河野裕子『桜森』16
羞しさや 君が視界の中に居て身震ふほどに君が唇欲し 短歌では「羞しい」は「やさしい」と読む事が多い。言外にはずかしいという感覚も含む。身震うという動詞は無いので、「み(が)ふる」ふ、と濁音にせず読みたい。結句の「唇」は語数的に「くち」だろう。
君の視界の中、君の目の届く範囲にいて、こちらも君のことを見ている。その時、身震いがするほど、君と口づけをしたいと思う。「欲し」という率直さ。同時に、君のやさしさを乞う自分にはじらいを感じる。「口」ではなく「唇」と書くことで身体感、生々しさが強く出る。
焼けおつる橋かも恋は赫あかと背後煽られ汝へ架くる腕 この恋は焼け落ちる橋かもしれない。燃える火が赤々と背後をから煽ってくる。その火の勢いのままにあなたの肩へと腕を架ける。まるで橋を架けるように。背後からの火に焼かれ橋は燃え上がる。もう後戻りはできないのだ。
火の中に火よりも熱く焼かれゐる壺のくるめき抱かれてわれも 窯の中で何千度もの温度で焼かれる壺。壺はその火の中で火よりも熱くなり、目眩いを起こしたようになっていた。抱かれている時、「われ」もその壺と同じように焼かれていると感じる。 激しい性愛の表現に惹かれる。
「羞しさや」「焼け落ちる」「火の中に」はどれも性愛の歌。これらの歌が含まれる連作「沼夕日」は「沼」が繰り返し詠われる。ここでの「沼」は性愛の象徴だろう。『桜森』は連作「花」で性愛を描いているが、それは古典の伝統に則ったオモテの性愛。沼が表す性愛は現実的なウラの面という印象。
連作「沼夕日」25首中、沼という語のある歌7首。羊歯3首、粘膜2首。少し、粘着性のある、暗い、地味な語彙を使って、場面を作り、先に挙げた3首のような激しい性愛の歌を際立たせる。『桜森』はこのように性愛の歌がとても印象的な歌集だ。引用されるのは子育ての歌が多いのだけれど。
「焼けおつる」「火の中に」の歌を引用して、以前に角川『短歌』に書いた記事を公開しています。良ければお読みください。
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2022.6.23.Twitterより編集再掲