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苦しみの意識状態でお仕事していませんか。

自分の意識のstateが美しいなのか、苦しみなのか、状態はこの2種類しかない。そしてその苦しみに大きいとか、小さいとかもない。

ということを学んでいるのがこちらです。

瞑想をしていく中で、気付きいた感情を観察していくと、なんともまあ”苦しみ”が多い、というかほとんど苦しみ笑。でも、苦しみっていったいどんなもの?

観察する上で、その感情を名詞で表現する。名前をつけていくとフワっとした感情がより明確になってきて、同じパターンが出てきた際にその苦しみを捕まえやすくなる。

ということで。まずは苦しみの状態の”苦しみ”っていったいどんなものがあるのか、書き出してみました。

悲しみ - 悲しい出来事や喪失による精神的な苦痛
孤独 - 一人ぼっちで寂しく感じる孤独感
怒り - 不当な扱いや理不尽な出来事に対する強い憤りの感情
絶望  - 希望を失い、どうしようもないと感じる気持ち
不安 - 先の見えない状況に対する心配や恐れ
嫉妬 - 他人が自分より優れていることへの妬みや羨望
渇望 - 心から願望することや待ちこがれること
罪悪感- 悪いことをしたと感じる後ろめたさ
劣等感 - 他人より劣っていると感じる自信のなさ
欲求不満 - 満たされない欲求によるいらだちや不満
無力感- 何をしても無駄だと感じる無力さや絶望感
憂鬱 - 気分が沈み込み、何事にも興味を持てない状態
焦燥感 - 焦りや苛立ちを感じる気持ち
虚無感  - 人生に意味や価値を見出せない空虚な感覚
疎外感  - 社会や周囲から疎外され、孤立している感覚
無気力  - 何もする気が起きない、やる気の欠如した状態
自己嫌悪  - 自分自身を嫌悪し、受け入れられない感情
怠惰  - 怠けてやる気が出ない、だらけた状態
後悔 - 過去の行いを悔やみ、心が痛む感情
落胆 - 期待していたことが実現せず、がっかりすること

こんなにあるけど…多分まだまだあるはず

この感情たちは、自分の中の囚われた意識状態から生まれる苦しみ。結局自分で生み出しているってこと。ということは、これらの感情は手放すことができる。だから瞑想して感情を捕まえて、観察して、解放しましょう!ということを学び実践しているところです。

筋トレですからね、そんないきなりマッチョにはなれませんし、結構沼ると帰ってこれなくなる泣。だからとりあえずは続けてみようと思って毎日瞑想をして観察してます。

そして、自分の感情を少しずつ観察するなかで、圧倒的に占めているのが「期待」から生まれてる苦しみが多いなと感じてます。なぜなら、私の脳内ではずっと妄想劇場が切り広げられているから。

今日は、なぜ私は「期待」するのか、、、という観点で仕事に対して観察してみました。

期待=理想的な世界

仕事そのものに対してということではなく、仕事をしている自分に対してという方が正しいかもしれません。

私は長年ホテルウェディング業界に従事していました。所謂ホテルマン。サービス業=”奉仕”というキーワードは、6ハウス/太陽・水星・天王星・DH・SM持ちの私からすると、まさに星どおりの生き方を自然とできていたのではないかと思ってたのです。

素晴らしい職業ではあったのですが、

土日祝は絶対仕事
終電はあたりまえ
休日もメールチェック
常に何か問題がないか気になる
旅行中でもメールと電話のチェックは欠かせない
問題対応中であれば尚更日々ドキドキしてる

あえてネガティブ部分を出すとすると

こんな状態で正直ストレスが無かったかというと嘘になります。それでも長年続けてきたのは、そこに『喜び』や『やりがい』がめちゃくちゃあったから。

結婚する二人や家族の人生の1ページに携わることができる。そして、感動をサポートして、感謝を共有できる最高の素敵なお仕事だと思っていました。

一方で、コロナ禍で業界を卒業してからは、バックオフィスの事務仕事に就いてる現状。以前と全く異なる働き方をしていますが、

事務作業は好き!さらに残業もなければ有給も取れる。クレーム自体ないので精神衛生上とても安定。

そんな夢みたいな環境なのにも関わらず、なぜか悶々としている。それはどうしてなのか?最近ずっとこの状態から抜け出せないでいる。

でも実は答えは出ているのです。だって『充実感』が私の中で見いだせないから。

事務仕事はとても大切。200名近くの従業員の労務関連を一人で担ってます。それなりに責務を感じながら仕事はしていますが、長年培ってきた仕事に対する満足度をどうしても比べてしまうんですね。

これまで何に充実感を感じていたのだろうか?

喜んでいただけると満足できる。
全てがうまくまとまると達成感がある。
「ありがとう」「担当が私でよかった」と感謝される。

喜んでいただくことにただ純粋に充実感を得ていたと思っていたけれど、次にその裏を観察してみました。いきます。

喜んでいただけないと、どうなる?
不安を感じる

どうして不安になるの? 
上手くできなかったことに罪悪感を感じるから

どうして罪悪感を感じるの? 
もっと上手くできたのではないかと後悔と劣等感を感じるから

劣等感はどうして生まれる? 
自分の理想像が崩れるから

自分の理想ってどういうこと?
完璧に要望に応えて最高の本番を提供して皆に喜んでもらえる

それが満たされたときの感情は?
「認められた感」でいっぱい。嬉しい。

そうなのです。私は人に喜んでもらえるという仕事を選んでいたけれども、その深層心理には「自己重要感」という苦しみが隠されていたのです。

だから、現状の仕事において、私は「承認されていない」と感じるから「充実感」を得ることが出来ていない。つまり、「承認されたい」という苦しみの状態から仕事を選んで日々従事しているので、そこには豊かさが生まれてこないってこと。

そもそも承認欲求が潜んでいた・隠れていたかどうかは微妙ですけどね。だって認めてもらえたら普通に嬉しいじゃないですか。でも突き詰めると”苦しみ”だったんですよね。

本当の内なる自分を知っていくとちょっとショックだったりもしました。でもここで大事なのは「よい・悪い」のジャッジは不要ってこと。
仕事に対する状態は、ただ『自己重要感という苦しみがあった』ということに気づくだけでいい。

とはいえ。観察する途中でやっぱりなんかイヤな気持ちにはなります。だって、仕事に喜びをもって携わっていたわけですから、自分の深層心理を見ちゃうと認めざるを得ない。

気づけば、あとはそれを手放す。そうすると苦しみの意識状態ではなく、美しい意識状態で仕事と向き合える。だから自然と自分の思う良い方向性で動いていく…らしいです。

瞑想して、苦しみを手放すだけではそれはただのリラクゼーションになってしまいます。今の意識の状態に気づいて、観察して、手放す。そして、美しい意識状態で自分が本当に望んでいる行動をする。ここまでがセットです。

それだけの作業なのですが、まあ40年以上凝り固まったパターンですから、なかなか一筋縄ではいきません泣。だから筋トレって言われるんですよね。

辛いことも思い出すし、思いもしなかった感情もでてくるし、驚くけれどこうやって自分を紐解く作業に取り組める時間があるということに感謝だなと思います。

仕事をするにあたっては、自分にはどういう仕事が向いているのか、どういう仕事をしたいのか、どんな環境でしたいのか、結構考えると思うのですが、それがよい・悪いってことではなくて、

自分のstateの状態が苦しみの中から生まれくるものではなくて、美しいところから生まれてくるVisionを見つけたいなと思う今日この頃。

自分の望む行動をする。そしてそれが何かの誰かの役に立つ行動でありたい。私の内なる情熱を絶賛探し中です。


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