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あなたのそばにも「石の猫」がいる

「石の猫」という寓話をご存知でしょうか?私たちが無自覚にアタリマエだと思っていることに根拠がないことがある、ということを思い出させてくれる、こんなお話です。

とある教会で、ある神父が猫を飼っていました。教会で猫がイタズラをするので、神父はお祈りなどのときには、祭壇の脚にヒモでつなげるようにしました。やがて初代の神父が亡くなり、2代目の神父はその猫を世話にして同じようにお祈り中に祭壇の脚に猫をつなげるようにしていました。3代目の神父は、いつも祭壇の脚に繋げる2代目にならって、お祈り中には同じように祭壇の脚にヒモでつないでいました。4代目の神父は、面倒臭がり屋で生きた猫だと世話が大変なので、石の猫を作って祭壇の足の横に置くようにしました。5代目の神父は、床に置かれているのを邪魔に感じて、石の猫を祭壇の上に置きました。6代目以降の神父たちは、石の猫に向かってお祈りするようになり、いつのまにか石の猫は祭壇上の神聖なる存在になりました。 そして誰もその経緯を知らなくなりました。

「昔からこうだったから」という惰性によって理由もわからず続けている習慣や文化は、このようにして生まれるのかもしれません。心理学では現状維持バイアスも同様の現象を指しています。

多くの人は変化を好みません。脳は変化によって生存確率が変動することをリスクと捉えますから。でも、変えた方がいいことも多い。そして、たいていの場合、変えられない理由はなかったりするのです。週5日働くのは本当にアタリマエなのか?報酬を日本円でもらっているのはアタリマエか?他の可能性について思考を巡らせてみると、私たちはもっと多くの選択肢を手にして、自分で選び取ることができるようになります。

あなたの身の回りにある「石の猫」はなんでしょうか?

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