毒親からの愛情

Twitter上でエホバの証人2世の当事者は親に愛されていたと思いますか?という話題が目に留まりました。

エホバの証人は鞭と称して子供に体罰を与えます。ガスホースや定規などで大人が加減すること無く幼い子供の手やお尻を力一杯に何度も叩きます。
時には血が滲んだり、内出血をすることもあります。
それでも、その鞭を受けた子供は神や親に感謝しなければならないのです。

いやもう、歪みまくってますよね。




そんなJWの世界にいる時は
親の愛情なんて微塵も感じませんでした。


良いこと、悪いこと、それで怒られるならまだしも
母親の機嫌ひとつで変わる善悪です。


親に反抗したから

ただそれだけで悪とされて体罰を受けます。

昨日観ていても怒られなかったビデオを
今日観たら怒られるのです。

「昨日は良かったのに!」
と抗議するだけで鞭を振るわれます。


ただただ、私は母親のサンドバッグで
母が可愛がる姉と比較して卑下するための存在で
家事をこなして言うことを聞かせるために
存在することを許されているんだ、と
思うようになっていました。

私の希死念慮は幼稚園児程度の
年齢から持ち続けています。
なので、私のTwitterはヘッダーに
#希死念慮は物心ついた時から
とあるのです。


当時の記憶は父、母ともに無いと言います。
『人間って1番辛かった記憶は忘れるもの』
と、両親は簡単に言いますが
私は忘れられません。

そして、そんな私でも
抜け落ちた記憶が多々あります。
両親が離婚した時期の記憶はほぼありません。
多感な時期だったはずなのに、いつ離婚したのか
私の記憶には全く無いのです。

なので、きっとこれ以上に
覚えておく事が苦しい出来事が
私の身の上に起きたのだと思います。


それを踏まえた上で
今もあの当時の私は愛されていなかった、
そう思うのです。

そうじゃないと、今の手のひらを返したような
両親の私への対応を受け止めきれないのです。

愛していると今さら言うのならば、
あの時にどんな事があっても
愛しているんだと、抱きしめられたかった。
両親の病気を理解しようともがく
私の存在を認めて欲しかった。

ただ、それだけなのに
もう過去には戻れないから。
ただただ愛されて居なかった日々が
私を苦しめて両親の様子に戸惑って
思考と現実が乖離していくのです。


見捨てられ不安が強いのは
幼少期からで
死にたいと望んだのは
物心ついた頃からです。

"生まれてこなければ良かった"

物心ついた頃から思っていて、

「産まれる予定じゃなかった、
教理に背けないから産まれてきた」

と、父親に言われた私の心は


あの時から止まったままです。

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