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グスコーブドリの伝記のような旅の一日

その人は少し不思議な人で、私の頼りにしている喫茶店のうちの一つにふと現れる。

その人にしてみれば、私もまた同じように現れる奇縁の一人のようで、ゆったりとドライブすることになった帰り道には答え合わせをするように幾つもの共通言語が並んだ。

その人は病気をして現在は生活が様変わりしたのだけど、辿ってみればそれぞれの分野で日本一と言われる会社でトップセールスを標榜しておかしくない越し方をされて来たらしい。
ご自身の会社をしながら他の仕事中に身体に異変が現れた。

その人は「一人の時間」は全くと言っていいほど求めはしないのだという。
「それだから今こんなふうに一人でいる」
人生の時間の大枠でバランスするものという発想があることが窺えた。

この夏の終わりに私は倫〇法〇会の集まりに行った。
営業職なら欲しいところの“人脈”を得る為に、と人に勧められて参加した。
そこで自己開示の一環で私は家族関係の悩みをうっかりと打ち明けた。

すると、一人の爺様が「あんたは詫びなきゃいけない」と言った。
会長と別日に仕事として面談したのだが、相手は心を開いてお互い様の付き合いをする気はないことが感じられた。

直ぐに、これは付き合う必要なしと判断した。
「人脈をその場に集まる人達の中で探したらいい」と言う人は、自身は私とよいご縁を結ぶことは考えない傾向がある。
私はそのようなお付き合いはほぼ必要としない。
縁の強さや濃さは差異が有るにしろ、膝を突き合わせて、或いは横に並んで話が出来る同士での繋がりを欲している。
そして互いに役に立てる、仕事上の付き合い等に発展するような行動が実際にできるか。
互いに労を厭わず相手の為に働けるかを、私は推し量って付き合いを決める。

ましてや、私の気持ちを真っ向から逆撫でする人とは付き合う必要はない。
先の爺様の言動に、私は自分が如何に無防備に自分の心を晒していたかを思い知った。
私の弱点をえぐり取られる出会いだった。
その後一週間ほど暗い部屋で寝て過ごし回復した。

そこで一つ学んだのは、「私の心に味方しない人間からは直ぐに離れる」こと。
私はここ数年をかけて、「私は自分自身の味方である」ことを全身全霊で体現する道のりを探ってきた。
私は私の心にとって一番の味方である。
故に、その私の心に味方しない者は私に敵対する始点にいる。
私にとって近くに置くことは大変望ましくないことである。

今、このように語ることができる。

昨日、喫茶店で再会したその人はフットワークの軽さがピカイチなのだと感じる。
考えなしにピンと来たアイデアを言って実行。
私も基本的にはそういうやり方をしているので彼の案にパッと乗った。

師走の居酒屋。
それも金曜日。
飛び入りなどとても出来るはずもない。
目的は果たせなかったが、何か私の役に立てるようにと思ってくださったことは嬉しい。

その人を地元に送り届けた。
スーツを着て動く時間が長くなり身体は疲れたけれども、おかげで迷わずお風呂に入って直ぐに寝た。

たまにはこういうことも面白い。
人懐っこさが特徴の福岡の人たちの不思議な付き合いを感じ、楽しかった。

「いい子はやめた」
そう宣言した今週。
敵対する者にすらいい顔をするのはやめた、というとても単純なことだけれど…その単純なことが出来なかったこれまでなのだから、それを乗り越えた意義は大きい。

長い旅のような一日だった。
思えば、どうしても会社に取りに行くもの提出するものがあり観念して寄っていた時に上司が戻り…

「今からここに電話して」
上司の“気軽な“ひと言で、例の喫茶店の近くに急遽訪ねることになったのがきっかけだった。

その人のご縁から、私も今後よいご縁を頂けるかどうかは確かめながらにはなるけれど、面白いと感じられる限りは続くかもな〜と思う。

その人の仕事の変遷を聞いたこと。
私の一日の仕事。
グスコーブドリが流れるように仕事を辿っていったことを想起しながら、今日はゆっくり休んでいる。


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