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スコープセレクター#NISHINA

仕事終わり

6月の夜、気温26度。夜でも汗ばむくらいの気温だ。
仁科誠は仕事を終え、車の中で自分用の作業記録をつけていた。車の窓を全開にしているが、空気は重く、風もほとんどない。
でも、彼はこの時間に幸せを感じていた。
仕事中は、時間との勝負と全体を俯瞰しなければならない焦燥感に駆られた空白とのせめぎ合いだ。作業量も多く体力を消耗した後、自分のやった仕事を誰にも邪魔されず、じっくりと俯瞰して記録していく。
次にとりかかる時はこの意義ある記録をいかして、より良く仕上げて見せる、そう思った。

彼は20歳で造園業に就職して、まだ3か月目の新米職人だ。
でも、この公園のエントランスにある5本の木を任せられている。
サルスベリ(百日紅)、クスノキ(楠)、イチョウ、ソメイヨシノ、モミジ。
それぞれ旬も剪定時期も違うので、一度に作業をすることはない。
他の社員たちと一緒に公園に来た時に、1本の対応をする。それが終わったら他の社員の作業と合流し、仕事を教えてもらったり、作業の補助に入る。
全ての作業の片付けを終えて全員が会社に戻る。今日は作業が午後15:00~と遅く、他の現場との兼ね合いで人員が多かったため、トラック1台では仁科が乗り切れなかったのである。
剪定ゴミを摘んだトラックは先に会社に戻った。
仁科誠は一人で別の社用車で来ており、この後会社に車を戻す。でも、その前に自分の担当した木をじっくり見上げながら、一息ついているのだった。

「2024年6月、今年のサルスベリは順調に成長。冬に剪定した形が甘く、やや内側の風通しが悪いので、今回 3本に整えた。下枝は全て落とす。余分な栄養を消費しなくなる。昨年より花付きが良い。来年はさらに日当たりの良い部分を中心に枝を広げていく。」
メモに手書きで書き込み、スマホで撮影もした。自宅でアプリに打ち込み、樹木別、時期別ですぐに見られるように整理する。
この木にとって、これからの旬に向けた大切な時期だ。サルスベリはどこにでもある木だけれど、自分が手掛けた木は枝の形といい、葉の茂り方といい、鮮やかなピンクに咲き誇る花々といい、この公園を訪れる人たちの心に残る見事な風景にしてみせる、と自分に対する挑戦への高揚感がこみ上げてくるのだった。
仁科は時を経て、長く人々の心に残る風景を作れるこの仕事に期待をもって入社した。情や上下関係、派閥など人為的な部分がある古い体質感もややあるものの、そういう部分も含めて彼は気に入っていた。


ヴ、ヴ、と彼のスマホが光る。
「おつ。明日の朝 車使わないそうなので、直帰してもいいです。明日、社用車で来い」と先に会社に戻った先輩社員からのメッセージ。
思いがけない幸運に仁科誠の頬が緩む「やた!」
ビールを買って帰ろう。早めに夕飯を食べてのんびりできる!今朝の残りの味噌汁とポテトサラダがあるから、揚げ物でも買って帰ろうかな。いや、キムチが残っていたからキムチチャーハンにしようかな。
いっきに仕事が終わって生活モード思考が広がる。
そうだ、彼女に久しぶりに丁寧なメールを送ろう。ここのところ、必要会話のみの簡単なやりとりばっかりだったから。。。もしタイミングがあえばゆっくり電話したいな。

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