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振り返り | 自分が1番愛せるものにしよう。

書き溜めた下書きだけが増えていくので、
せめて年に一度くらいは書ききらないと。
そう思いながら今年1年を残していく。


あれから季節が一周するわけだが、
おかげでしっかりと前を向いて進めている。

こそこそと手を動かしていたプロダクトは、
夏を過ぎた頃には、自分や自分の周りに触ってもらえるくらいには
形を成していった。


プロダクトの意思を育てる。


会社をとじてからフリーランスとしての活動が始まる。
どんなに忙殺されてもプロダクトを作り切るという、
自分との約束を胸に2024年を迎えた。

日中の隙間時間でコソコソと続けていく。1人で走り切るということがいかにむずかしいかを日々痛感しながら、過ごす日々が続いた。

朝起きて、「作りきったとて、一体誰が使うんだ。」とよぎったり、
「これはいいプロダクトになる」と急に自信が湧いてきたり、
乱高下する気持ちをそっと端に置いて、とにかく形にしていく。


それでも心が折れそうな時、こんな言葉に出会った。

人々はあなたが愛してない製品を愛することはない。 あなたがそれを愛していなければ、彼らはきっとそれを感じ、そのことを嗅ぎつける。

なるほど。確かにそうだ。ならしっかり愛そうじゃないか。

自分が作るプロダクトは自分が一番愛せるものにしよう。
このプロセスの中でプロダクトために自分の意思を育てよう。

そう思ってからは、しんどいとかは何もかもどうでも良くなった。
ひとまず作りきるという事が楽しみだった。

そんなこんなで稚拙な技術選定の中、
初期プロダクトとして試せる形になったのがNIHONGOBASEだ。

初中級コンテンツや少し昔に作られたビジネス日本語教材が世の中に溢れる中で、モダンな教材コンテンツが届けばいいなと思い、ドキュメントベースの教材プラットフォームとして昇華させた。
(プロダクトについてはまた今度ちゃんと書こう。)



失敗すること、学習すること、諦めないこと。


業務委託でお仕事させてもらっているスタートアップのある月末総会で、メンバーがこんなことを言っていた。

失敗すること、学習すること、諦めないこと。

これは「失敗を恐れるな」むしろ「早く失敗しろ」と言うお話なのだが、なるべく早く実行をして、何が正しいか、間違っているかを把握して、正解に進むべきだ!みたいな話ではなく、

ほとんどの道は間違っていて、正解の道なんてほとんどないのだから、
失敗した時のリカバリー方法を早めに学んでおくと言うお話だ。

つまり失敗して学習をしようじゃないかと。

ただ、この学習には、仮説があること、指標があることが大切で。
指標がないが仮説がある学習は、強烈な学習にはならない。

なので仮説、指標を立てて失敗し学習していこうじゃないかということだ。


一方で、失敗にもきっとリミットがある。
リミットとは、何ターン耐えれるのかという話だ。

なるほど。確かにこの3年間、
初期プロダクトでボコボコにされ、
日本語学習VRアプリをやってみては使えるものにならず、
理想を追ったスクール事業も志なかばで撤退した。

言うなれば、負け続けてきたと。
そして自分があと何ターンこのドメインで耐えられるのか分からない。

分からないのだが、
今、立ち上がれているのは、やりたいアイデアがあるからで。
やりたいことがあると言うのは、つまり次の仮説があるからだ。
だからきっとまだ諦めていない。

そしてこの諦めないでいれた1年が、
とても幸せだったのだと。



我武者羅で、丁寧な1年だった。


話を戻して、お仕事周り含め1年どうだったのかというと、
我武者羅に丁寧に過ごせたと思う。

もう少しちゃんと振り返ると、

自分のドメイン領域ではプロダクト開発しながら、
少数だが日本語教師として個人の生徒を持つこともできた。
1年前に立てた自分との約束はクリアできたんじゃないかなと思う。


以前からお手伝いしてたグローバルHRの企業では、新しいプロダクトの初期リリースまで持っていくことができた。ベトナムの開発チームのマネジメント、マーケ施策としてウェブコンテンツ切り出したり、展示会出して、営業かけに行ったり…
持ってるもの以上にスキルや知識を総動員してお仕事させてもらった。

Gs同期のいるリスキリング/スキル管理SaaS企業では、リスキリング研修のコーチとして多分、計100名近くの研修担当させてもらえたと思う。
B向け導入のステップ、現場と経営者の視座、仮説検証の回し方など、あらゆる思考錯誤をたくさんインプットした。たまにいる外国籍のITの方にも出会えて、普段教えている層とはまた違った発見もあった。
だけど何より良かったのはチームがとても素敵であることで、こんなチーム作りたいなと言う活力にもなった。

そして10月から始まったフィリピン日本語学校の日本法人のお仕事。
振り返るには早すぎるが、ほぼゼロ状態から事業伸ばしていこうじゃないかと、まるで私にとっては去年のリベンジのような内容でお仕事させてもらっている。
ここにきて主軸領域での複業は、きっと自分のやっていることにも大きく意味が出てくる。そんな想いで臨ませてもらってる。

文字にしてみると自分が何屋さんかわからなくなるが、自分のプロダクトの周辺領域としてつながったり、還元できる環境でやってこれたんじゃないかと思っていて。
領域を跨ぎながら、インプットもアウトプットも、ドメインネットワークもいい感じに循環したんじゃないかと思う。


そして毎日顔を上げるために始めた一人日報も
ほぼ抜けた日がなく1年間書き続けてこれた。(中身は割愛する。)

そんなこんなで我武者羅で丁寧に向き合えた。
そんな1年だったんじゃなかろうか。
(皆さんありがとうございました。)


不確実性への耐性。2025年に向けて。


さて、来年はどんな1年にしていこうか。

そう思って今年のメモを見返すと、こんな言葉が残っていた。

不確実性への耐性ってのは、
きっと深いユーザー、お客様理解に基づいたファクトと、
質の高いチームのコミュニケーションなんだなと。

そういえば、今年後半、初期版を作って以降は自分の生徒に試すことしかやって来なかった。

「どんなフィードバックがくるんだろう。」
「また使ってもらえないんじゃないか。」
「うまく行かないかもしれない。」

別にひどく、ネガティブになってたわけじゃないが、
不確実な未来に少し尻込みしていたのかもなと。
まあ、つまりはリリースが怖かったのだ。

確かに昨年までは人の心配なんかお構いなく、
ガンガン前に出てくれる相方がいた。

なぜなんだろうなと考えると、
もちろんメンタルセット的な話もある一方、自分よりもユーザーと接してきていたので、不確実だけど、深いユーザー理解があったから挑むということへの耐性があったんじゃないかと。

じゃあどうすればいいのかというと、もうこれはやる以外の道はないだが。

それでも怖いのなら、
授業と生徒を増やして、そこでまずは当ててみればいい。
身近な教師から巻き込んでいけばいい。
まずはできるステップを自分の高さまで区切ってやったらいい。
その積み重ねが不確実なもの挑む耐性へとなっていくはずだと。

ふむ。なるほど。
ダメならまた作ればいいじゃないか。
2025年は小さく成功を積み重ねていける1年にしていこう。



おまけ | 愛情と情熱を抱きしめて


いつかくる遠い日だと思っていたものが、
気づいたらやってきてしまっていて、
30歳の節目を、この10年を、どう棚卸ししようか悩んでたら年末になってしまった。

そういえば10年前は上海にいたなと。

2014年|上海 外灘

当時、年の近い師匠なる人から
”庭のように世界を走り回る生き方”を教えてもらって、
しばらくはそれをなぞるように過ごしたのだ。

10年経った今、当時想像してたものは目の前にないが、
かわりにずっと探してたものが見つかって、
愛情と情熱を抱きしめている。

嗚呼、その時々の価値観で精一杯過ごしたのだ。
そう思える良い10年だったんじゃないか。

未来の自分に向けてどんなメッセージを残せばいいかは分からないが、
納得できる10年を過ごそうじゃないか。

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