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脳内のおしゃべりが止まらないときは瞑想しよう

頭の中でお喋りをずっとしている。そんなことないですか?

脳内のお喋り。これは例の私の妄想劇場のことなのか?

今日は、私が参加しているオンラインサロン「瞑想GYM」で学んだことをまとめながら復習してみます。大輔さんがメンバーさんからの質問に回答するカタチでとっても学びがあった回。

瞑想をして、気づきが生まれて、観察をする。取るに足らないことでもまず書き出して、整理してみるといいらしい。

友達としゃべっているとき、テレビをみてるとき、ずっと頭の中では何かしらのジャッジをしてる。

この人は共感できるから「好き!」
共感できないから「嫌い!」

これは気持ちいいから「好き!」
これは気持ちよくないから「苦手!」

というジャッジにまず気づいたら、今度は、
どうして自分がその人を嫌いなのか?なぜに苦手なのか?
ということまで観察していく。

脳内のお喋りって毎日ごく当たり前にしていることなので、無意識に自分の選択・決断・行動の大きな材料になっているってこと。

そう、これまた出てきたよ。無意識。
どんだけ意識的に動けていないんでしょうね。そしてその無意識の中で自分で止めどなく「比較」している様子。

例えば、
過去にこういう人に認められたから「好き!」
こういう人は圧をかけてきたからこのタイプの人は「嫌い!」

過去の経験から自分で勝手にレッテルを貼ってしまって、無意識の判断基準を作っている。心地よい世界を作っていたり、嫌いな世界を作っているのは、
結局。全部”自分”なんですよね。

確かに。
私の世界はこうあるべき!という大きな理想を掲げている。ここはもう妄想劇場に飲まれている私からすると、改めてどうしてこんなにも理想の中で生きていたいのかの疑問が生まれてきました。

希望ができるということは、失望ができる
失望したくないから、希望を追い続ける
こうあるべき姿に満足を得て、その世界は素晴らしいと思いたい
とマインドは思わせている

瞑想してて気づいた感情から、例えば喜びがあるとする。まず「喜び」を見ていく。と同時に、喜んでない自分をみていくことで解放される。

どちらか一方しかないと言うことではないという、これがメカニズムなのだそう。

こうあるべきだ、こうあるべきではない
両方をみた時点で自分の判断基準がわかってくる。
まずは小さいおしゃべりもすべて見逃さずに書き出していく。
さらに、書き出していくなかでその裏側をみる。

嫌いがあれば、好きがある
良いがあれば、悪いがある
美しいがあるから、汚いがある
”良い”だけは生まれない 
同時に”悪い”があるから”良い”が存在する

形容詞は相対。
だけど、どうしても一方だけを考えがち。そして、自分が絶対的に正しいと思い込んでる。
これが好き じゃあ、嫌いとは何?
こういうのが理想的 じゃあ、理想的じゃないということはどんなの?

そこに苦しみがあるのです。

こうやって観察をしていくことで、だんだんと脳内のお喋りがなくなっていく。キャパシティがどんどんと増えてくる。そして苦しみが小さくなってくる、というメカニズムだから、今に集中できてくる。

この仕組みがわかると、あーなるほどなが詰まっていると思う。

こんな仕組み、これまで知りもしなかったし、考えてもみなかったです。
キツく結ばれたごちゃっとした事象に気づいていたとしても、それを紐解いていく術がわからなかった。

だから、メカニズムが学べるとそこにヒントが生まれるので、観察も深まる速度が早くなる気がします。

ということは、私の止まらない妄想劇場はいったいなんなのかしら?

「苦しみ」の中に、『落胆』というのがあります。
でも私の場合それではないんですよね。楽しいからポジティブ妄想してるけど、それが叶わなかったとしても、気落ちするほどではない。

ただ、期待をして理想を掲げるから妄想が生まれているわけで。

え?期待は苦しみなの?

直接的な苦しみというより、苦しみの原因になるってことなのかな。妄想劇場は理想に対する過度な期待の表れには違いない。

期待する=理想がある。理想的じゃなかったら一体どうなの?心地よくないよね、だから苦しみっていう流れなのか。

それってどんな苦しみなんだろう?

➀期待が満たされないことによる
「欲求不満」や「失望感」

②期待に縛られて自由に動けなくなる
「抑制」や「負担」

③相手への期待で関係性が悪化する
「劣等感」や「怒り」

④期待に執着することで外に満足を求める
「渇望」や「自我」

これを一つずつ、自分の感情にこれらの名詞を当てはめていく。そうするとその感情のひとつひとつに名付けて認識できてきます。わからないときは”消去法”で見ていくといいよって大輔さんがおっしゃってた。

たしかに、思ってたのと違う意外な発見があったりする。

だから、いろんな妄想の中で繰り広げられる「期待」も全部が同じではなく、この時は「欲求不満」、この場合は「怒り」など、自分の思考パターンが見えてくるとな。

ここでのポイントは、ただ「観察する」だけってこと。観察して認識できたら、あとはそれを手放すだけ。

欲求や期待への執着が苦しみの原因。これが私の妄想劇場の根源。脳内のお喋りが止まらないということは、苦しみの状態すぎているということ。

え、、、そんな認識まったくなかったですけど。
無意識って怖いよね。

楽しくて妄想劇場繰り広げてたのに、それが苦しみの根源だなんて。そんなのやだー。まずはそこに気づけたことに瞑想ありがとうって感じ。

脳内のお喋りがいい悪いではなくって、そういう状態だよっていうことを認識するだけでいい。一度パターンが分かると、次からやろうとしなくなる。無意識じゃなくなるから。

すごく明確なメカニズムなのですが、こんなこと習ったことないから、もう毎回頷きが止まらない。で、それをまずやってみようって思えるってことがすごいよね。

だって、すべては「自分」が決めていることだから。
この期待や理想を手放すことで、きっと新しい喜びや感謝が生まれて、もっと心が軽やかになると信じて、これからも瞑想をつづけて自分で見つめていこうと思います。

瞑想GYMでメンバーシェアからの回答は、学びが大でして。月に4回なのですが、シェアもありその時の瞑想技法も一緒にできたり、定期的に意識的に瞑想に向かう姿勢を整えていける仲間がいるのでこれからも引き続き取り組んでいきます!!

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