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『塔』2022年5月号

アラームが鳴ったところが人生のいちばん未来 いまのところは 鈴木晴香 目が覚める瞬間のとても細かい時間の幅を詠んでいる。アラームが鳴って、それを止めるために手を伸ばす。止める瞬間が今いちばん先の未来なのだ。めざましで目を覚ます気怠さ。 

蝶々が舞えば華やぐアパートの厨とわたしの暮らしかもしれず 田宮智美 しかし蝶々が舞うことはない。この歌の前の歌

育てれば蝶になりゆくあおむしをほうれん草から剥がして殺す

と併せて読みたい。蝶々が舞う厨の像が一瞬浮かんで消える。そして殺伐とした現実の厨が見えてくる。

窓辺に見える青空を汚すように鳥飛んでそのあと空は空のみ 川上まなみ 七八五七七と取った。鳥の飛翔を「空を汚すよう」だと取る感性が独特だ。結句も、空を飛ぶものがなかったということだろうが、不思議な空疎さがある。

まだ指は気づいてをらず傷口をバンドエイドにすばやく隠す 広瀬明子 切れた事を脳は認識しているが、指はまだ痛いと感じていない。指に気づかれる前にすばやく傷口をバンドエイドで隠してしまう。そのあと、バンドエイドを上から押さえながら、思う存分、痛いと感じるのだ。

「もしも」など言わぬ言わさぬ全力で坂道を駆け君をみつける 植田裕子 とても強く心に飛び込んで来る歌。もしもなど自分でも言わないし、君にも言わせない。坂道は、おそらく駆け上がっているのではないか。「全力」が歌を、主体を貫き、清々しい。全力だから必ず君を見つけるのだ。

ふたをしてただ眠りたいとめどなく悪意ばかりを拾う心に はなきりんかげろう とてもよく分かる。放っておけば心は悪意ばかりを拾うのだ。それを止めることはとても難しい。特に眠る前のしばらく。眠りたいのに悪意ばかりが心に浮かぶのだ。なかなかふたはできない。「ただ」が切実。

しばらくは暮れ残りたる白椿 どの道誰も居なくなるから 小平厚子 日の入りの後、白椿の辺りはほんのり暮れ残っている。その内そこも真っ暗になるだろう。それと同じように、どうせこの世の誰も居なくなる。刹那的、厭世的な下句と白椿の美しさが良く合う。

船を漕ぐわたしは一人知らぬまに誰のものでもない海にいる 松岡明香 強い孤独感を感じる歌。何かに一生懸命取り組んでいる内に誰とも触れ合えないところへ来てしまった。「誰のものでもない海」という言葉が詩語として活きている。散文ではなかなか表現できない状況だ。

⑨魚谷真梨子「子育ての窓」〈だんだんと体験と感情と言葉がつながって、立派な「思い出」として語られるようになってきた。〉まさに言語の習得過程だなあ。言語は言語だけで獲得されるのではない。必ず身体的・感情的経験と繋がって獲得される。それが可愛い例とともに語られる。

「永遠の眠りではなかった」と起き出す夫の言葉を聞き流しおり 倉成悦子 ちょっと笑ってしまったが、夫は毎朝こう言って起きて来るのだろうか。病を抱えているのなら深刻な話だが、ただ自分の老齢をネタにしているのなら、他人からは微笑ましいが、妻には聞き流されてしまうだろう。

意に反して丸められたるダンゴムシはもう動かない子の手の中に 鳥本純平 やってしまった……。そして子はなぜダンゴムシが動かなくなったのか分からない。いつも丸まるからちょっと手伝ってあげただけなのに。「意に反して」がダンゴムシにも子にもかかって読める。

掌に妻の背骨をさすりおり芯に温みの届きゆくまで 鈴木健示 ああいいなあ、と思う。特別なことは何も言われていないが、お互いを思いやる夫婦のあり方が、たまらなく心に迫る。妻は体調がすぐれないのだろうか。歌を読むことで、主体の心の温かさが読者の身体にまで伝わってくる。

迷いつつする肯定も肯定であったはずこの橋が焼けても 小松岬 迷いながら肯定した。そうであったからこそ、肯定として尊重して欲しかった。最終的にはこの橋が焼けても構わないと思っていたほど強い気持ちだったのに、どこか曖昧なもののように変質してしまったのではないだろうか。

眩暈してそのまま昏きまひるへと堕ちてゆく不確かのたしかさ 山川仁帆 眩暈がして、そのまま倒れ込みそうになった。真昼だが、光が遮られ、昏いという感覚を持った。足元も身体も意識も全てが不確かだ。そして不確かということだけが確かなのだ。結句が簡潔でうまい。

尖らせた口からよだれを垂らすほど子は宿題に集中してる 黒澤沙都子 可愛いなあ。おそらく小学校の低学年か中学年だろう。ゾーンに入って、宿題を解くことに没頭している。よだれが垂れていることにも気がつかない。とても観察の行き届いた歌だと思った。

やわらかな傷をかさねて巻いてゆく春キャベツだとおもわなかった 中込有美 春キャベツはゆるく、柔らかく巻いてゆく。それを「傷」と取った。春の若い心がふわふわと傷を重ねて巻いてゆく。そんなに傷ついているとは思わなかった。他人の心のことか自分の心のことかは分からないが。

潜りたい奥ふかくまで君の眼にきらきら光る水面を蹴って 高原五尺 上句も魅力的だが、下句がとてもいいと思った。水面(みなも)は、君の眼の表面の喩だろう。そんな光る君の眼の水面を蹴って奥まで潜り込んでゆく。水泳の飛び込みを思わせる清新なイメージ。

CGなきウルトラセブンの映像によく出来ていると最後まで観る 沼田公子 たまたまウルトラセブンの再放送に遭遇した。CGの無い時代だったのによくできているわねえ、と思っていたらいつの間にか最後まで観ていた。「観」の字が冷静でいい。ちょっと上からなトーンも内容に合っている。
 ウルトラセブンはね、内容で魅せるんですよ。どっちかというと、子供には難しい内容だったのではないかな。

此処ではない何処へゆきたいわたしだろう真昼の月はうすく儚く 根本麻矢 どこかへ行きたいという願望が詠われることはよくあるが、この歌は自分は何処へ行きたいのかと自問している。結局どこへ行ったところで何も変わらないのではという気持ちが薄々あり、それを下句が表している。

やわやわと耳たぶ捏ねて沈みゆく闇はやさしい目を瞑っても ひろうたあいこ 眠りに落ちる前のひとときだろうか。耳たぶを揉みながら眠りに沈んでゆく。目を開いていても閉じていても闇は同じはずなのだが、目を瞑った時、特に闇がやさしいと感じたのだ。

2022.6.10.~12.Twitterより編集再掲