい。
善いから善いんだとしかいえなくなる。
このことをアリストテレスやカントも指摘しているそうです。

また、わかり方という面でも、言葉を介することなくわかるということがあるように思います。

かくかくの意味であるとわかるには、Aという言葉を、Bという言葉に直して、Aという言葉の代りにBという言葉を置き代えてみてもよい。置き代えてみれば合点がゆくという事でしょう。赤人の歌を、他の言葉に直して、歌に置き代えてみる事ができますか。それは駄目です。ですから、そういう意味では、歌は、まさにわからぬものなのです。

小林秀雄,読書について,2013,p92-93

小林秀雄の言葉です。
歌はわからぬもの。
歌詞というものは、作詞者がその表現でしか表すことができないから歌詞なのです。
だから、他の言葉を用いて説明をするなど不可能なこと。
ASKAさんの詩は代替不可能なのです。
歌の良さというのは、説明することではわからない。
しかし、良いことはわかる。
このことに、『わかる』の一部分を見ている気がします。

だから、雪ノ下も説明できないけどわかっている。
比企谷もそれがわかっているから苦しい。

この本物に向き合う姿勢。
素晴らしいと思いました。
私が高校生の時はできなかった。
ただ、違うということだけがわかり、本物に向き合う勇気、覚悟がなかった。
だから、初めてこの物語を読んだ時は、彼らが眩しかったし、自身を恥じた。
高校生の時はできなかったし、当時の修士2年の時だってその覚悟が固まっていなかった。
ただ向き合うって決意するだけなのに、それすらできなかった。
決意しても歩き続けるの難しい。
気を抜くとすぐにコースアウトしてしまう。
それを今やっと博士2年で感じているんです。
私は遅いですね。

他人を思いやる気持ちの美しさ。
真理に向き合う姿勢。
それに伴う仲間との関係性の変化。

本当に素晴らしい物語だと思いました。
冗談抜きで教科書にしてもいいんじゃないかと思うくらいです。

それでは。

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