「鈍考」
ブックディレクターの幅允孝氏が主催する私設図書室。
予約制で、定員6名の90分。
最寄り駅は京都の叡山鉄道の無人駅だと聞いていたので、どんな田舎なのかと思っていた。
叡山鉄道は1両編成の鈍行ではあるが、車窓から見える風景は郊外の住宅街だった。江ノ電に近いイメージなのかもしれない。
駅からは徒歩10分ほど。山が近いし田畑もあるのだが、高級住宅地(高級別荘地?)のようで、豪邸が立ち並んでいた。
鉄道が江ノ電に似ていることも踏まえると、葉山みたいなエリアなのか。
なぜ道行のことをくどくど書くかというと、「鈍考」という図書室のコンセプトが「脱デジタル」「自分の時間を取り戻す」といったところにあるからだ。
「鈍考」は一面の壁が本棚になっていて、3,000冊の本がある。本好きの家なら、このくらいあるかな、という量。
90分間会話なしで本を読むなり風景を眺めるなり、好きに過ごすという場所。
意外とあっという間だった、と言いたいところだが、そうでもなくて結構長く感じた。集中力が弱まっているのか、参加者の中に赤ん坊連れがいて、ひっきりなしにむずかしがって声をあげたり、ペットボトルかなにかを掴もうとして床に落とす音に驚かされたりしたのが原因なのかは不明。
ここで幅允孝氏がどういう選書をしているのか興味があった。
小説、ノンフィクション、アート関係の図版など、幅広くチョイスしてあった印象。
その中で、村上春樹、「鈍考」をデザインした建築家の堀部安嗣、ゲルハルト・リヒター、ポール・オースターあたりは比率としては多めだった印象。さらには、小説はそれほど多くなくて、全般的には思想や料理、建築など、幅広い意味でのノンフィクションが多い。
本棚を前にして、気になる本を手に取ってパラパラめくったりしていたが、知っている作家の知らない本だとか、名前を聞いたことがあるけれど読んだことのない名作など、なにかしら興味のある本に手が伸びがちだった。本当の意味で知らない本もあるはずなのに目に入ってこない。こういうのってインターネットのパーソナライズやエコーチェンバーにも似ている。デジタルのエリアで起こっていることが、アナログでも起こっている。コンフォートゾーンから抜け出すのはむずかしい。
付箋が貼ってある本がいくつかあって、幅允孝氏が線を引いたりしているのがおもしろくて、そういうところを抜き読みしたりしていた。レビューの際に参照したりしたのかもしれない。
そんなことをやっているうちに時間がきた。
「脱デジタル」「自然の中で過ごす」といった要素は最近トレンドになっている。
「紙の本を読む」という要素がこれから盛り上がるのは難しいと思うが、好きな人は好きだろう。一日の大半をスマホの小さな画面を眺めてすごす状態が健全とは言えないので、そこから抜け出そうという動きが出てくるのは自然なことだ。
個人的にはスマホが悪いというよりは、スマホでゲームや動画を観ているという行為は受動的で、みずからなにも生産しないというところに問題があると考えている。たぶん、そう思っている人がデジタルデトックスをはじめているのだろう。
「鈍考」はそのあたりの流れをうまくコンセプトに取り込んだ。
このコンセプトは良いと思うし、自分でも続けていこうと思う。