職場の居酒屋が閉店して無職になった
「お世話になりました」
手を振り、背を向けて自転車を漕ぎ出した瞬間、涙が出た。
リュックも自転車のかごも、荷物でパンパンだ。さっきまで一緒に働いていた子がくれたプレゼント、もう着ることはないかもしれない仕事服、自由に持っていっていいと言われたのでもらってきた食料や備品の数々。重さで体は軋み、自転車はふらつく。
五月最終日、働いていた居酒屋が閉店した。
今はもう、新しい会社が新しい居酒屋を始めようとしている。
*
約六年前の夏、私はこの店のオープニングスタッフとして働き始めた。
ビルの一室で面接してくれた明るいおじさんが店長かと思いきや、その人から受け取った名刺に“代表取締役”と書かれていて驚いたのをよく覚えている。即日採用後、日を改め、もろもろの書類を書くために同じビルの一室へ行くと、今度こそ店長がいた。彼は私のひとつ年上、まだ20代前半だった。
最初の一年半は、営業前に店の掃除と仕込みをするスタッフとして働いた。一度は人間関係を理由に辞めたものの、恥ずかしい話、結局やりたいこともなかったので出戻りし、それからは営業中のキッチンスタッフとして働いた。そして約一年前、新型コロナの影響で売り上げが落ちたために店がランチタイムを始めたとき、私もそちらに異動した。
大げさな言い方をすると、私は三つの部門を渡り歩きながら、あるひとつの店の生から死までを見届けたことになる。
最終営業日。私はランチタイムからディナータイムまで、一日働くことにした。
朝九時から日付が変わってやることが終わるまで、という超長時間労働である。この働き方を毎日要求されるならとうの昔に辞めているだろうが、この日限りの話だ。なんせ最終日である。約六年に及ぶこの店での日々に終止符が打たれるときである。
多少無理してでも最後までやり切らないと後悔する、そういう確信があった。
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朝九時からランチタイムの準備。食材の発注量がギリギリを攻めているとあって、あれもない!これも足りない!の大騒ぎ。なんとなく「最終日っぽいな」などと思う。面倒事はたいてい「絶対に今じゃない」ってタイミングで起こるのだ。
私と同じオープニングスタッフで、六年のあいだずっと店の掃除をしつづけたパートさんが「🐜(かわいい蟻のイラスト)×10」と描かれたTシャツを着ていた。蟻が10。ありがとう。
ランチ営業が始まると、すぐにたくさんのお客さんが来てくれた。用意した料理はものの一時間でなくなった。歴代でもトップレベルの忙しさである。嬉しかったけど、閉店の知らせを聞いて慌てて来るぐらいなら、いつももっと来てくれてよかったじゃん?とも思ってしまう。
永遠は存在しない。
あのウイルスのせいか。
いや、努力が足りなかったのか。
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昼休み、店長と料理長に餞別の品を渡す。
飲み会のたびに「俺はカルパスさえあれば良い」と言っていた店長には、業務用サイズのカルパスを。「フルーツの中ではマスカットが一番好き」とことあるごとに主張していた料理長には、マスカット味商品の詰め合わせを。
値段的にはまったく大したものではない。プレゼント選びが苦手な人間の精一杯である。それでも、二人の笑顔が見られたので、とりあえずは良しとする。
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ディナータイムは、常連さんや関係者の予約だけで満席だった。
ディナーで働いていた頃に、私の顔を覚えてくれた人たちがいる。ディナーで働くのはほぼ一年ぶりだったが、みんな私のことを忘れずにいてくれた。「好きなもの飲みな」と言ってくれたり、「最後に会えてよかった」と言ってくれたり。「次はどうするの?」と心配までしてくれたりして。お互いの素性もよく知らないのに、不思議な関係だなと思う。
掃除スタッフ時代の同僚の方や、ディナータイムで苦楽をともにしたOB・OGの子たちも来てくれた。まさか会えるとは思っていなかった分、激アツ演出である。だが「ちづるさんも最後の思い出に、あったかいうどん作りたくないですか?」と通常メニューにないめんどくさいやつを頼んできたとあるOB、君は許さん。まぁこの通り、ちゃんと思い出になったけどさ。
いろんな人に会えて、素直に嬉しかった。
一方で、私に会えて嬉しいと言ってくれる人たちがいることに驚く。
私は別に、話がおもしろいわけじゃないし、相づちがうまいわけでもないし。羽振りがいいわけでもなく、仲良くなろうと積極的に動くタイプでもない。むしろ人見知りで、気を遣いすぎて、いつもちょっと距離を取ろうとしてしまう。
そんな人間にも、握手を求めてくれる他者っているんだな、いてくれるんだな。
自分の悪いところはよく見つかるが、自分の良いところはいまだに全然わからない。
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カウンター席に座っていたあるひとりの常連さんが立ち上がり、「僭越ながら仕切らせていただきます!」と大声でしゃべりだした。その常連さんに促されるがまま、店長が店の真ん中で最後のあいさつを始める。お客さんたちがおしゃべりをやめ、従業員もいったん手を止め、全員が店長に注目する。
その声が一瞬、涙を含んだ。
「最後は笑顔で終わりたい」と店長の号令のもと、みんなで乾杯。間髪を入れず、仕切り役を買って出た常連さんが隠し持っていた花束を渡す。完璧な大人の仕切りである。ハイボールしこたま飲んでいるはずなのに。実はすごい人だったのかもしれない。
思わず泣きそうになったけど、とあるOGの子が誰よりも真っ先に号泣していて、笑いが先に出てしまった。おいおい、その涙の量、まるでオープンから在籍している現役従業員なのよ。
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別れは私のほうから告げるものだとばかり思っていた。人生はわからない。この六年で、結局、何にもなれなかった。何かになって、「もうこちらでは働けなくなるので辞めます」と言うつもりだったのに。情けないな。
そもそも、その“何か”を具体的に描けていないのがダメなんだけどさ。ってか、思い描ける“何か”なんて、そもそもあるんだろうか?死にたい理由は特にないが、死にたくない理由も特にない、そんな人生に。夢を叶えている人間は、最終到達点を具体的に描き、そこから逆算して計画を立てているという。私にはそれがずっとできない。
過去には戻れず、未来はいつも望めない。ただ「今」を積み上げるように生きることしかできないのなら、今思いついたことをやるしかないのだろうか。
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最後のラストオーダーが終わり、現役従業員とOB・OGとが全員、店の外に集まる。お客さんをほったらかしのまま、常連さんにスマホを預けて写真を撮ってもらう。
その頃にはもう、店の看板は剥がされ、新しく入る店の看板へ掛け替えられていた。
余韻のへったくれもない。現実は非情だ。一方で、あたたかみある人情ばかりでは社会が成り立てないこともわかっている。それでも、私は次の店に雇用を継続してもらう選択肢を選ばなかった。きっと残るべきじゃないだろう。新しい店の社員が営業中に出入りしたり、日づけが変わった瞬間に看板が掛け替えられたりしたぐらいで反感を抱くような人間は。
カメラロールに残った、無駄に連写された集合写真。
私は、自分で思う以上にこの場所が好きだったみたいだ。
*
ひたすら洗い物をしつづけ、すべてが片づいた頃には午前三時になろうとしていた。16時間ぐらい働いたのか。体が動いたのは、「最後だから」、この一点に尽きる。
持ってきた写ルンですで写真を撮ってもらった。「懐かしい」「どう撮れたか確認できないから緊張する~」とひと盛り上がりして、良かった。撮りきったらすぐに現像に出そう。
*
「お元気で」
手を振り、背を向けてひとりになった瞬間、泣いてしまった。
疲労でいっぱいの体に追い打ちをかけるような、いっぱいの荷物。プレゼントにもらったクッキーや芳香剤、日常使いなんてできない派手な柄の鯉口シャツ、ぐっしゃぐしゃに汚れたエプロン、最終営業日中に使いきれなかったミニトマトやごぼうや大量の梅干し、ランチの準備に毎日使った木べら、見飽きたプラスチック製の黒い器。ほかにもいろいろ。
どんな思い出もいずれ日常に馴染んでいく。その頃には、この寂しさも忘れているにちがいない。偶然にも同じ場所につどった、それだけのこと。店はなくなってもそれぞれの人生は続いていく、そんな当たり前のこと。わかっていても、まるで思春期のように感傷的になってしまうのは、この六年に生きた意味があった証だろうか。
家につく頃にはもう、真っ赤な朝焼けに雲がたなびいていた。すべてを置き去りにしてふとんにもぐりこむ。さすがに疲れてしまったから、ちゃんと休もう。
でも、ずっとここに留まったままではいられない。
私の人生もまた、続くのだ。
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