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『塔』2022年7月号

生きている木は簡単に折れぬから今日も混濁と昏睡のあわい 芦田美香 母の病床に付き添う主体。昏睡状態であったり、意識が混濁したりする母。それでも生きている限り、人の身体は生き続けようとする。それを木に喩えて見守る。無機質な病院に木のように生きる命。

慰みに集めた本が震度6ぜつぼうの雨みたいに降った 田宮智美 3月の地震の歌だろうか。本を集めることを喜び等ではなく「慰み」と言っているところに屈折を感じる。本棚の上からか、雨のように本が降って来る。「ぜつぼうの」というひらがな書きに、どうしようもない思いがこもる。

ひかりつつバスは来にけり地下鉄も電車も運行中止の朝に 田宮智美 地震から一夜明けて出勤しているところだろう。一連の丁寧な描写から、辛く苦しい一夜だったことが分かる。それだけに、初句の「ひかりつつ」にはっと胸を衝かれる。事実としても朝の光に輝いていたのだろう。

ひとことを告げたきような落ち椿やがて錆色の黙(もだ)を深めぬ 石井夢津子 落ちてすぐの椿は色も艶も鮮やかで、口を開いて何かを言いそうにも思える。しかし時間が経つと、赤い色に錆のような色がはいり出す。それを黙を深めた、と表現したところに主体の心が重なっていると思った。

寄りかかったり寄りかかられたりしたくない枝先細い木々の間(ま)の空 植田裕子 上句の心情がとても強い。寄りかかるのも寄りかかられるのも拒む。自分でしっかり生きたい。下句は景だが、細い木々の間に見える空は、寸断されているように見えて、一つなのだ。景と心情が絶妙だ。

かなしみは橋なりきみとわれの間の奈落をからうじて渡る橋 千名民時 「きみ」と「われ」の間に奈落がある、という前提に驚く。そしてその奈落をかろうじて渡るのには「かなしみ」という橋を使わなければならない。初句と二句の四音を使って句割れで言い切った形。語順がいいと思った。

⑦魚谷真梨子「子育ての窓」〈やがて相手にも「自我」があり、相手から見れば自分も「他者」なのだということを知るとき、「自分」という存在が複合的、多面的なものとして迫ってくる。〉大人にも当てはまりそうだ。子育ては、もう一度子供と一緒に、親も生き直すのだと実感する言葉。
 しかし、こんなに理路整然と文章に出来る力に驚く。私自身も子育て中には、「このようなこと」を多分考えていたのだが、毎日が必死過ぎて、とてもこのように言語化できなかったなあ。すごいよ。

沈黙を決めこんでいるわたくしの心の底のせんこう花火 ジャッシーいく子 発言することで何も得られないと知って沈黙している。言いたいことが何も無いわけではなく、心の底には線香花火が燃えている。不規則なリズムで大きく、あるいは小さく火花を散らす線香花火。喩が合っている。

飲み込めない怒りを束ねてゆくように黄色いバラの切り口を焼く はなきりんかげろう 切り花を長持ちさせるため切り口を焼く。一つの方法だ。しかしこの上句と合わせると怒りのあまり焼くようで怖い。特に怒りを花束に見立てて「束ねてゆくように」という喩えに、本気の怒りがある。

能面がはずれなくなる物語やわらかな雨土にしみこむ 山名聡美 その物語を知らないが、赤い靴が脱げなくなるなど、想起される話はある。能面をはずそうとすると顔の皮膚が剝がれるのだろうか。能面に籠められた怨念を思う。能面が顔になってしまったように、雨が土に染み込んで来る。

⑪「読みとリズム」河野美砂子〈短歌という詩型は先の河野作品で見たように、第四句の盛り上がりが比較的多く、それがある意味陶酔感にも繋がるのだが、ここでは第四句の2音欠落によってそれをきっぱりと断ち切っている。〉
 葛原妙子「晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて」この歌を河野美砂子は「晩夏光/おとろへし夕(ゆう)/酢は立てり/……一本の/壜の中にて」と切っている。四句の2音欠落だ。この区切り方に納得する。 
 〈先の河野作品〉は河野裕子の「君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり」を指している。たしかに四句が字余りになってそこが盛り上がる歌は多い。四句が膨らんだ場合は結句を七音にして締めるのが一つのパターンだ。逆に葛原の作品のように、四句の欠落は盛り上がりを断ち切っているという言葉に頷く。

⑫河野美砂子〈塚本邦雄「「火の鳥」終る頃に入り来て北狄のごとし雪まみれの青年は」先ほどの葛原の歌について、第四句の陶酔感を断ち切った、と書いたが、この塚本の歌も第四句が句割れになっており、それを忌避していることがわかる。〉四句の字足らずと句割れ。学ぶことの多い論。

⑬河野美砂子〈破調の歌に関して考えるとき、森岡貞香の作品を外すわけにはいかない。(…)これを読む者は、あらかじめしっかりと五七五七七のリズムを内側に用意し、その定型のリズムと、実際の一首との食い違いを味わうことが肝要だ。それにはエネルギーが必要だが、そうすることで初めて破調の歌を読む喜びが生まれるのだろう。〉これには全面的に賛成する。もちろん、読む側だけでなく、作る側も定型のリズムをしっかり内側に持っていないと、破調の良さが出せないと思う。

⑭「読みとリズム」平出奔〈短歌作品を発表するということ、言い換えるなら【短歌】として文字列を読者に差し出すということは、その文字列を五七五七七という特殊な重力空間に送り出すということなのだろうと捉え直すことができる。〉〈重力から解放されることの快感は、当然だがそもそも重力が存在しなければ発生しえない。〉平出の論に、先にあげた河野美砂子の論との共通点を感じる。短歌として発表する以上、短歌作品のまとう重力が必ず働いている。引いている歌に対しての読みも適切で、歌の魅力を伝えていると思った。

春嵐ゴミ集積所にがたいよき昭和の扇風機置かれあり 小林真代 病気で親方が他界されたことを描いた一連。おそらく何の関係も無いゴミ集積所だろうが、親方と昭和の扇風機に共通点が感じられる。確かに昭和の家電はガタイが良く朴訥だ。初句に主体の乱れる心が表されている。

憎しみは湧かなくなりて茎長き白詰草のかすかに揺れる 松本志李 景と感情が合っている。もうどこかで切り替えがついて、憎しみは湧かなくなった。花が小さく白く、茎の長い草がかすかに揺れている。かすかな感情の動きはまだあるのだが、もう主体はそれに囚われていない。

戦争はテレビを消しても終わらないけれども誰かOFFのボタンを 万仲智子 よく分かる気持ち。テレビを消しても何の解決にもならないことは分かっている。でももうこれ以上見ていられない。誰かテレビをOFFにしてほしい。できれば戦争もOFFにしてほしい。

たれも言ういつか終わると 蜉蝣に口のなきこと図鑑に知りぬ 渡部ハル 何が終わるのか、一首からは分からない。遠い国の戦争か、個人的な苦しみか。終わると言われても慰めにならない。何も言わず食べず、子孫だけを残して死んでいく蜉蝣。はかない存在はすぐに消えていくのだが。

どのような眠剤よりも効果ある『聞き流し英会話マスター』 坂下俊郎 当てはまる…。全く同じ経験をした。大学時代、ひどい昼夜逆転生活を直そうとしたが、夜眠れない。勉強中の英会話テープをベッドで聞くといつも秒で寝た。この一首は眠剤とあるからもっと深刻な事態かもしれない。

戦争も歌にするのと問うきみに一拍置きてうんと答える 仲原佳 「きみ」は歌を詠んだりしない人。人の苦しみも歌の題材にするの?とちょっと人格を疑われている。「一拍置きて」に主体の屈託が感じられる。戦争どころか自分の親や「きみ」の死だって題材にする。歌に関わる者の業だ。

泥水のおもてがふたたび澄むやうに赦せるときがあるのだらうか 三上糸志 今主体の心は泥水を掻き回したように濁っているのだろう。自分を傷つけた相手を許せない。泥が沈み、水面が再び澄むように自分の心が落ち着く時が来るのだろうか。濁った自分の心を見るのだって辛いのだ。

消えてゆく母の中より思い出が吾は自分で自分をつかむ 梅津浩子 母は昔の記憶を失いつつあるのだろうか。母は「吾」を忘れ、母の中から「吾」の記憶が消えてゆく。それは「吾」が失われてゆくようなものだ。母の記憶の中の自分を自分で掴む。母に「吾」を思い出すことを促すのだ。

雪柳、ミモザ、こどものくび、いつもやわらかいものばかりかたむく 長井めも 雪柳やミモザの花を思い浮かべながら読んでいて「こどものくび」でぎょっとする。子供が首を傾げているだけかもしれないが、花が風になびくように子供の首が向きを変えられるような、どこか怖い印象だ。

この花が最後といつも言う父が今年は言わず花を見ている 宮脇泉 いつも桜を見る度に、人生で桜を見るのは今年が最後かなーと言う父。それなのに今年はそんなことを言わず桜を見ている。本当に今年が最後の桜になるかも知れない。しかし主体も父も何も言わず、ただ桜を見ているのだ。

㉕川本千栄「湖とファルセット評」押し殺してきた感情が押し花になればいいのに リボンを選ぶ 田村穂隆〈押し殺してきた感情からナマな水分が抜け、乾いた押し花になればいいのに、と願うがそうはなってくれない。感情は湿ったまま重く心を占める。主体は、それを何とか人にも受け入れられる形にするためにリボンで結ぶ。そのリボンの選択ぐらいしか自由は無い。〉田村穂隆歌集『湖(うみ)とファルセット」評を書きました。とても心に訴えかけてくる歌集です。ぜひお読みください。『うみファル」を読むと短歌が益々好きになる。自分もこんな歌詠みたい!ってなる。

㉖橋本牧人「湖とファルセット評」押し殺してきた感情が押し花になればいいのに リボンを選ぶ 田村穂隆〈押し花は自然と人為が融合した美のもっとも単純な形であり、極論、短歌もそのようなものだ。押し花をつくることは歌を詠むことであり、リボンを選ぶことは、最高の抒情に鎧わせてあげることなのだ。だから、この本で自然が詠まれるとき、それは単純な自然詠ではない。〉
 同じ歌に対する自分の評と他者の評を比べて読むと一首により深く入り込める。橋本の「押し花をつくることは歌を詠むこと」という把握に驚きつつ、田村の歌から短歌そのものへの理解へと導かれる。
 同じ歌集の評で挙げる歌が重ならなくても、もちろん全部読んでいるわけで、一首の読みに対して、なるほどと頷いたり、こう来るかとうなったり。『うみファル』を読んだ橋本や、また他の読者とも語り合いたいな。

前を向くために不幸を比較して軽い方から忘れてしまう 山桜桃えみ 今ある不幸から立ち直って前を向きたい。しかし今複数の不幸に襲われている。その不幸同士を比較して、まず軽い方から忘れる。いずれ重い方も忘れたい、いや忘れるのだ。共感しながら読んだ歌。

商談のようにつめたく去るひとのカップに珈琲半分だけが 鈴木精良 初句の比喩の言葉遣いに惹かれた。比喩なのだから商談ではないのだ。商談のようにつめたく去って欲しくなかった。カップにコーヒーが半分残っている。全部飲むほどの時間も自分はかけてもらえなかったという悲しみ。

2022.8.9.~14.Twitterより編集再掲