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『塔』2022年6月号

蛇口からどこまでほそく、ほそく水ねじれているのはあなたのほうだ 鈴木精良 蛇口から細く流れ出る時、水はねじれている。四句まで水の描写でありながら、結句であなたへの異議へと急展開する。景と心情の絶妙なバランス。他の歌も繊細で印象的な一連だった。

トルソーの欠落部分の復元が半ばほどにて夢より覚めぬ 勝又祐三 トルソーは胴体のこと。彫刻などの場合と服飾販売用の人体を模した型の場合がある。欠けた彫刻を復元する夢と取った。欠落を埋めようとしてその半ばで夢から覚めてしまう。夢の中から欠落感が続いているのだろう。

③吉川宏志「青蝉通信」〈今年の塔新人賞の選考座談会で〈強制される自由意志〉について少しだけ話している。 この仕事やりたいよねと訊かるればやりたくなりて赤べこになる 永山凌平 (…)実際は気が乗らない状態だったのではないか。「この仕事やりたいよね」は一見優しい言い方だが、拒否できない圧力があるように思われる。(…)形式的には自由に選択できることになっているが、実際は強制に近い、ということが、現代社会ではしばしば見られる。〉吉川は〈強制される自由意志〉が今後重要なキーワードになる予感がする、と述べている。
 ぜひ「塔」のHPで全文お読み下さい。  

国のため闘う年齢制限は六十歳まだ戦える歳 ダンバー悦子 在米の作者。アメリカでは昔からこの年齢制限なのだろうか。日本では戦争に行くのは若者、みたいな思い込みが無いか。日本でも年齢制限を含めて考えれば、他人事として戦争を論じる人が減るかも知れない。

よく見てとも見なくてもいいとも言えぬまま子らと見つむるウクライナの惨 矢澤麻子 とてもよく分かる歌。親として見なさいとも見なくてもいいとも子供に言えない。自分自身どうしていいのか分からないのだ。結局テレビで見るしかない戦争。何か教訓めいた事を言う親より誠実と思う。

式典の「身を立て名をあげやよ励めよ」いけないらしい歌ふなと言はる 石原安藝子 これは「仰げば尊し」、これに限らず、唱歌は国民国家を作るためのものだから、その目的に添った歌詞になっている。今はいけないことになったが、戦前には効率良く思想を敷衍するため有効だったのだ。

寅さんは他人事なれば愉快なり実の兄ならやつぱり困る 石原安藝子 フィクションとは言え、まざまざと想像出来てしまう。あの人が実の兄では困る。実の兄が正岡子規、とかもとても大変だ。

⑧魚谷真梨子「子育ての窓」〈ある日、仕事で疲れていて、少しイライラしていると、子がやってきて「疲れたねえ~」と言って頭をなでてくれた。なんだかほっとして「保育園も疲れたかい?」と二人でねぎらいあう。〉読んでちょっと泣きそうになった。

国を去るときに抱き合う女性たちしろき蕾のふふむ枝持ち 北辻一展 ウクライナを去る人々だろう。私たちはもちろんテレビなどの画像を見て詠うしかないのだが、どこを見るか。この場合は下句に描かれた枝によって場面が生きたと思う。蕾のふふむ、で少しの希望を感じさせる。

「元気でね」は長く会えなくなるときの言葉だったね 元気でいてね 高松紗都子 確かにすぐにでも会える時は言わないものだ。主体は口にしてから、はっとしたのだろう。それでもまた「元気でいてね」と言い直す、あるいは心の中で繰り返す。お互い長く会えないことが分かっているのだ。

国境の画像が届く迎え撃つ兵士の笑顔女も男も 仲町六絵 ロシア軍を迎え撃とうと待っているウクライナ兵と取った。なぜこれから戦闘が始まるのに笑顔なんだろう。撃退してやる、と意気軒高なのか。それとも他者であるカメラマンの前では笑顔になってしまうのか。後者だとしたら辛い。

⑫千葉優作「誌面時評」〈今回の(塔)新人賞は「新化」を志向し、短歌会賞は「深化」を志向したと言うこともできるだろう。〉塔短歌会賞、新人賞について。選考座談会を読み込んだ時評だ。賞のみならず今後の短歌の方向性にも触れる論。私の作品「北からの風」にも言及していただき感謝。

尉鶲つぴるつぴると啼きやまずまるで過去などなかったように 鹿沢みる 尉鶲の鳴き声を繊細に表したオノマトペ。鳥の頭の中には過去など無いのだが、このように言われるとわざと過去を無視しているようだ。自分か、誰か、人を投影しているのだろう。

桜ねと言へば梅よと誰か言ひ桃だと声もする里の道/ボールペンが出なくてこれで終りますと書かれて花山多佳子の手紙 高橋ひろ子 楽しい二首。梅桃桜、一斉に咲いているのか。会話が真面目なのがいい。花山多佳子も大真面目。ペンを替えてキリのいいところまで書いて欲しいものだ。

「歌は人」は方法論のひとつにて吾がときどきに選びつ捨てつ 永山凌平 これを方法論と呼ぶかどうかは難しいところだ。人によっては信念になってもいるだろう。主体のように都合のいい時にだけ選び、また捨てればいいのだと思う。心のどこかにいつもひっかかっているのかも知れない。

人前で泣けるってそんなにいいか額は夜汽車の窓で冷えゆく 小松岬 人前で泣ける人を素直だとか褒める言葉を聞いた後だろうか。それはそんなにいいことかと電車の窓に額をつけて考えている。おそらく主体は泣けないし、泣くことを肯定的には捉えられないのだろう。夜汽車は単に夜の電車の言い替えと取った。白々と気持ちが冷えてゆく様子が下句で表される。二句三句が切れ目なく十二音。五五七八七と取っても面白い。

たぶんもう折りかへしたる人生のたまゆらとして喰ふ味噌ラーメン 中野功一 折り返したかどうかは最後まで分からない。だから「たぶん」なのだが、ある年齢になると言えてしまえることかも知れない。そんな後半生のある瞬間に食べる味噌ラーメン。平凡だがひとひねり効いた食べ物だ。

どうしても体が要るの からたちの花のやわさに心はゆれて 田村穂隆 生きていくためには精神だけでなくどうしても体が必要なのだ。二句は言い切りと取ったが、疑問だと別の味わいがある。鋭い棘に守られたからたちの花。その頼りなさに共鳴してしまう心。景と心情が深く呼応する。

いつまでも過去にならない時がある例えば母の逝きし雪の日 高鳥ふさ子 例えば、と言っているが、これが主体にとって最も言いたいことだろう。母が死んだ日は雪が降っていた。そしてその雪は今も主体の心の中に降っている。その雪のまにまに生前の母の面影が見えるのだ。

治水せぬかつての川のごとくして栞の紐の跡は蛇行す 青海ふゆ まさに、という直喩。栞の紐の跡は本のページに薄く食い込んでいる。飛行機から見た、蛇行する川のように。蛇行する川を見たことの無い者にも鮮やかにイメージを喚起するのが比喩の力だ。

メッセージ性強すぎる君の顔わざとキャベツを千切りにする 大和田ももこ 言いたいことがあるのに言葉で伝えず、表情で圧をかけてくる君。言いたいことは分かるが、それに反応するのが嫌で、わざとキャベツを細かく刻む主体。少しユーモアを込めているが、ストレスのある関係性かも。

息子(こ)を責めるわれの怒りと息子を庇ふ妻の怒りがぶつかる夕餉 森純一 そして本人そっちのけで親同士がお互いの態度に怒りをぶつけ合う。子は食べるだけ食べて、ぷいっと自室に籠ってしまうのかも。父母のどちらが責め庇うかに関わらず、思春期の子のいる家庭では定番の場面だ。
 と、過ぎてしまえば思うが、一人目の子の場合は親も何が何か分からず、結構辛いものだ。

後悔の奥底に咲く花群れを一本いつぽん手折れば朝だ 宮下一志 後悔するようなことがあったのだが、その奥底には花のように自分としては大切なものがあったのだろう。「一本いつぽん」という感覚が繊細だ。手折った花を胸元に引き寄せているような印象だ。一晩中考えていたのだ。

黙すこと語れぬことの多かりきひひなは出でず押し入れの闇 小林純子 実際に雛人形が押し入れにあるのだろうが、喩にも見える。雛人形が主体の代わりに、闇の中で苦しい沈黙を強いられている。主体が押し入れから出さないのだが、雛人形が自分の意志で出て来ないかのようだ。

托卵をして生き延びるわたくしもあなたを喰いつくす不如帰 田中しゅうこ 二句切れ、終止形と取った。そして結句が初句に円環的に戻って行く。あなたは托卵された。私はあなたが命より大切にしているものを破壊し、あなたを喰いつくす。生き延びるために。一首の迫力に圧倒された。

愚かだと知っています戦争はウクライナの町吾も逃げてる/八十年前あの戦争の中にいたこの戦争にも私がいる 橋尾信子 テレビの画面で逃げ惑うウクライナの市民を見た時に、あれは私だ、と直観した主体。戦争体験の無い者が同じことを言っても空しい。これは全く修辞では無いのだ。

2022.7.8.~11.Twitterより編集再掲