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河野裕子『桜森』17

ものの隈しるく見えくるひのくれは母よ母よと下の子が呼ぶ 物の陰になっている部分、または色の濃淡の濃い部分がはっきり見えてくる日暮れ。「お母さん、お母さん」と下の子が繰り返し呼びかけてくる。乳児の夕暮れ泣きではないが、幼い子は不安になる時刻なのだろう。

いつか子らも翼なくせし あけし口腔(くち)饐えし匂ひして睡りてゐたり  いつの間にか子供たちは幼さを失くし、翼を失くし、人界の子であることが定まった。口をぽかんと開けて寝ていると、乾いた口から饐えたような匂いがする。子の歌で名高いが決して子供を美化しては描かない。

ひき寄せて左右(さう)の火(ほ)あかり 子らのみが冬沼のごときわが日日照らす 二人の子をそれぞれ自分の左右の脇に引き寄せる。このわが子のみが冬沼のようにどんよりした日々を、生き生きとした火の灯りとして照らしてくれるのだ。子を育てるのではなく、一体化し、時に縋る。

突風の檣(ほばしら)のごときわが日日を共に揺れゐる二人子あはれ 帆船の帆を張る檣。突風を受けた帆のように主体の心は激しく揺れる。同じ船に乗っている子供も一緒に揺れてしまう。自分は仕方ないが、子らはあわれだ。こう歌いながらも、子らがいないと船を進められないのだ。
 帆柱ではなく檣。やはりこの字が強い。ルビ無しで見てほしい。この字が歌の中で風に揺れる帆を張った檣として屹立する。
突風の檣のごときわが日日を共に揺れゐる二人子あはれ

むかふ向きに何して遊ぶ二人子かチョークで描きし扉を閉ざし 地面にチョークで家を描いて、子らはそこに籠っている。絵で描いた扉は閉ざされて、その中に入ることはできない。子らは向こうを向き、何をしているのかも分からない。微笑ましい気持ちと同時に疎外感も感じている主体。

2022.6.24.Twitterより編集再掲