一対の 会話 本心を いつわらぬ 女の言葉を 「これくらいで嫌やとか言うとか…」 と頭をかかえた男は それでも かわいいわがままな女の言葉に 動かざるを得なかった 男の人の方が愛が大きいのよと ある女は言う。 その通りと私も思う。 だって男はどんな母でも 母を大好きで こよなく愛する 母 女より大きなものもない そんな女を 愛するのだから 男の愛は大きい 「お母さんがそうしたいのならいいよ」 と呟いた 私が試すようなことをなげかけたら 我が子はそういった 受
確かに 愛というものは在り 愛の前には 支配欲も支配も むなしく騒ぐに過ぎない 愛は永遠 消えずに響く ただ一音 愛を信じぬ父よ母よ 嘆きの淵に慰めあれ 愛を信じる幼な子よ 永遠の愛のうたい手よ こよなき愛が明るく照らす
後ろから抱きしめられている。 私は眠くて動けない。 ふっとした瞬間に、身体の力が抜ける。 同時に、抱きしめている人がその変化に気づくのがわかる。 身体の反応や変化。 私たちは地球の一部。 この身体は地球で出来ている。 身体は借り物。 いっときのまぼろし。 それを愉しむ。 悦びを共に感じ、分け合うことができる。 ありがたいご縁です。
「K君も燿盌の水を飲みましたよ。覚悟するように言いました…」 これは、初めて山口隆之先生の講義を聞いた、今年の節分の日にポロリと漏らされた言葉。 「あらためて飲んでもらいました。こんなことをしていたら必ず内部分裂を起こすと…」 これは先週に聞いたことです。 後半部分は、いつの時点で言ったものか…分かりませんが、何にしろ山口先生も憂慮していらっしゃることが窺えました。 私はK氏が看板を背負っている某政党に対し、資金とエネルギーの流れを断つ意味で離れました。 私自身が内部
山口隆之先生の旅は巡り巡って。 相談も報告もしないけれど、これまで二度お会いした中で、必要な言葉を受け取る会となりました。 また夏頃にお会いできるやろうか。 それまでに、思い描いていることを始動できるかな…? 勇気がいるかな… 和魂(にぎみたま)の突出?している私には荷が重い。 最近気づきを深めたこともある。 和魂は和魂らしく。 荒魂ほかを頼ったり、活かす働きを担えるのだ。 営業活動で培った、スッと人に繋がる力は人選…ご縁を頂くということ、互いにあるがままやり取りする舞の
Instagramでルーファス&チャカ・カーンのこの曲のカバーを幾つも挙げている人がいた。 Rufus & Chaka Khan - Sweet Thing (1975) ちょっとお時間のある方は視聴してみてほしい。 チャカ・カーンのダンスを感じてみて… どの音を、身体のどの辺りで感じて表現しているかを感じてみてください。 カバーしていた方々は、それぞれ自分のリズムに引きつけて歌っていました。 私が素直に感じることは、チャカ・カーンのリズムだからこの歌はいいのだとい
私は自分のことを脇へよけてきた。 自分という主体が無いかのように。 人のために、という言葉は自分あってのものかもしれない。 それさえも無い、これは言葉にしづらい。 ここで思い切り論理を飛ばして… 人と関わるときに、自分を失くして関わる。 それをやめてみたらどうかと思う。 わがままに。 感じるままに。
ふとしたきっかけで人から言われて知ったのだけれど… 私は接客業の方を厳しく見ているのです。 私自身の接客経験はさほど長くはないのですが…興味のある分野の一つです。 某商業施設の玄関口に構えていた有名なお店がありました。 入店しても誰も何も言わない。 不思議に感じました。 程なくしてそのお店はテナントから出て行かれました。 経営陣としてはそこでお商売する気が、少なくともその頃には失せていたのだろうなと思います。 私は興味のあるものは少々お値段がしても…スーパーで手に入れれば
下記メモをネット上に公開することには意味がある。 会社名を記さないことにも意味がある。 これは、一個人として会社組織に搾取されないための作戦である。 その論理は、少し考えていただければ判るものと思う。 前提として、現時点で私は会社の日本における存在意義を認めており、その理念を実行する一人として所属していることに誇りを持って臨んでいる。 しかしながら、細かい経営については、いち社員として内部から監視し(他に言葉が見当たらないので、このキツい言葉を使うが、実際にもそうである)
最近の音楽との比較はしません。 私はずっと歌いたくて、歌えなくて、そして歌わせてもらう場を貰って… を繰り返してきました。 この間、筑豊へドライブしたとです。 九州北部は荒ぶる魂のいますところで有名ですね。 実際、今も息づくものを感じました。 人のパワーは凄まじいものがあり、魅力的です。 下手を打つと「何いいよるとかー!お前もかー!」(意訳)お叱りを受けたりしますが、おしなべて心に熱いもののある人達の棲息する地域やと、私は感じております。 そこにおんしゃる一人の女神に
がむしゃらに努力をし続けることの出来る人がいる。 私は目の前のものや人への集中力が高いため、一つふたつに向き合ったら、すぐにお休みが必要になる。 ドドドドドー というように頑張り続ける人は、自分には無いものをしていて凄いな〜と思う。 まさに上司がそのタイプのようで。 ただ、それと同じことを求められると困るということが判明した。 その気持ちが伝わり、より具体的な指示などが貰えると、まあしょうがないやってもいいけど?となる。 但し「直ぐやりなよ」と言われても、ヘトヘトで「今日は
高い建物の屋上に鳶 三羽はシンクロし舞うかとみえると 二羽と一羽に 一羽 今日の日はさようなら と、離れて行った 私の中で。 まだまだ見上げていると 休んでいる二羽のもとへ 一羽が戻って来た。 来た。 わからないものだ。 大きな弧をを描きに行って。 まだまだ飛べる、と。 あの一羽。 まだまだもっと大きな弧を描きたかったりして —— 令和四年十一月十二日記
昨日のこと。 上司に呼び出され、会社に行った。 顔面皮膚の治療中で人前を憚る…とくに社内ほど注意が必要と考え、個室での面談を所望。 「現在、顔のことでお客様訪問や新規開拓の活動が出来ないため、仕事しているのかどうか明確でない。給与支給しているからには…」 などの理由で、午後はこの部屋で溜まった事務処理などするようにと指示あり。 近隣の高い駐車場にとめていた車を自宅に戻して、久しぶりに歩いて会社に戻った。 訪問を重ねているカフェでレモネードを買って、部屋に戻る。 なかな
Twitter…Xを利用して思考の整理をしている。 …という夢を見た。 言いたいことを詰め込む、とか。 息苦しくなるような使い方。 凝り固まったやり方ではなくて。 主観と客観、俯瞰。 コミュニケーションとひとつになること。 概念や思考、感覚の共有といったような。 このように夢で整理することはよくある。 一日前には、気になっているとある立場の人物が夢にご登場。 距離が近すぎた。 実際、近づくことはないのだが、思考に入り込んでくるような鬱陶しさを感じている。 今日見た夢
「大きくなったら〇〇になりたい」 という夢は、何でしたか? という問いに対して、私ははっきり答えることが出来ませんでした。 やっとわかりました。 言葉になりました。 「心の通うパートナーと共にありたい」 です。 なぜ今わかったかというと… 今心からそう思い願うからです。 「結婚して、いいお嫁さんになりたい」 ではないんです^^; いいお嫁さんというものも、いい結婚というものも、身近ではなかったですから。 母からして、お上品風味を装いつつも、言葉や所作はとても美しいと
「そうだ、これを伝えたかったんだ。富士山が綺麗だったの。博多に来る飛行機からみえたんだけど」 と、母は前後の脈絡なく話すのでした。 子供が親に甘えるように、話すことがよくあります。 無邪気なところがある人です。 もしもそれを、言葉以外の方法で形にしたら、一体どんなものが生まれるだろうか… 母の、娘に伝えたい想いも一緒に表現したものが。家族のことや大切な人のことを想う誰かの耳目にとまったとき、どんなことがその人の心に起こるだろう… 私はいつもインスタなどで、誰かの表現