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『歌壇』2024年2月号

病院を出ればそこには夜があり病院だけが背後の夜が 花山多佳子 事故に遭った夫の入院先を出た主体。上句と下句は同じことを言っているようでいて、上句は眼前を下句は背後を詠む。今出て来た病院「だけ」が背後に意識される時の、背中から吸い込まれるような疲労感。

十日間眠りつづけて開いた眼にたまたま映り込む人われは 花山多佳子 病状が心配になる上句だが、下句の口調は乾いている。眠り続けていれば時間は消えるから、本人は一晩寝ていた時と同じように目覚めたのか。その眼に、物がカメラに映り込むように、偶然主体が映る。

彼岸花、鶏頭そしてトケイソウ 激しい花には心を寄せて 坂中真魚 激しい花とはどんな花だろう。挙げられた花はどれも変わった形状をしている。彼岸花、鶏頭は強い赤。小さくて可憐な花、でないことは確かだ。そんな少し自己主張の強そうな花に主体は心を寄せるのだ。

じゃないほうの子供に生まれて彼のみが父となり祖父と呼ばれる今は 坂中真魚 複雑な家族関係を想像させる連作。伯父は祖母に愛され、父はそう「じゃないほう」だった。祖母の人生も満たされていなかったのだろう。はっきりとは示唆しない、その一首一首に深味がある。

標識の鹿の輪郭うつくしき 千本の樹の眼(まなこ)をよぎる 松本志李 バイクで旅行している一連。確かに単純化された鹿の輪郭は美しい。下句、樹の眼を感じる瞬間はおそらく誰にもある。千の単位で感じるのはバイクのスピードならでは。車と違って生身に感じるのだ。

青年は椅子を立ちたりひらひらと日本地図のみ一枚持ちて 松本志李 主体と同じく旅をしている青年だろう。荷物は少なく、ほとんど地図一枚しか持っていない。地図はひらひらと開いて持っている。これから旅立つのか。椅子を立つ他者をシャッターを切るように描写する。 

この人の寂しさはどこにあるのだろうクレームの長きながき電話に 乃上あつこ 客からのクレームに誠実に対応しつつ、客の不満が店に対してあるのではなく、客自身の寂しさに由来することを直感している。そしてその寂しさの根源はどこかと耳を澄ます。冴えた職場詠。

オプションを全部加えて四時間半エステの後の予定は聞かず 乃上あつこ エステをしたら、客との雑談もしなければならない。その客に合わせて話しながらも、この後の予定については聞かない。何の予定も無いのに四時間半もエステしている可能性だって大いにあるのだ。

AIの前任者われは声を出す最後のhuman「いらっしゃいませ」 乃上あつこ 自分の後にこの仕事をするのは多分AIだろう。未来から今を見ながらそれを歌にする。声を出して挨拶する最後の人間がわれ。二句は句割れではなく並列。一首通して結句以外は「AはB」という構造だ。

2024.2.27.~28. Twitterより編集再掲