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『塔』2022年3月号(2)

健やかな時も病む時も いつの日か認知症介護する日もありなむ 渡辺のぞみ 結婚する二人がためらわず口にする誓い。祖母である主体はそれをまぶしく見つめながらややほろ苦い。健やかではない時に本物の愛かどうかが分かる。いつか認知症介護をする日も来るかもしれないよ、と。

辛いのは生きてるしるし群れなしてウユニ塩湖のフラミンゴたち 祐徳美惠子 初句二句を私自身のお守りにしようと思う…。心情と景の付き具合が抜群。ウユニ塩湖という固有名詞が効いている。赤いフラミンゴの群れが、主体の辛さ、心の痛みを象徴している。通奏低音としてのラ行音。

階段の下は階段の下のまま何もないところが朽ちてゆくらし 小林真代 「のまま」の認識がいいと思う。そう言えば階段の下ってどうなっているんだろう。育った家では空間だった。例えばその空間が朽ちていくということだろうか。何も無いのに朽ちる、矛盾のようでいて実感がある。

両腕をひらいてだれかを待つような歳月 とても 目を閉じて過ぐ 加瀬はる 「とても」が文に挿入されたつぶやきのようだ。とても、の後に言いたいことが省略されており、読者は自分の気持ちを当てはめて読む事ができる。とても長かった、とても辛かった、等。発話を活かした文体。

幾度かある 並んで走っていた君にいきなりダッシュをかけられたこと 王生令子 ジョギング中いきなりダッシュをかけられて置いていかれた。相手は冗談のつもりだったかもしれないけれど。でも今となっては二人の関係性の喩のようで、主体は虚しさを感じながらその記憶を反芻している。

 ㉑冬花火だった あまねく焼き払う出逢いになると思わずにいて 榎本ユミ 遠い花火のように見ていたのに、それは全てを焼き払う関係性へ至る出逢いだった。「冬」花火が徒花のようで雰囲気がある。「あまねく」が効いている。倒置で循環するように見えながら、微妙にずれる文体が巧み。

僕は僕のためだけにしか生きられず僕のため君を喜ばせている 近江瞬 「君を喜ばせることのできる僕」に満足を感じるために、君を喜ばせている。愛しているように見えて実はエゴ。言わなければ「いい人」なのだが、自分の心理が分かった以上詠ってしまうのも、歌を作る者の性(さが)。

ポジションば譲って欲しか 秋分に青井神社で手を合わせおり 百崎謙 下句で祈っていた内容が上句なのだろう。神妙に、そして方言を使って朴訥に祈っているのだが、内容は結構ギラついている。ポジションというカタカナ語が他の語とギャップがあってユーモラス。それがギラつきを抑えている。

真夜中の通販番組 誰もみなありのままでは愛されなくて はなきりんかげろう 一人で真夜中の通販番組を見ている。物を売ることをショーにしている番組を見ながら、それを買って自分を飾ったり高めたりしたい欲望のことを考える。今のありのままがいいなんてきれいごとなのだ。

いざといふときに助けてくれるのかわからぬ人と長く暮らせり 森尾みづな 長くいっしょにいる理由は「いざ」ということが今まで起こっていないから、かもしれない。その時に助けてくれるか、は実証済みではない。助けてくれないのでは…と思わせる何かがあるのか。

忘らるることではじめて死ぬのだと教へてくれる季節がきます 近藤由宇 人は死んだ後も残された人の心の中で生き続ける。忘れられて初めて死ぬ。しかしこの歌は死を前提にしていないように読める。忘れられ、その人の中で自分の存在が死ぬ。季節はその人と別れた季節だろうか。 

わたしといふ器つるりと落ちてゆくあらゆる崖のごとし怒りは 千葉優作 主述関係に色々迷う歌。「私の小さな器量が、つるりと落ちてしまう。怒りというのは崖のようなもの、偏在し、自分を底へ突き落す崖のようだ」と読んだ。怒りによって自分を見失い誤ってしまう、ということかと。

敷用と上掛用の電気毛布全身電気に包まれ眠る 石川啓 冬でも暑いし、不健康。ちょっと笑える、と思った後、意外に怖い歌かもと思い直した。特に下句はそのままを言っているようで、現代生活の喩にも見えてきた。

嫌な夢のその断片は生業としてきたことの根元のところ 小島順一 身につまされる歌。嫌な夢を見たが、それは生業の根元に関わる部分だった。生きるためにする仕事に苦しみ、それが夢にも現れる。人格にも影響を与えるかも知れない。属性と呼んで済まされることではないのだ。

フライパンのカーブにオムレツ沿わせつつ心も熱で形になれば 小松岬 卵は熱が完全に通るまではある程度形を変えられる。きれいなオムレツの形になるように手早くフライパンを動かしているのだろう。心もそんな風に熱で形にまとめられれば、と考えながら。思い通りにはならない心。

忘れるときは一気一気に忘れるしそれまでは忘れない忘れたい 豊冨瑞歩 忘れるときは一気/一気に忘れるしそれまでは忘れない/忘れたい…と切って読んだ。忘れないは意志のように読めるが実は忘れたいのだ。一気で同音を重ね、忘れない忘れたいと似た音を被せてリズムを整えている。

地元でも星ひとつない夜はあり記憶の美化は暴力と思う 山桜桃えみ 地元の空は星で溢れていたように思っていたが、星一つ無い夜もあった。幼い頃の記憶を美化していたのだろう。それを最後に「暴力」と言ったところにハッとした。何気ないことでも自分を偽っていたと捉えたのか。

この世には遊山に来たと言ひゐたる叔父は娶らず早ばや逝けり 奥田香葉 叔父の口癖がイキの一言だ。そして本当に遊山に来たかのように早々と亡くなってしまった。ああ面白かったと言ってあの世に戻って行ったのだろうか。生への執着の無さ、その死生観を、どこか近世的と思った。

㉞竹内亮「一月号 月集評」おしまいはいつも一人だ一人きりじゃあねと言った一人の家で 川本千栄〈上の句は一般論だけど、結句で実際におしまいが来ていることが示され、歌は一気に切実さを帯びる(…)〉丁寧に読んでいただきました。ありがとうございます。

2022.4.26.~30.Twitterより編集再掲