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風景という息継ぎ

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風景写真と短いエッセイ。毎月末に更新。日々の息抜きにどうぞ。
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#写真

【写真】あなたへ祈りを、無条件の祝福を

細い雨に服は湿り、眼鏡は濡れる。「個」が「無」に塗り変えられていくような感覚を、ほんのり冷たい風がそっとなでては去っていく。 私は秋の冒頭で、雑踏の中に立ち尽くし、とあるイベント会場への案内看板を持ちつづける労働をしていた。 黙して定点に立っているだけなんて楽な仕事だと思うだろうか。十月、さまざまな場所でさまざまな労働をしてきたが、身体的にも精神的にも一番きつかったのはこの看板持ちだ。もうやりたくない。気が狂うかと思った。危うく大声で叫びながら全速力で走り出したい衝動に身

【写真】重力から解き放たれるまでの散歩道

「まだ暑いまだ暑い」と喚いていた日々、秋は突如として眠る私たちの前に姿を現す。そうしたら、その肌寒さに目覚めた私たちは「急すぎるだろう、風邪をひくじゃないか」と文句を言った。 だから秋は怒って背を向けてしまった。自分を求めたのはあんたたちじゃないかと眉間にしわを寄せる秋を、帰り際の夏がまぁまぁと必死になだめる。ほんのりと涼やかな雨は秋の歌ではなく、そんな夏の冷や汗かもしれない。 世界の隅っこでうずくまる秋に、夏がキンキンに冷えたサイダーを手渡す。秋はむくれたまま、黙ってそ

【写真】彼岸のあなた、此岸のわたし

初めてじゃがいもの天ぷらを手作りした。 父と母がいる実家で暮らしていた頃、お盆の時期になると母は必ず晩ごはんに天ぷらを揚げてくれたものだ。ラインナップはさつまいもやかぼちゃ、ナス、それにじゃがいもなどなど。野菜がたくさん。 当時の自分は今よりはるかに偏食家だったので、いも系の天ぷらしか手をつけなかった。それをわかっている母は、汗だくになりながら「じゃがいもの天ぷらもっと食べる?」と言う。私が頷けば、母はすぐに追加の天ぷらを揚げてくれたのだった。 天ぷらで一番好きな具材は

【写真】雨上がり夏、生活は交錯する

洗濯ができるタイミングと梅雨の晴れ間がどうにも合わず、何度かコインランドリーに出かけた。 まずは家で洗濯機を回す。脱水まで終わった後、「風乾燥」というちょっとだけ水分を飛ばしてくれる機能を使う。そのあいだに別のやるべきことを済ませたら、大きい袋に洗濯物を詰めこんで家を出る。 霧雨がじっとりと体にまとわりついてくる。湿り気を含んだ洗濯物は重い。しかし雨の日にしては元気だ、と思う。休みの日は家の中で倒れているしかできない、そんないつもの梅雨に比べたらだいぶ行動的だった。歩いて

【写真】梅雨とも夏ともつかぬ曖昧な季節の真ん中で

暁天の青は雨粒に溶け、その雨を浴びた紫陽花が青色に染まる。晩天の紫を食べて咲いたラベンダーが、湿り気を含んだ風に香りを乗せる。 六月。夏の足音は忍ぶこともなく、雨の季節を押しのけながらこちらへやってくる。雨の妖精は強引な夏を横目にため息をつきつつ、緑や花々と静かに語らっている。 満開の紫陽花がならぶ道路脇を通り過ぎると、にぎやかな鳥の声が耳に入ってきた。見上げれば、数羽の小さなツバメたちが飛びまわっている。同じ場所を何度も何度も、円を描くように。巣立ちを迎えようとする前の

【写真】私たちは世界を解釈しつづける

この世界に生きているのに、今ここにいない。 そんな感覚の中で眠りを繰り返す。 ここ一か月、ずっとうっすら調子が悪い日々を過ごしていた。 休日もろくに起き上がれず、近所のコンビニにすら足が向かず。数日間引きこもっては働きに行く。身体の中にある、季節の変化を敏感に感じ取っていたプログラムがうまく動いてくれなかった。ここ最近の花々の移ろいも、新緑の深まりも、記憶の中に残されていない。 世界そのものと、私たちの目に映る世界は完全なるイコールではない。 脳が視覚から得た情報を扱

この命は神も意図しない挙動をしている

通りすがりの死神が足を止め、満開の桜に見入っていた。おもむろにスマホを取り出し、静かに写真を撮る。満足げな表情を浮かべた死神は、再び歩き出した。遠ざかっていく背中に花びらが舞い散る。大層な儀式も明確な終了宣言もなく、こうして春は終わる。 案外あっけないものだ。 たぶん、自分の命の終わりもそんなものだろう。 民家の庭に生を受けた柑橘の木から大きな実がひとつ落ちて、アスファルトの上で割れていた。ゆずだろうか。 そのすぐそばで、まだ新しくどこかこなれないスーツを着た死神が悲

冬は逝きて春ひとり立つ

いつもはそんなことないのに、帰り道の花屋に並んでいるはずの切り花がほぼなくなっていた。「予約商品受け取りの方はお声がけください」と張り紙がしてある。 花屋に予約なんてあるのかと思い、直後、そういえば三月最後の平日だったと気づいた。異動、転職、退職。旅立つ大人がたくさんいたのだろう。 そういった社会の流れから外れた場所に立っている。だからなのか、この季節は何かに追い立てられるような責め立てられるような、そんな気分になることがある。春にはそんなつもりなどないだろうに。まるで成

救いも呪いもすべてはこの身体の中

◇ 雨の日は命が重い。 こんなときは、この命に住まう天使と獣の存在を強く感じる。天使はふとんから出られず、獣はいつにも増してグルグルと唸り、ぐるぐると歩き回っている。 私はふとんを天使の肩まで覆うようにかけなおす。獣にはおいしいものを分け与え、全部低気圧のせいだからしょうがないよ、となだめる。獣が落ち着いたらふとんを持ち上げ、天使の隣へいざなった。天使と獣のあいだにもちもちしたぬいぐるみを置く。二人が眠ったら、私はようやく生活に戻る。 生まれたときにはすでに持たさ

己という運命の女神に刃を向ける

◇ もしも自分が世界を滅ぼす運命を課せられた存在だったとして、そのとき私は、その運命が描く地図通りに歩みを進めるだろうか。それとも、運命に抗うために、必要とあらば神にすら刃を向けるだろうか。 運命に抗おうと思えるほど、生への強い執着はない。 少なくとも今現在の自分には。 「人生の運命図は、誰もが生まれる前にすでに描き終えているのです。その運命図を変えることができるのは限られた場合のみ。たとえば一つ目は、家族など自分にとって大きな存在を失ったとき――・・・」 昔、Y

ここはいつか死によって目覚める夢の中

◇白い息。きりりと肌を刺すような空気。師走の頭の冬はどこかやる気がなく、妙にあたたかかったけれど。ふとんにもぐったまま出られなくなる私たちのように、冬も寝起きが悪いのだろうか。最近になってようやく目を覚まし、本来の力を発揮してきたみたいだ。 ここは一年の終わり。2023年も今際の際。 戻しも戻れもできない「時間」を思う。一年という区切りも、人間が自分たちに都合の良いように設けたものでしかない。人間が一人残らず姿を消して暦もなくなったとしても、地球は回り季節は巡る。人間が

世界が美しいから私はまだ死なずにいる

◇そこにあったのは、「何もない」ということだった。 目を閉じて耳を澄ますと、風が草木を揺らす音が鼓膜に触れ、遠くからは波の音がかすかに届く。目を開ければ眼前にはまっすぐに伸びる一本道。青い空は果てがなく、大きな鳥が翼をはためかせて視界を横切る。澄み渡った少し冷たい空気をめいっぱい吸い込む。命が色を取り戻す。 一本道をゆっくり歩く。両脇には少しの田園とススキ畑。黄色い花がときどき咲いている。たまに枯れ色のカマキリが闊歩しているのを見つけて慌てて避けた。風が吹く。一瞬だけキ

今ここをともにする命との逢瀬、今ここに亡き命への弔い(月一フォトエッセイ)

枯れたひまわりの背に赤とんぼがとまって、コスモスが一斉に舞台の真ん中へと躍り出る。 世界が凍てついた眠りに入る前、季節は最後の命を燃やすように、鮮やかな色彩に染まる。 包み込むような柔らかさを得た太陽の光が、赤い葉を透かしながら土に落ちる。そこには黄色いイチョウの葉が寝そべっている。その死を慈しむかのように吹く涼やかな風は、この季節特有の芳香をまとっていた。風が吹いてきた方向を見やれば、橙色の小さな花が満開を迎えている。その木が金木犀の木であったと気づくのは、いつもこの時

その赤い花は厄災か祝福か(月一フォトエッセイ)

ビルの屋上に大きな猫がいた。その猫は、空を流れながらもくもくと膨らむ入道雲に猫パンチを連発している。すると雲はたちまちちぎれていって、群れを成すひつじ雲へと姿を変えた。遊び疲れたのか飽きたのか、その猫が丸くなって眠りにつくと、日差しが少しだけ柔らかみを帯びた。 また別の日、とある公園でまったく同じ猫を見た。その足元で猫を見上げる。大きくて、その分さらにモフモフしている。不意に猫がにゃあと鳴いた。すると近くに咲いていたひまわりが一斉に頭を垂れていき、代わりに彼岸花が次々と花を