ハイデガー「存在と時間6」(1927年)
いよいよ時間についての考察がはじまるようだ。
その一端として、人間にとっての「死」についての考察がある。
人間の一生を時間としてとらえると、「死」は時間の終わりということなのだろう。
なお、ハイデガーは人間の死と他の生物の死を区別しており、生物の死を「落命」としている。人間の死については解説において、ハンナ・アレントの言葉が引用されている。つまり、人が完全に死ぬということは、故人のことを誰ひとりとして記憶しなくなったときだ、というのだ。
そのような解釈をするのであれば、愛していたペットの死を「落命」として扱ってよいのだろうかという疑問はある。
死の話のほかに、6巻で印象に残ったのは、「まだない」という考え方。
現存在、すなわち人間は常に未完成であり、一生を通じて完成することはない、という。完成したら消滅する、と。死ぬときに完成するのかと思ったが、そうでもないようだ。アーティストが生涯を通じて自らの芸術を高め続けても、彼の作品が究極に達することはない、というニュアンスなのかもしれない。
また、人間が完全な状態になったときに消滅するというのは、それはもはや人間ではなく神だから、ということなのかもしれない。これは本書に書いていなかった、もしくは自分には読み取れなかった。
読んでいておもしろいと思ったのは、ここまでハイデガーは神の存在について論を展開していないということだ。これから出てくるのだろうか。
多くの哲学において、どこかで神の存在について触れられて、デウス・エクス・マキナではないが、「神は特別だから」みたいな話になる。八百万の神の国の原住民としては、釈然としないのであった。
本書が書かれた1920年代にもなると、神のことを書かなくてもよい時代になっていたのだろうか。
よくわからないなりに、読み進めていても、それはそれで面白いと思えることがいろいろとある。
これが自分の生活や人生にダイレクトに活用できるとは思わないが、遅効性の肥料のような役目はあると思うので読み続けている。
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