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じゅんじゅんのこと

これは、辻さんの小説教室の1回目に提出した課題です。お題は「私小説」4000字以内。なんと!また教材の一編として採用されました。でも!これが選ばれたのには、理由がありました。辻さんがこれを読んだら一番に落選にする(コンクール的なものの場合)とおっしゃったのです。理由は、課題は「小説」だから。これはエッセイのようだと言われました。あ、イタタタ。全くそのとおりだったんです。授業(小説)を受ける前の状態では、フィクションもいくらか混ぜておけばいいだろうというぐらいの認識で、本当にあったことを脚色して書いたものでした。流石はプロです。スパーンと見抜かれていました。ただ、後悔はないのです。一度必ず書きたかった友人の話だったからです。いつもの1400文字(エッセイの場合)では、あまりにも短く書けなかったので、今回書いてしまいました。辻さんには、これは小説じゃないけれど、中の文章は校正する所がない、上手ですと褒めていただけました(プラス思考w)では、どうぞ。

※あくまでもフィクションとしてお読みください。

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彼女の最後の言葉は、「ありがとう」だった。

 今年は猛暑が長かったせいで、秋が来るのが遅かった。夕方ベランダに出ると、やっと涼しくなった風が、庭にある金木犀の香りを運んで来た。私は、あの日々を想った。

 じゅんじゅんに会ったのは、フィギュアスケートファンのオフ会だった。スケーター浅田真央が好きな人達が、SNSを介して友達になり、食事をしようと集まった。待ち合わせのレストランに、彼女は少し遅れてやってきた。柔らかいピンク色のカーディガンにキャメル色のコート、黒の膝丈スカート。きちんと一つにまとめられた髪。耳には真珠のピアスという出立ち。初春で寒かったからか、頬を少し赤らめながら近づいてきた。
「遅れてごめんなさい。はじめまして。白坂純子と言います。じゅんじゅんって呼ばれる事が多いです。」 
 
既にじゅんじゅんと知り合いだった方から、がんの闘病中なのだとは聞いていたが、明るく笑う彼女と、壮絶な闘病とは、かけ離れて見えた。病人が発する負のオーラのようなものが、微塵も感じられない。彼女は、私の隣に座ったので、自然に会話が始まった。
「あのう、闘病中だと聞いたけど、今日は体の具合大丈夫なの?」
「抗がん剤治療がこの先にあるんですけど、今は大丈夫です!」
「手術とかもあったりするの?」
「えっと、実は再発していて多臓器に転移しているので、手術はもう出来ないんです。」
 大変なことを聞いてしまったと思ったが、後の祭りであった。返事に困った私を見て、じゅんじゅんは微笑みながらこう言った。
「これからの抗がん剤治療や放射線治療で、共存していく感じです。」
 笑っている彼女を見ると何故かこちらも笑顔になり、病気じゃない私の方が勇気づけられた。 

 じゅんじゅんは、私より五つ下で、病気をしてからは、埼玉にある実家住まいだと言う。オフ会の間、夢中になって話した。フィギュアスケートの話そっちのけで、じゅんじゅんその人に興味が湧いた。今まで知り合った、どんな人とも違うタイプだった。魂の透明度が高いというか、人柄が飛び抜けて良いというか、とにかく魅力的な人だった。短時間のうちに、私は彼女に恋をした。恋をしたと言っても、男女間にあるような恋ではなく、どちらかといえば執着のような、この人をもっと知りたいという強い欲求で、生まれて初めての感情だった。

 オフ会から一週間後、じゅんじゅんからメッセージが届いた。浅田真央ちゃんが東京に来る時、よく行くカキ氷屋さんに行きませんか?というお誘いだった。真央ちゃんはカキ氷好きで、寒い季節でもカキ氷を食べるとか。二つ返事で行くと返事をした。
 代々木公園駅から歩いてすぐの所に、そのお店はあった。ホールケーキのような見た目のカキ氷が売りらしい。たっぷりの生クリームでデコレーションされたかに見える、ケーキ風カキ氷を堪能した後、昼食を取るためレストランへと移動した。食事を終えて、珈琲を飲んでいると私のお腹がギュルギュルと鳴り出した。どうやら、カキ氷のせいで胃を冷やした上に食事をしたものだから、お腹が悲鳴を上げたようだった。何度となくトイレに立つ始末で、泣く泣くお開きとなった。

 次の日、じゅんじゅんからメッセージが届いた。「お腹は大丈夫ですか?」実は帰りのタクシーに乗った途端何故か腹痛は治り、もっと一緒にいれたのにと悔しく思っていた。なので、今度は私が誘うことにした。「表参道に美味しいシュペッツレ屋さんがあるんだけど行かない?」シュペッツレと言うのは、ドイツでよく食べられるパスタで、どんなソースにもよく合う。彼女は、シュペッツレを食べたことがないと言い、行きましょうと返事が帰ってきた。がんに対抗するために、免疫を活性化させよう、それには笑うことが有効らしいとどこかで見た私は、吉本を観に行く事も提案した。じゅんじゅんはお笑いをあまり知らなかったけれど、行ってみたいというのでチケットを取った。吉本でひとしきり笑い、シュペッツレ屋でシュペッツレを食べながらクリスマスの話になった。毎年クリスマス時期は、フィギュアスケート全日本大会が催され、ファン界隈は賑やかになるのだ。全日本の話をした後、彼女は言った。
「去年のクリスマスにがんの再発宣告を受けたんですよ。それにその一年前には、婚約していた彼から突然振られまして、クリスマスなかなか最悪なんです。」 
 がん再発の話は勿論のこと、それ以上に衝撃だったのは、婚約までしていた彼から別れを告げられたと言う話だった。腹が立った。じゅんじゅんみたいな人間を傷つけた輩が許せなかった。カンカンに怒っている私を見て、いつもの笑顔で彼女は言った。
「当初辛かったんですが、今はもう大丈夫です。私のために怒ってくれて、ありがとうございます。」 
 命に輪廻があるとするなら、彼女はいったい何周目なのか?その達観ぶりを前に、私はまだ一周目ですと露呈したようで恥ずかしくなった。

 こうやって、じゅんじゅんと私は月一程度あちらこちらに出かけた。会わない間もメッセージのやりとりは頻繁にしていた。SNSで私が具合が悪いと呟くと必ず「大丈夫ですか?この気候つらいですよね。」また、夫の愚痴などを呟いた際にも「奥さん、お母さんいつもお疲れ様です。」とメッセージがきた。どちらが病人なのかわからない。

 じゅんじゅんは凄く活動的な人だった。抗がん剤の合間を縫って、ピアノコンサート、落語観覧、海外旅行、お遍路さん、ヨガ、保護犬活動、フィギュアスケート観覧等々。とにかくこれでもかと言う程、常に忙しかった。今思えば、人生の残り期間を全力で生き抜いてやるという気概だったのかもしれない。

 初春に会ってから半年。じゅんじゅんは私にとって、とても大切な人になっていた。年下ではあったが、学ぶことが多く、こんな人になりたいという憧れさえあった。抗がん剤の副作用でしんどいとメッセージが来た時には、彼女を失う恐怖に苛まれた。
「神様、どうか、じゅんじゅんを連れて行かないで下さい。」
 幾度となく強くそう願った。しかし、そんな願いも虚しく、病魔は確実に彼女の体を蝕んでいった。年が明け、梅が咲き始める頃には、入退院を繰り返し、彼女の体はどんどん弱っていった。
 ある時には、「心不全になり一時危篤状態になってました。末期中の末期ですが、まだ生きます。」というメッセージが届く。つい二日前まで元気そうでも、突然このような状態に度々なった。くるくる変わる病状は、大抵メッセージでの事後報告で知らされた。その度に「私の体、まだまだ生きたいみたいです。今回も生きました!」と明るく伝えてくる。「おう、よく生きた!偉かった!」とこちらも明るく返すというやりとりを続けた。

 桜の花びらが全て散った頃、じゅんじゅんから届いたメッセージには次のように書かれてあった。「実は、ゆっくり聞いてほしい話があります。積極的治療をやめようと思います。もうね、髪の毛も抜けるの嫌だし、副作用の苦しみを乗り越える気力もなくて。残りの人生は笑顔で自分らしく生きたい。ただそれだけです。あ、でも決して希望を捨てたわけではなく、新しく自分らしく生きていこうと選択しただけです。だから大丈夫です。今日もヨガをしています。今は本当にスッキリしていて、今までで一番いい笑顔の私なのです。」どう返信するのかは、少し前から決めていた。「じゅんじゅんが選んだ道を、全力で応援する。」と送った。治療の過程を知っていたので、これ以上治療を頑張れとは、とてもじゃないが言えなかった。

 前向きで、病身でありながらいつも他者をいたわり、よほどのことがないと弱音は吐かないじゅんじゅんが一度だけ泣いたことがある。いく度目かの入院中にお見舞いに出かけた時だった。たわいのない話していると、突然彼女の目から大粒の涙が溢れ出た。私もつられて泣いた。彼女は
「私、泣くの苦手なんです。特に人前では。」
 と言った。ここだけは、私と非常によく似ていた。私も人前で泣けない。

 じゅんじゅんに最後に会ったのは、梅雨明け後だった。この頃彼女は、入院から自宅療養に切り替え、実家に戻っていた。「会いたいです。」と言うメッセージを貰い、すぐさま飛んでいった。モルヒネの量も増えていて、眠っていることが多くなっていた。寝たきりだろうと思っていた。彼女の家に着き、呼び鈴を鳴らすと、なんと玄関先まで歩いて出迎えてくれた。これには驚いた。ある程度覚悟して訪問したが、会話も笑顔も通常通りで、たいそう安堵した。話したいことは色々あったし、出来ればもっと長居したかったけれど、彼女の体調を考えると、そう言うわけにも行かず、三十分程で御暇することにした。また来るねと言い、手を振り合って別れた。

 お家にお邪魔してからひと月の間、ほぼ毎日メッセージのやりとりをしていたが、その日は急にやってきた。最後の日、私からのメッセージには、いつまでたっても既読がつかなかった。

 あの年は、夏がやけに早く過ぎていった。夏が嫌いな私のために、じゅんじゅんは夏を連れ去り、かわりに金木犀を咲かせた。

 じゅんじゅんが私の人生に現れたのは、何故だったのだろう。答えがないから、彼女を忘れることもない。亡くなる前、彼女から届いた最後のメッセージが、「ありがとう」だったのは、いかにもじゅんじゅんらしかった。

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