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角川『短歌』2022年6月号

①特集「人称フロンティア」谷岡亜紀〈テーマにかかわらず評論全般で重要な事は、短歌史への視座、アプローチである。その意味で同時代しか視野に入らない論考、一部の同世代作品しか引用しない論考が多かったのが、なんとも悲しく残念に思われた。〉同意する。疑問なのは、これはいつぐらいから始まった傾向なのだろう?そして、そうした傾向はなぜ始まったのだろう?そして、同世代にしか興味がない評論が主流になったら、どのようなことが起こるのだろう?というようなことだ。

②谷岡亜紀〈歴史的な(と言ってもほとんどは近代以降だが)「私性」の変化を押さえた論においても、一つのパターン、類型が出来上がっているのが気になった。〉岡井隆の私性に関する言葉を挙げて、SNS環境の発展によって揺らぐ私性と対比させるという図式だ。これは本当にそう。
 使い勝手よくまとまっていると感じられるせいか、私性と言えば岡井隆のこの言葉が挙げられる。パターン化というか。本当は谷岡が指摘するように、もっと多岐に亘る論だが、使われる部分はいつも同じだ。孫引きが論を固定化する例とも言える。

③特集 川本千栄「三人称の短歌」寄稿しました。ぜひお読み下さい。永井陽子、河野裕子、笹井宏之等の歌を取り上げました。
 三人称の描かれ方の一つとして〈描かれる第三者が実在か架空かは問わず、作者と接点が無いもの。〉という定義をしたが、この原稿を書いた後で、同誌3月号の落合直文の特集を読んだ。吉川宏志が〈自分と無関係な他者を歌うというのが近代短歌の始まりの一つのメルクマールという気がする〉と語っており、ちょっとびっくりした。三人称のごくありふれた用法と思っていたが、近代以前には無かったのだな…。またここから論考を深めて行きたい。

④ 特集 アンケート「短歌は一人称の文学だと思いますか?」 カン・ハンナ〈はい。/大事にしているのは「この歌は本当に私のものなのか」ということです。つまり、歌の中に私という人間の価値観や生き方、もしくは自分らしいものがちゃんと表れているのかを確認するのです。〉
    論もアンケートも色々な考え方があったが、私には、カン・ハンナの考え方が一番素直に腑に落ちた。

⑤前田宏「時評」〈近代短歌史を知る上では小泉苳三の編んだ全三巻から成る『明治大正短歌資料大成』が重宝する。(…)短歌史を叙述した書物は多いが、いずれも著者の主観や思想が反映されており、小泉の前掲書のように資料そのものを集大成したものは他に無いようだ。〉
    そう、そうなんだよね。その元資料が読みたいのに、それをどう捉えるかという著者の意見ばかりが述べられている短歌史の多いことよ。元資料にどうアクセスするかは本当に難題なのだ。

⑥前田宏〈歌壇には超結社の親睦団体が幾つもあるのだから、結社誌のデジタル・アーカイブなどできないものだろうか。〉強く同意する。親睦団体なのかどうか分からないが超結社の団体はある。結社誌の、と言わず、歌集や評論集のデジタル・アーカイブ、ぜひ出来て欲しいものだ。

2022.6.18.~19.Twitterより編集再掲