奴国王と金印

昨日のこと。
上司に呼び出され、会社に行った。

顔面皮膚の治療中で人前を憚る…とくに社内ほど注意が必要と考え、個室での面談を所望。

「現在、顔のことでお客様訪問や新規開拓の活動が出来ないため、仕事しているのかどうか明確でない。給与支給しているからには…」
などの理由で、午後はこの部屋で溜まった事務処理などするようにと指示あり。

近隣の高い駐車場にとめていた車を自宅に戻して、久しぶりに歩いて会社に戻った。

訪問を重ねているカフェでレモネードを買って、部屋に戻る。
なかなかの雨で濡れた傘を広げてふと見ると、ガラスケースに入った博多人形と敷物が目に入る。

『奴国王 金印』のタイトルが見える。

奴国王は明らかに美しい女性で、片膝ついて金印を恭しく持っている。

着衣の色はうら若き乙女を思わせる。

奴国。
上司はこの言葉すら知らないだろうと思った。

この日の朝、社内の教育画像を見て厭気がさしていた。
会社の保身の為に社員一人ひとりのSNSでの言動も「監視」している旨の周知。
色々と思うところがあるけれど…
最後には、何という世の中かと飽き飽きした。

会社に向かう車の中で、若くして亡くなった友を思い出した。
「⚪︎⚪︎さん見ててよ」と呟いた。
社会と家族親族のプレッシャーの頂点に立とうとしていた彼は、ストイックさで突き進んでいた。
まるで目を閉じて走るかのように。
そして自ら望むようにして事故で亡くなった。

高潔な魂を持った仲間だった。
私の歌に心を慰めてくれた人だった。
ちょっと困ったところのある人だった。

車で会社の前を抜ける通りに差し掛かる。
信号が幾つもある。
「時に、サラリーマンなども追い詰められて心筋梗塞や脳梗塞を起こすのだな」と思った。
それくらい、この時の私は暗澹とした思いがしていた。
実際、身体もストレスに晒されているのを感じていた。

印刷や、押印手続きなどで一瞬オフィスに足を踏み入れる。
二人の先輩と、一人の管理者と言葉を交わした。
一人は前の職場で同じようにストレスで顔にアトピー性皮膚炎の激症を繰り返し、退職したということ。
管理者はひたすらに気遣いの言葉を。

もう一人は出がけに。この方は支社を背負って立つ数人のスーパーウーマンの一人。
優しい口調で話しかけながら、鋭い目が動く。
やはり私の身嗜みチェックは怠りない。
おそらくは、お化粧していないことを責める為では無いと思う。
ただ、目の前の人に何が起きているかを短い時間でも読み取る能力に非常に長けているのだと思う。
職業柄も、個人としての能力の高さからも。


気の乗らない仕事を時間内に終えて、また雨の中を歩いて帰った。
会社を出たところで気のいい先輩に声をかけられた。
「お疲れ様です」と互いに笑顔になった。


SNSなどで会社を貶めることのないよう、私自身も注意は払っている。
ただ、私個人は「人として自由な表現、発言をして生きていくこと」は会社に属して稼ぐことよりも上位に置いている。
これは入社時から一切変わっていない。
その為何らかの表明をする際には、自分で判断をしっかりした上で行なっている。

SNSだろうと口コミだろうと、人を貶める人間というものは一定数いて、私も業務に当たり直接的に攻撃を受けることもあった。
話にならないレベルの下衆であることは間違いないのだが、言葉の暴力はそれなりに威力を持っていることを身をもって知った。

ほんの数年で移動になり全国を旅する管理者は、それなりのご苦労と憐れな状況があることは承知の上で私は見ている。
「郷に入っては郷に従え」を学ぶ暇もなく、ただひたすらに自分の置かれた立場を全うせんと尽力いただいている。

「視野狭窄である…」
帰宅し、ふと思った。

郷土の想いを受け継いだ作品。
それも世界に名だたる博多人形にすら、一瞥もくれないのではないか。
伝統工芸に携わる会社に同行しても、上司が感じ、私に発言したことは私のこれまでの暮らしぶりをはかるような、表面的な判断のみ。
そこにあり、私が感じ共有している悲哀もハングリー精神も、彼には印象に無い様子なのだった。

博多に来て、奴国も知らない。
誰でも知っているような金印にすら目が向かない。
ひょっとすると博多人形も目に入ったことがないのかもしれない。

人は興味のあること以外は情報が入らないという。
その通りのことを感じる一件でもあった。

「この会社で稼げるようになるかどうか。」
この一点に集中して、様々な語りかけを毎日繰り返す上司は、心のある人ではある。
感謝の念に変わりはない。

私もそこに的を絞って努力することは必要であることは重々承知している。
心身の痛む中、お風呂に入る気力体力も残らず過ごしてきた一年だった。

ただ、視野狭窄では早晩潰れるだけの繊細な私である。
それは主婦業で充分に経験済みである。

視野狭窄により、命を簡単に落としていく人々が急増している昨今の日本にあって、私を活かしていくことを現実的に考える日々である。


尚、今日明日は欠勤。
上司の指示による。
一月中から重なっている休みの実態は「とある責任者のとった措置により過度のストレスを受けて心身を著しく損じ、顔面にアトピー性皮膚炎の激症発症。治療中」
こういったメモ書きも、後々役に立つかもしれない。
面と向かって争うことはないが、
天下分け目の…と臨んだ昨日の思いと共に記しておく。


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