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【224日目・朝】世界中の人々が祈るということを習慣にできますように。・・・千日祈り on Facebook アーカイブ 2020.9.2
瞑想動画
https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10224774112042634
祈り動画
https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10224773863596423/
世界中の人々が祈るということを習慣にできますように。
すなわち、自分の魂の願いを知りながら生きていけますように。
魂の道を歩くという気持ちが少しでも持てますように。
そのことを通して世界が人類の集合意識が夢見る在るべき未来へと導かれますように。
それを実現するためになにかしら私が役割を果たせますように。
祈りのある毎日。
日常に祈りがあることの大切さ。
魂からの願いを生きると道がパタパタと開いていってスムーズな人生になります。
魂の願いではない願いを自分の願いだと思い込んでいるとそれはうまくいかなくて、願いはかなわないものだという気持ちになります。
自分の願い・・・魂の言葉を聴くのはそれなりに難しい。
曖昧で人間の言葉に翻訳するのは難しく、またそれは一般的に言われる良い事とはずれている可能性がある。
一般的に「経済的成功」「社会貢献」「良い職業に就く」といったことが社会に受け入れられやすく、願いってそういうものでしょ?と思われている感じがする。
「稼げ」「褒められろ」と教師も親も本もそう言っていて、願いとはそういうものだと社会に煽られている感じがする。
そういう外からの声に惑わされていると自分の魂の声に惑わされやすい。
「ゆっくりと生きたい」
「祈りと瞑想の日々を送りたい」
「好きな人と親愛の情を紡ぎたい」
そういうささやかなことは願いとしてい言いづらい社会の空気感がある。
自分の本当の願いを知ろうとすると瞑想的な生き方になります。
それは、心を鎮めて、外の声に惑わされない生き方。
瞑想は、心を鎮めて本当の自分の願いに気づけるような穏やかで静かな時間を持つことであり、そういう状態に持って行くこと。
祈りは、そんな状態で出てきた自分の本当の願いを天に投げることであり、自分の意識が「これがわたしの願いだ」と把握すること。
祈りは、コントロールすることを手放すこと。
ましてや他人をコントロールするためにやるものではありません。
もちろん、実現のために行動するのはしたかったらしても良いのです。
例えば、周囲になにかしらお願いをして回るとか。
そして、動きながら祈ることもできるのです。
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