化学系博士課程学生が考える:ゴッホの確信
私はゴッホの言葉の中で、
ジャナンに芍薬があるように、自分はひまわりを選んだ。
という言葉がとても好きです。
うろ覚えですので少し違うかもしれません。
岩波文庫のゴッホの手紙の下巻を見ますと、選んだ、ではなく、あった、となっていました。
だから、翻訳者によって意見がわれているのかもしれませんね。
しかし、この言葉から、ゴッホの覚悟、確信、自信が感じられませんか。
この言葉は昨年のゴッホ展で知りました。
その時の展示では、ゴッホの絵と共にゴッホが残した言葉が紹介されていました。
ゴッホは弟あてにかなり手紙を書いていたようで、今でも言葉が残っているようです。
小林秀雄もゴッホの手紙という本を書いていますしね。
では、なぜ、ひまわりを選んだのでしょう。
なぜ、ひまわりだと思えたのでしょう。
ジャナンには芍薬があるように、と言っているということは、自分にもジャナンの芍薬にあたるものが欲しかったのではないか。
だから、ゴッホの精神に求める心がおそらくあった。
求める心があれば見つかった時はこれだ!とわかるもの。
これは読書でも同じですよね。
自分が求めているものは難しくないんです。
自分の中に潜在的に眠っているものだからです。
だから、それを受け入れる準備ができている。
西田幾多郎もこのことについて言及していますね。
難読本と言われているものでも、自分の思想がそこまで行っていれば読めるのです。
なぜならもうわかっているからです。
違うのは文体という形だけ。
その形を掴んでいるのがすごいのですが。
そして、確か養老孟司さんだった気がするのですが、わかるということは共鳴するということ、という意味の言葉がありました。
しかし、わかるっていうのは難しい。
わかっているというのは行動です。
人はわかっているように行動します。
この人分かってないな、と思う時ってその人がそのように行動していないって時ですよね。
実験化学で言えば、反応設計が顕著ですね。
ある化合物を合成したいときに、明らかにむりな条件で実験している。
そういうとき、わかってないな、と思うんです。
私も教授に思われているかもしれない笑。
一方、わかるっていうのはある時間の一点じゃないですか。
だから、わからないからわかっているに転じる一点のことをいうのだと思うんです。
で、これって難しくないですか。
このとき何が起きてるんでしょうね。
私の例を出します。
私はある化合物をエン・チオール反応で合成しようと思いました。
エン・チオール反応はアルケンとチオールからチオエーテルを形成するとても有名な反応です。
有名な反応ですので、自身の系で試す前から存在は知っていました。
また、基質の範囲も広いことが知られていますから、おそらく自身の系にも適用可能だろう。と思っていました。
しかし、本当にいくか?という疑問は拭えません。
まだ、やってませんから。
そして、自身の系でいざ挑戦。
案の定、反応の進行を確認しました。
このときです。
1H NMRでアリル基が完全に消失したのを見て、キタ!と思ったとき。
この前と後では私の行動が変わると思うんです。
だから、このキタ!と思う時の、胸の高鳴り、拳を握る時の筋肉の収縮、興奮による体温の向上。これらがわかるという言葉と関係していると私は思う。
そして、このキタ!と思う時の鋭い喜びを表現するなら共鳴というのはピッタリだと思うんです。
本を読む時、というか選ぶ時もそうですよね。
背表紙のタイトルを見て、実際手に取り、一文目を読む。
もしそれが求めている本なら、これだ!という強い感情がある。
これは、共鳴と呼んでもいいのではないでしょうか。
きっと、私が今の研究テーマを選んだ時も共鳴であったと思います。
だから、ゴッホもひまわりを見たその瞬間にこの共鳴があったのではないかと思うんです。
これだ!という鋭い感情。
そして、誰が何を求めるかというのはそれこそ個性です。
酵素に基質特異性があるように、磁石に鉄がつくように。
同じようにゴッホはひまわりと結びついた。
錯体化学でいえば、共鳴というのは強い配位子なのだと思います。
私はそういう強い配位子で人生を歩みたい。
ゴッホがひまわりを選んだような人生を歩みたいと思います。
それでは。