妄想は無意識な世界、瞑想は意識的な心のコントロール
7月から本格的に瞑想を学び実践をはじめて1か月。
怒涛に参加した濃密な瞑想の機会のおかげで一気に加速している毎日です。とはいっても劇的な変化というのはそんなに起こるものでもなく、ここに私の思考のクセが見えてきます。
その名は「期待」と「比較」からの妄想
行動を起こしたいろんな方のお話を聞くと、「海外に移住を決めた」「電撃結婚した」「起業した」「7ケタ契約」などなど、煌びやかな劇的変化を遂げている方々ってたくさんいるんです。
そして
何か始めるとき、何か学ぶとき、自分のゴールを設定すると思いますが、そこで私は過度な期待をしてしまう。
これを学んだら、こうなれる。
はず
こうなったら嬉しいな。
的な
過度な期待。そして他者との比較から生まれる無意識の反応
それが私の妄想劇場!!
(最近とりあえずChatGPTに投げかけてみて、定義を確認するようになってる。これもある種の執着なのかしらとも思ったり)
そうなのです。
妄想とは現実逃避と過剰な期待。これ、本当に長年の私の思考のパターンになってると思います。そして厄介なのが”制御”が利きづらいってとこ。
そこに気づき出すと、無意識ってマジで怖いですよね。
脳というのは、Aという事象が来たらBに進んでみて、何度もBという道に進んだら、それがもう最短ルートになってしまいそうやってパターン化されていくものらしいです。
つまり、反応反射で無意識にその思考となり行動を起こしているということ。
私の場合は、期待が外れた時にそれほど落ち込まないという、そこまで深みにはまらないから、身体に影響を及ぼすまではいかないというところが救いかもしれません。
とはいえ、妄想とは現実逃避と過剰な期待。
今を全く過ごせていない。でも楽しいからずっと脳内のおしゃべりが止まらない。そんなことの繰り返し。
現実逃避というとマイナスのイメージですが、私の場合は、どちらかというと不安から逃れたい、というよりは楽しいことに向けて想像する感じ。でもこれって”快楽”に逃げてることになるので、結局苦しみの状態なのよね…
いずれにしても、妄想劇場は今を生きてないからとりあえずはやめたい。ただ抑制が利きづらいくらいパターン化されてることにめちゃくちゃ気づいたから、ホント無意識って怖い。
そもそもさ、物事に期待しないなんてことありますか?
仕事も上手くいってほしいし、人間関係も上手くいってほしいし、お金だって入ってくるなら入ってほしいし。上手くいけばいいなって思うことって山のようにある。
これを、期待しないで得られるようになるというのが、瞑想して美しい状態で意図をもって美しい行動することで、自然と叶えられていくというメカニズム。
上のChatGPTも言ってますが、瞑想は訓練なのです。”筋トレと同じ”と何度も聞くし、もうそうとしか言いようがない笑
身体の効果的なトレーニングは、パーソナルトレーナーがいて、必要な筋肉に的確にアプローチする方法を教えてくれて実践することで、より正確に早く理想の身体にたどり着けますよね。
それと瞑想のトレーニングも同じで、伴走しながら導いてくれる人がいて、自分に必要な方法を教えてくれて、あとは自分で実践あるのみ。
曖昧なまま瞑想して、ただ穏やかになるだけであれば、それはリラクゼーションってこと。「心地よかった~」で終わるだけ。もちろんそれでもいい人はそれでいい。
でも、穏やかになった先に美しいVisionをもって行動することで、豊かさの現実が訪れるというのであれば、その道に進みたい!と私は思ってます。
無意識に感情も思考も制圧されていたこれまでの人生に終止符を打ちたい。瞑想をしていくと気づきが増える。これマジで増えます。なぜなら意識的に過ごすようになるから。
ずっと長年やってきてた”妄想劇場”の癖はきっと止まらないな~って思ってたけども、瞑想するとね、なんとなくそれが止まってきたように思います。
とはいえいきなり全部なくなるわけではないけれど、これも修練なので、少しずつでもいい。自分のパターン化していた悪癖を手放していく。
この意図をもって瞑想するとさらに良い結果を生むかもね、と思いながら今日も過ごしてます。