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几帳面に憧れるズボラ女

ズボラとは「言動や性格・態度にしまりがなく、だらしないさまを表します。 やるべきことを後回しにしたり、中途半端で終わらせたりすることが多い傾向です」って小学館の方が書いてらした(ググってみた)

いやぁ、もうね、わたしそのまま!子供の頃からそう。出来れば、わたしも几帳面に生まれたかった。ズボラとか几帳面というのは、生まれつきなのか、環境因子によるものなのか、または両方なのか。わたしの母は、几帳面である。家にはゴミ一つ落ちてないし、床はワックスがかかりピカピカ。家の周りに雑草が生えることもないし、全て整頓されている。やるべきことは、いち早く済ませる。わたしは、真逆の人間だ。夏休みの宿題は、最後の1週間で泣きながら済まし、大人になってからも、やるべきことは後回しに期限ギリギリでなんとか仕上げ、家周りの草引きは、シルバーさんを頼る体たらくぶりである。当然、床にワックスなど生まれてこの方かけたこともない。

祖母は若くして他界したが、彼女は母にそっくりで几帳面な人だったらしい。わたしは、父に似たのだろうか。赤ん坊の頃に別れているので調べようがない。生まれつきなのか環境因子なのかはわからないけれど、これだけ長い間ズボラだと、この先変われる気がしない。となると、このズボラとうまく付き合ってゆくしか方法はないのだ。

息子も少々わたしに似ているので、心配しているが、彼の方が幾分マシな気はする。夏休みの宿題は、早めに片付けるし、エンジンがかかれば掃除も上手だ。夫に似たわけではない。夫は、わたしに輪をかけてズボラだからだ。相方がズボラだと、わたしが強制的に几帳面部分を補わなければならず、めちゃくちゃしんどい。でも、文句は言われないので、まぁ良いと言えば良い。ふふ。

ズボラの中でも最悪なのが、片付けだ。本当に本当に嫌い。片付けたと思っても、何週間かするとまたぐちゃっとなる。こんまりさんに見られたら必ず、「この部屋はトキメキませんね」と叱られるであろう。

本来なら、そういう自分を見直して、片付けが出来るように努力すればいいものを、いつか、お片付けロボットが出来ないかなぁなんて、妄想の世界に逃げてしまう。自分でも呆れる。

定位置を決めるといった「物に居場所」作戦も試してみたが、やっぱりぐちゃっとなるのは、何故なんだろう。おまけに物が無くなりやすい。ボールペン、体温計、ハサミ、シャチハタ。これらは、多分ワームホールのような物があり、ここと似ている異世界に飛ばされているんだろうと思う。あと、うちの洗濯機か、乾燥機にもワームホールが付いていて、靴下が片方だけ飛ばされていることがちょくちょくある。無くなると面倒なので、無くさない(片付ける)努力はせず、数を買うことで補っている。なので、片付けの鉄則である「物を減らす」が出来てないというなんとも哀れな状態である。

昔はあまりにズボラで片付けが出来ないので、どうにか一攫千金してホテルに住めないかと真剣に考えていた。ホテルはいい。ぐちゃっとなったまま出かけても、ただいまーとドアを開けると、定位置にリモコン、ピシッとしたシーツのベッド、カラッと乾いたタオルがお出迎えしてくれる。最高じゃないか!

ホテルに住むには大金がいるので、ある日突然、赤ん坊の時に別れた父親の、巨額の遺産が転がり込まないか期待している。それが入れば、ホテル住まいにしたい。


・・・だめだこりゃ。


※イラストお借りしました。ahoku_botan_noteさん、ありがとうございます。

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